人間価値が低落した太陽系社会で「個人の死」は復権しうるか?

人間価値が低落した太陽系社会で「個人の死」は復権しうるか?

 アダム・ロバーツはこれが本邦初紹介だが、2000年のデビュー以来コンスタントに作品を送りだし、中堅作家としての地位を確立している。SF賞の候補にもたびたびあがり、2012年発表の本書『ジャック・グラス伝』で英国SF協会賞とジョン・W・キャンベル記念賞の二冠を手にした。

 内田昌之さんの「訳者あとがき」によれば、本国イギリスではその文章力でカズオ・イシグロやイアン・マキューアンと比較されることがあるそうだが、そのいっぽうで『スター・ウォーズ』や『マトリックス』のパロディを手がけるなど、ファン気質も大いに備えているようである。本書は、作者自身が「”黄金期”のSF小説と”黄金期”の推理小説を合体させてみたいという強い衝動から生まれた」と語っている、エンターテインメント大作だ。

 最初に登場するのはドクター・ワトスン役の「語り手」だ。となれば、シャーロック・ホームズ役がいるはずだが、それがよくわからない。語り手は「わたしがここで語るのは、わたしが知るかぎりもっとも偉大な頭脳の持ち主である、かの悪名高きジャック・グラスにまつわる物語です」と述べたうえ、「(グラスは)探偵であり、教師であり、保護者であり、殺人者でもありますが、この人物がこと殺人にかけては並外れた解釈力に恵まれているのは、彼が殺人に深く精通しているからにほかなりません」と強調する。それどころか、これから語られる三篇の殺人ミステリで、「殺人者は同一人物—-ジャック・グラスその人です」とまで明かすのだ。

 ワトスン役がいきなりネタバレをかます! ぼくなどはもうそれだけで大喜びなのだが、おそらくミステリを読みなれている読者なら、これくらいの破格は想定内だろう。これはミスリーディング(ワトスン役は「犯人」ではなく「殺人者」といっているのはヒッカケ?)かも、あるいは、物語の焦点は「誰が殺したか(フーダニット)」ではなく「犯行方法」や「動機」で、そこに驚天動地の謎がしかけられているのではないか—-そんなふうに勘ぐるわけだ。

 結論からいってしまうと、作者が狙っている謎の核心はそのどちらでもない。「犯行方法」および「動機」が意外な—-そしてそこにSFならではの思考実験がかかわってくる—-エピソードもあるが、いちばんの謎はいちばんわかりやすいところにどうどうと示されていて、読んでいるうちは逆に盲点になっているという、じつに小憎らしい手妻なのである。

 なんだかまわりくどい書きかたになってしまったが、本書は本格ミステリでもあるので、どうも紹介しにくい。

 いっぽうSFの側面は非常に明快だ。時代は人類が太陽系植民を果たした未来。三度の戦争を経て民主主義や自由主義は廃れ、ウラノフ一族を頂点とする世襲の階級制度と、〈情報〉や〈輸送〉といった分野別統制のテクノクラシーとが、社会を支配している。人間はありあまっていて、リソースとしてはもっとも価値が低い。しかし、そんな世界だからこそ、アウトローのジャック・グラスが際立つのだ。

 しかし、ストレートにジャック・グラスの活躍が描かれるわけではない。第一部「箱の中」では、七人の囚人が小惑星へ島流しになる。刑期のあいだに、彼らは小惑星を居住可能な環境へとつくりかえなければならない。失敗すれば、真空・冷気・水不足いずれかの要因によって死ぬだけだ。使える道具は限られており、七人のなかには粗暴な者、利己的な者、得体の知れぬ者などがいて、まったく足並みが揃わない。

 読者は「この七人のなかのだれかがジャック・グラスなのか?」と訝しみつつ読み進むのだが、その興味が満たされる前に悲劇が起こる。隔絶した小惑星は、謎解きミステリの定番である「吹雪に閉ざされた山荘」のバリエーションだ。大きく違うのは、殺人者の動機がどうあれ、殺人は被害者の命だけではなく、手を下した本人の命にもシビアに関わってくる点だ。労働力が欠ければ、小惑星を居住可能に改造する作業も滞ってしまう。囚人たちの運命やいかに……。

 第二部「超光速殺人」でも、ジャック・グラスはなかなか正体をあらわさない。こちらのエピソードは冒頭で殺人と思われる不可解な死が示され、探偵役が犯人捜しをおこなう、本格ミステリのオーソドックスな筋道をたどる。ここで探偵役を務めるのが、ウラノフ一族に次ぐ階級の一族アージェント家の娘ダイアナだ。芳紀まさに十六歳の彼女は仮想世界のミステリ・ゲームが趣味で、現実の殺人事件にも同じ感覚でチャレンジする。

 被害者はアージェント家の召使いの男で、密室と思える状況下で撲殺されていた。容疑者は殺された男と同じときに屋敷にいた、やはりアージェント家の召使い十九人で、すべて警察に拘束されている。しかし警察なんかに任せておけない。ダイアナは教育係の中年男性アイアーゴを助手として、自力で謎を解こうとするのだ。しかし、ウラノフ一族直属のエージェント、ミズ・ジョードがジャック・グラスの足取りを追ってこの事件に首を突っこんできたり、ダイアナの姉エヴァ(天才的な天体物理の研究家)が取り組んでいるシャンパン超新星の謎や、なかば都市伝説のようにささやかれている超光速テクノロジーの噂まで絡んできて、ややこしい。

 超光速テクノロジーは、第三部「ありえない銃」でも重要な役割を果たす。このエピソードでは、第二部「超光速殺人」の解決と引き換えに、太陽系を転々と渡り歩くことになったダイアナとアイアーゴ、そして忠実な召使いの娘サフォウが、ウラノフ支配体制を揺るがす謎へ接近してしまう。また同時に、ダイアナも無邪気な少女時代を捨て、権謀術策のなかで生きることを余儀なくされる。

 ダイアナに対して、アイアーゴはこう諭す。

「個人レベルでは、死はつねに決裂であり、暴力です。しかし全体で見れば、死は宇宙がそれによって均衡を保つ釣鐘曲線です。それがなければ、どんなものも機能せず、あらゆるものが崩壊し、行き詰まり、停滞します。死は”流れ”なのです。宇宙を動かすために必要な潤滑油です。死とは、本質的に、誉められるべきものでもなければ責められるべきものでもないのです」

 本格ミステリの勃興は、大戦がもたらした大量死によって剥奪された「個人の死」の尊厳を復権させるものだった—-と論じたのは笠井潔さんである。それを前提とすると、人類が宇宙へ進出し、資源やエネルギーに比べ人間がリソースとしての価値を低落させた『ジャック・グラス伝』の太陽系では、「個人の死」はいかに復権しうるのだろう?

 アダム・ロバーツは正面切ってこの問題と向きあっているわけではないが、非常に古典的なロマンチシズムによって「個人の命の重さ」を賞揚する。たしかに、物語としてはきれいに決着がついている。しかし、それにしてもわからないのは、ジャック・グラスっていったいどんな人間なのかということですね。

(牧眞司)

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