一瞬一瞬の積み重ねを切り取る短編集『AM/PM』
人間は気の遠くなるような長い年月のうちに進化を遂げて現在のような世界に存在するに至っただけでもすごくって、そういった歴史の中で祖先に当たる人たちが命をつないできてくれたからこそ今自分が存在しているという事実は信じられないくらいの幸運の上に成り立っていることなんだとはもちろんわかっているんだけれども、そうかといって人生における貴重なすべての瞬間に感謝を捧げながら生きるなんてことはこれはもう不可能といっていいだろう。ていうか、ほとんどの人々はダラダラしたり、次から次へと不満を口にしたりと、無駄以外の何物でもないような時間を過ごしがちなものじゃないのかな?
…と、自分が生まれてきた幸運については頭ではわかっていながらも人生が一瞬一瞬の積み重ねであるなんてふだんは意識することもないんだけど、本書を読んで改めてそのことを思い知らされたのだった。人生は、本書で描かれるようなこういった一瞬一瞬の積み重ねなのだと。最初の何ページかはあまりピンとこないなと思いつつ読み進めていたのだが、「8:PM」あたりで「おおっ?」と思い始め、「AM:21」の頃にはずいぶんとやられてしまっていた。「ああ、こういう瞬間あるある」と(まあ、あり得ないシチュエーションが登場したり、猫の心情があらわになったりしている文章もあるが。とはいえ、それはそれで猫にとっては「あるある」かもしれないし)。ちなみに、それぞれの短編は長くても1ページ強といった感じの小品ばかりである。
本書には、「AM:1」から「120:PM」までの時間を割り振られた120の短編が収録されている。例えば、「AM:41」。主に後ろ向きな考え方6種(高いカーテンを買ってしまったことへの後悔や、つまらない仕事に対する否定的な感情など)が「!」付きで羅列されているのだが、それだけのことがこんなにおかしいとは。あるいは、「幼児の主張」とでも呼ぶべき「AM:57」。幼児だって人間である。当たり前のことだ。私たちはたとえ子ども時代であっても、子ども扱いされると毅然として異を唱えたではないか? あのとき感じた義憤を大人になったからといってあっさり忘れてしまっていいのだろうか?
著者のアメリア・グレイは本書がデビュー作。2009年からの作家生活で5冊の著書が刊行されているそうだが、文学賞の受賞歴は華やかなようだ。5月に発売された最新作は、20世紀を代表するダンサーだったイサドラ・ダンカンの人生をモチーフにした長編とのこと。おそらくではあるが、本書とはだいぶ異なる作風になっているのではないかと推測される、チャレンジングな姿勢というのは好もしいものだ。訳者の松田青子さんはご自身も小説家で、自作/翻訳書ともに新刊が気になる存在である。
(松井ゆかり)
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