アクチャルな未来の質感、テクノロジーと人間の新しい共生
多くのSFが描いてきたシンギュラリティは、AIが人間と同等の知性・意識を獲得し、さらにそれを凌駕してしまう臨界点だった。人間が生みだしたテクノロジーが人間の理解を超えた存在へと進化し、世界のありようすら塗りかえてしまう。それはいっけん斬新なヴィジョンのように見えるが、物語のかたちとしては人形が命を獲得するギリシア神話(ピグマリオン)の発展形であり、後継世代が先行世代の想像すら及ばない存在へ変容するテーマならばすでにアーサー・C・クラーク『幼年期の終り』(さらに遡ればオラフ・ステープルドン『最後にして最初の人類』)で示されている。
しかし、そういう意味でのシンギュラリティは、実際の情報技術や認知科学の現場にいるひとからみれば、たぶんに空想的というかロマンチックに映るだろう。人間らしくふるまうAIはそれほど遠くない未来に実現するだろうが、人間のような意識(内的状態)の発生はそれとはまったく別の問題だ。おそらく、実際のシンギュラリティはAIが人間的な知性・意識などを経由せず、思いもよらないかたちで起こるだろうし、起こったことすら私たちは気づけない。たとえば、人間のような個に内在する意識ではなく、ネットワーク全体に分散した機能が自律的に環境に適合し、自らに都合良く環境をつくりかえていく。そうした超存在にとっては、人間もまた環境の一部にすぎない。それどころかネットワークに組みこまれたパーツかもしれない。
『公正的戦闘規範』に収録された作品を読みながら、そんなことを考えた。ここには5篇のSF短篇が収められており、うち4篇はITの未来をアクチャルに、かつスペキュレイティヴに描きだす。
表題作「公正的戦闘規範」については、初出のアンソロジー『伊藤計劃トリビュート2』の書評、また「第二内戦」については、同じく『AIと人類は共存できるか?』の書評で紹介した。
「コラボレーション」は、藤井大洋の商業誌初登場(〈SFマガジン〉2013年2月号に発表、同時期に〈小説TRIPPER〉に長篇『UNDERGROUND MARKET』を発表している)となる作品だ。これに先行して『Gene Mapper』を電子書籍で個人出版し、口コミで大評判となりメジャーデビューのきっかけとなったのは、ご存知のとおり。藤井さんはソフトウェア開発会社に勤務していた経験があるそうだが、まさに現場を知る身ならではの臨場感が「コラボレーション」には横溢している。ネットの発展はいままでになかった職種を生みだしているが、この作品の主人公・高沢が従事しているのは「ゾンビ・サービスの監視」という奇妙なものだ。
舞台は近未来、Webの検索エンジンの修復機構が暴走し接続していたコンピュータに壊滅的な打撃を与えてのち、世界はインターネットを放棄し、厳格な認証が必要なトゥルーネットを構築していた。このかけがえのないネットの健全性を保持するために〈トゥルーネット保護法〉が制定され、その一環としてインターネットに残っている無意味なサービスを潰していくのが「ゾンビ・サービスの監視」業務だ。古いインターネットと新しいトゥルーネットは物理的に隔絶されているわけではなく、量子署名によって電子的に隔たっている。インターネットは譬喩的にいえば魔境と化しているわけだが、物好きなマニアはわざわざアクセスしている。高沢は自分がかつて作成した決済プログラムがインターネット上でゾンビ化し、しかもコードが改変されていることを発見する。だれが? いったいなんのために? もともとは監視職務のためだったが、やがてそれを逸脱して謎を追ううち、トゥルーネットを脅かす存在の在処にふれてしまう。
くわしくは作品を読んでもらうしかないが、この作品の終盤であらわれる存在は破壊や支配を目論んでいるのでもなく、悪意や敵対という意志で—-という以前にそもそも意志と呼べる何かで—-動いているわけではない。しかし、それは自律的な働きであり、世界を新しいステージへと誘う。それが秩序なのか混沌なのか、いまの時点では判断できない。
人間知性を経由しない「シンギュラリティ」なのだが、それでも、この作品は人間の物語なのだ。高沢という個人が判断を迫られる局面があり、「コラボレーション」というタイトルが示すように、人間もそこに—-すくなくとも新しい時代の入口にだけは—-参加しうるのだから。藤井さんの作品は単純なオプティミズムではないが、肯定的に前進できるところがいい。
「常夏の夜」では、大災害から復興しようとしているセブ島の様子を、ジャーナリストがレポートしていく。彼が使っている文書作成支援ソフトが、量子アルゴリズムの”フリーズ・クランチ法”を応用したもので、執筆の過程で捨てた文章を羅列的に並置して表示する。執筆者は複数のテキストを対照しながら、最終的な推敲ができるわけだ。たんに書き直し履歴を呼びだすのではなく、保存されうるテキストを「可能性」として調整して表示する。文章を書いているひとならば、これがどれほど便利なものか感覚的にわかるだろう。現在でも単語レベルで類語を表示する支援ソフトはあるが、その機能を文章レベルにまで拡大し、より動的に機能する—-あらかじめ持っているライブラリを参照するのではなく自然なテキストを自動調整して出力する—-と想像してもらえばよい。
量子アルゴリズムは、物流の領域でも真価を発揮する。セブ島での復興では、ドローンによる救援物資をピンポイントで配送する方策が功を奏しているが、配送戸数と品目が膨大となるため、既存のプログラムでは対応できない。ドローンの台数を増やすのは有効だが、増えたぶんだけ効率的な配送ルートを組むのがますます困難になる。組み合わせが累増するからだ。そこで”フリーズ・クランチ法”で、あらゆる組み合わせを重ね合わせて解く。
いっぽう、シンガポール軍の四足型警備用ロボット〈クラブマン〉にも量子アルゴリズムが用いられている。複数の目的を与えたときの効率的な行動を保証するためだ。セブ島では、シンガポール軍の駐留に対する抗議行動が起こっていた。
文筆、物流、軍事—-これらまったく別々の分野を、量子アルゴリズムというアイデアで一気通貫に結びつけ、ダイナミックなドラマに仕立ててしまう。最終局面でキーワードになるのが「コラボレーション」と同様、新しいシステムと人間との共生だ。それは「テクノロジーに善悪はなく人間の使いかたしだい」という次元を遙かに超えている。人間が一方的にテクノロジーを使うのではなく、テクノロジーもまた人間を使っているのだ。いや、使うという発想はあまりに人間的すぎるのだが、ほかにうまい言いかたがみつからない。ともかく、新しい世界を制御する主体は人間にはない。しかし、それでも物語は、人間の側に立ってつくられていく。それが藤井作品だ。
書き下ろしの「軌道の環」は宇宙SFで、しかも谷甲州ばりに限定状況における工学的オペレーションが焦点となる。背景となる社会も凝っており、木星系においてはイスラム教徒が多数派を占める。教義も変容を余儀なくされ、毎日祈りを捧げるのはメッカではなく地球である。異性装、性同一性障害も天賦のものとして承認し、遺伝子組み換えに対するタブーもない。木星大気鉱山の採掘作業員のジャミラも、敬虔なイスラム教徒だが異教徒への偏見はない。彼女は採掘中の事故であわや命を落とすところを、地球へ向かう謎の宇宙船に救助される。その宇宙船は、地球圏を滅ぼそうとするイスラム原理主義者が仕立てたものだった。
一味の地球壊滅作戦も奇想天外だが、それを阻止するためにジャミラが取った手段がそれに輪をかけて凄まじい。彼女が地球に祈りを捧げるために身につけていたあるものが、キーアイテムとなる展開も洒落ている。この作品もITを題材とした諸篇と同じく、個々のテクノロジーは(小さな飛躍があるにせよ)現在の延長線上にある実際的なものだが、その組み合わせやシチュエーションによって、新しい世界へつながってしまう。そのとき人間の生きかたがあらためて問われる。
(牧眞司)
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