アイスランド発、新米警官の奮闘物語〜ラグナル・ヨナソン『雪盲』
レイキャヴィークの警察学校を卒業したアリ=ソウル・アラソンは、北の外れといってもいい小都市シグルフィヨルズルの警察署に雇われる。上司のトーマスが彼の住むことになる部屋に案内してくれた際に驚いたのは、鍵を渡そうとしなかったことだ。最初から施錠されていなかったのである。驚くアリ・ソウルにトーマスは言う。
「意味ないんだ。ここらじゃどうせ何も起きないんだから」
どうせ何も起きない。
ではその町で警官は何をすればいいのだろうか。
ラグナル・ヨナソン『雪盲』(小学館文庫)は、アイスランドを舞台にした警察小説だ。先輩格の作家アーナルデュル・インドリダソン(『声』ほか)の邦訳が成功を博したことを受けて注目が集まりつつあるアイスランドだが、その文化や風土、慣習などには北極圏にごく近い国だけに、日本とはまったく違う点が多い。たとえばかの国では気候の影響で灌木よりも高い樹木は自生しないのである。二メートル以上の高さがある木はたいへん珍しい。本書の中でもノルウェーから贈られてきたクリスマスツリーが過熱したデモ参加者に火をつけられるという場面がある。なぜそんなものを、と日本の読者なら思うところだが、おそらく高い木を燃やすと注目を浴びるからなのだろう。
人口千二百人程度というシグルフィヨルズルは本当に小さな共同体である。アリ=ソウルは、警察学校の前は神学校に通っていた。そのことがいつの間にか住民に知れわたり、全員が彼のことを牧師と呼ぶ始末である。この町では人目を離れて逢瀬を重ねることだって難しい。それに適した場所が皆無だからである。
――カップルが偽名で泊まれるホテルはここにはない。町にひとつしかないホテルの支配人は親の旧友で、フロント・マネジャーは同窓生だ。
親密といえば親密、しかしそれを息苦しく感じる者も中にはいるだろう。そうした小さな町で事件が起きてしまうのだ。「ここらじゃどうせ何も起きない」はずだった、小さな小さなシグルフィヨルズルで。
ある日、町で劇団を主宰していたフロルフルという人物が死亡した。劇場の階段から落ちたのであり、トーマスは事故死と断定する。しかしアリ=ソウルは上司の下した判断に疑問を抱いた。さして根拠はなかったが、関係者に聞き込みを続けている間に次の事件が起きる。劇団員の一人、カルトゥルが同棲していた女性、リンダが瀕死の状態で発見されたのだ。犯行時刻と思われる時間帯、カルトゥルには仲間とポーカーをしていたというアリバイがあった。とすれば誰か他の人間がリンダを刺したのだ。深い傷を負ったリンダを雪の上に放置して死なせようとした者はいったい誰なのか。
住民全員が知り合いであるような小さな町で起きた事件を描くサスペンスである。小説に派手なところはないが、アリ=ソウルという新参者の目から町の人間関係が描かれ、ほころびが見つかっていくあたりの展開はなかなかに読ませる。主人公はレイキャヴィークに恋人を残して赴任しているのだが、別の女性に心を惹かれてしまって苦悩する。そのへんのうぶな書きぶりも好ましいところだ。作者のラグナル・ヨナソンは本書を第一作とするシグルフィヨルズル警察小説の連作を発表しており、シリーズは〈ダーク・アイスランド〉と名付けられ、二〇一四年までに五作が発表されている。実は本書の前に、神学校時代のアリ=ソウルが失踪した父親の行方を捜すという前日譚が書かれており、作者にとって彼は愛着のあるキャラクターであるようだ。鄙の町にやってきた新米警官の物語、できれば続けて読んでみたいものである。
(杉江松恋)
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