母と娘の5日間の会話〜エリザベス・ストラウト『私の名前はルーシー・バートン』

母と娘の5日間の会話〜エリザベス・ストラウト『私の名前はルーシー・バートン』

 私は両親とまずまず良好な親子関係にあったつもりでいるが、改めて思い起こしてみるとふたりについて知らないことも多々あるような気がして驚く。知り合ったのは母が勤めていたデパートの婦人服売り場に、父が営業で来たのがきっかけ。母は2歳になる前に父親を亡くしており、父は農家の次男で家からの仕送りなど一切期待できず、ともに貧乏人同士の夫婦で給料日前にはいつもふたり合わせても数十円しかなかったこと。母は当時としては高齢出産になるタイミングの結婚で(父より6歳年上)「早く子どもを産みたいと焦っていた」、父は「脚のきれいな女と結婚したかった」というのが、それぞれ結婚を決めた理由。…と、小ネタ的な話はちょいちょい聞かされていたのだが、そのときの両親の心の動きのようなものはよくわからない。ふたりが亡くなった今となっては知る術もない。

 本書の主人公であるルーシー・バートンは、1980年代半ばにほぼ9週間に及ぶ入院をした。その当時に彼女がどのように感じたり考えたりしたかということ、とりわけ彼女の母が見舞いに来て5日間にわたり病室に滞在したときに抱いた感慨が、細やかに描写されている。その頃のルーシーは、夫と2人の小さな娘とともにニューヨークのウェスト・ヴィレッジに住んでおり、文芸誌に2作ほど短編が載ったことのある駆け出しの作家だった。実家は両親と兄と姉がいる5人家族。貧しい暮らしであったことも原因であろうが、何より家族からの愛情をあまり感じられずに過ごしたことが彼女の心に影響を及ぼしているようだ。そこへ不意打ちのように、ルーシーの母親が見舞いに現れる…。

 入院生活というのは、人間を内省的にさせるものではないだろうか。四六時中痛みに苛まれているとか昏々と眠り続けているとか気合いを入れてリハビリに励まなければならないとかでない限り、病院ではあまりやることがない。病状や先行きへの不安などもあるし、自ずと自分を見つめざるを得なくなる(と、知ったようなことを書いているが、出産時以外の入院は未経験の私)。そんな中で過去のわだかまりを意識させる母親と対面することになり、ルーシーの気持ちは大いに揺れる。一般的に同性同士の親子関係は難しいものだとされているようだ。自分ではほとんど感じたことはないのだが、母親とうまくいかずに悩む娘の話は一般論としても身近な話題としてもよく耳にする。時に温かく励ましたかと思えば素っ気なく接してみたり、ルーシーの母親の娘に対する態度は一貫性を欠きがちだ。ほんとうは母親の愛情に飢えているルーシーがそのたびに一喜一憂する様子には、寄る辺ない幼子を見るようで胸が痛む。もしこの小説をルーシーの側からのみ見るならば、母親が一方的に感じ悪いと思うかもしれない(実際、母親に追い詰められている娘たちにはそうとしか読めないだろう)。しかし母親の立場から考えれば、彼女は愛情表現が著しく下手なだけの人間とも思える。ルーシーの母親は仕事が長続きしない夫と生計を支えるのに精一杯で心に余裕がなく、噂好きで下世話なところもある。それでも、病床のルーシーになんとか優しくしようとしたし、何より遠路はるばるやって来て娘のそばに5日間留まった。「いやいや、貧乏でももっと愛情にあふれた家庭はいくらでもあるし、子どもが入院したとなれば駆けつけるのは母親として当然ではないか」と言われればそれまでであるが、まったく愛情のない相手に対してだったらこのようなことはしない。そこには確かに愛情があったと信じたい。

 なんにせよ、ルーシーが母親と話せたのはよかった。私はもう、母とも父とも話すことは叶わない。そんなにお金のない状態で私を産むことに不安はなかったのか、ほんとうのところ結婚に踏み切った真の決め手は何だったのか(いくらなんでも脚だけで結婚相手を選ぶような軽薄な父親だったとは思いたくない)、もう知ることはできない。後悔のない人生などないとわかっていても、常に親との別れを念頭に置いて暮らすのもそれはそれで違和感があるにしても、大切な人とは少しでも長く一緒に過ごしたり歩み寄ったりできるといいなと思う。それが可能である間に。

 著者のエリザベス・ストラウト氏は、『オリーブ・キタリッジの生活』で2009年度ピュリッツァー賞(小説部門)を受賞。ルーシーと同じくニューヨーク在住の作家である。本書では、ルーシーが家族以外の人々と心を通わせる様子も描かれる。他人の心にずかずか立ち入ったりすることはないが、かといって温かさに欠けるわけでは決してない、都会の人間同士らしいつきあいが人の心を救うこともあることを繊細に表現していると感じた。人と人とのつながりはときどきほんとに難しい、それでもそこから得られる幸せは苦痛を補ってあまりあるほど大きい。ただ自分が自分として生きている、そのことの意味とかけがえのなさを『私の名前はルーシー・バートン』という小説は読者に伝えていると思う。

(松井ゆかり)

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