15歳が世界と出会うロード・ノヴェル『東の果て、夜へ』
一人前の大人になるというのは、子供の自分を殺すことでもある。
ある日突然、もはや子供とはいえなくなっている自分がいることに気づく。心の中で少しずつ起きていた変化により、知らぬ間に境界を越えてしまう。そういう大人になり方もある。逆に、あの出来事によって大人になることを強いられた、とはっきり区切りを意識している人もいるはずである。ビル・ビバリー『東の果て、夜へ』は後者だ。これは通過儀礼としての旅を主題とする小説なのである。
ビバリーはこれがデビュー作だが、本書で2016年度の英国推理作家協会賞の最優秀長篇賞と最優秀新人賞を同時に獲得、翌年には全英図書賞の年間最優秀犯罪・スリラー部門、ロサンゼルス・タイムズ文学賞ミステリー部門を授与されている。新人という領域を遥かに超えた注目作と言っていいだろう。
LAの一画に箱庭—-ザ・ボクシズと呼ばれる地域がある。イーストはそこにある麻薬斡旋所の番人だ。警察その他の脅威が迫ることはないか、客がおかしなことをしでかさないかという監視役である。その場所は〈家〉と呼ばれていた。母親の住む部屋にはほとんど帰らず、打ち捨てられた地下室をねぐらにしているイーストにとっては、一日の大部分を過ごす場所は文字通りの家でもある。ある日、そこが手入れで潰された。それどころか、巻き添えを食って幼い少女が命を落としてしまう。監視役の仕事を失ったイーストが組織の長であるフィンから直々に命じられたのは、組織を売った裏切者を殺すことだった。
標的はロサンゼルスから2000マイル離れたウィスコンシン州にいる。そこまで行き、殺し、戻ってくるのだ。ただし飛行機は使えない。搭乗手続きその他で痕跡が残るからである。必要なものをすべて積んだ車で現地まで行き、また戻ってくる。東へ、2000マイル。人を撃つためにイーストは旅立つ。
ご覧のとおり、物語構造はごく単純である。平凡な殺し屋小説だ。しかし主人公が平凡どころではない。イーストは15歳なのだ。車に同乗して一緒に旅をすることになるのは、彼と元大学生のマイケル・ウィルソン、17歳だがコンピューター技術に精通したウォルター、イーストの異父弟であるタイの3人、全員まだ子供と言ってもいいいい年齢だ。バンに乗ってえっちらおっちら旅をしている子供が組織の殺し屋だとは誰も思わない。だから、彼らが行かされるのである。
この設定を投げ入れるだけで物語には一気に深度が生まれる。イーストにとって2000マイルの行程は任務遂行の旅であると同時に、世界と出会うためのものでもある。生まれてからずっとザ・ボクシズの中で生きてきたイーストにとっては、LAを出ること自体が強烈な体験なのである。それまでは「空の根元のギザギザしたところでしかなかった」山に入り、それを越えるとき、世界は彼に鮮烈な印象を与える。
──光が車内に満ちあふれ、少年たちのまわりで揺れていた。
山の紫色と茶色の精緻な模様が浮かび上がり、移ろい、鞭のように飛び去っていく。万物が砕けた断片となって。ついにバンが、山肌の全面が赤く色づいた峡谷を抜けた。栞雲が上から吹きつける風にあおられている。 山火事にも似たこの景色を目にしても、少年たちは何もいわなかった。イーストは息も忘れて見入っていた。やがて、その光景も過ぎ去った。
本書には、旅という行為そのものが主題となり、その過程が主人公たちを変化させていくというロード・ノヴェルの性格が備わっている。初めのうち、イーストと読者の間には心理的な距離がある。旅程が進むうちにそれは消え、彼の気持ちが我が物のように感じられるようになるはずだ。作者による操作が巧みなのである。デビュー作ということが信じられないほどに老獪な筆致だ。
技巧の冴えは、主人公を描くやり方にも現れている。15歳ということが信じられないほど、イーストは大人びて見える。麻薬小屋の番人をしているのだ、当然である。しかし次第に、彼の中にある未熟さ、思慮の浅さが浮かび上がってくる。バンで旅をする仲間のうち2人は年上、残る1人の弟もすでに殺し屋としての実績があり、イーストの手には負えないような自我を持っている。彼らとの間に生じる不協和音を聴いているうちに、読者は彼がやはり15歳の少年であることを納得させられていくのだ。説明せず、理解させる文章が非常に心地よい。
説明しないといえば、イーストたちが全員黒人であるということも文脈で自然にわかるように書かれている。銃を手にした彼らがいよいよ任務遂行に挑む、という中盤から肌の色は大きな障害となってくるのだが、そこに至るまでは人種が意識される場面は少ない。同じ黒人同士でバンに乗って移動しているのだから当然だ。バンの車内は箱庭のように閉じた共同体の延長であり、そこから出ようとしたときに初めてイーストは外の世界との摩擦に気づかされることになる。これまで書かれてきたほとんどのロード・ノヴェルのように白人を主人公にせず、黒人の視点を採用したことの意味がそこにあるのだ。世界対15歳の構図を意識させる仕掛けはこの他にも多数準備されているが、あとは実際に読んで発見してもらったほうがいい。
読み進めていくうちに、作者が旅の物語のプロットを分析し尽くして、類型をいかに利用し、いかに外れようとしたかが見えてくるはずだ。単純な構造と書いたが、目的地まで行って、戻ってくるという往復で終始させないための分岐点が物語の後半にあり、そこをイーストが通過した瞬間から世界は変わり始める。その趣向が肝なのだ。旅によって世界と出会った少年が新たな自分を再選択していく第3部は、荒々しい展開の続いた前半部とは打って変わって静寂に満ちている。芋虫から蝶への変身に必要な繭作りの段階として書かれているからである。繭から出てくるのは、すでに大人の顔をしたかつての少年だ。
(杉江松恋)
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