なぜ女子大生がアイドルプロデューサーになったのか(アイドルプロデューサー 吉田海音) 【ガジェット通信】

こんにちは!初めまして。

今日から【ガジェット通信】さんにて記事を書かせて頂くことになりました、

吉田海音(よしだみお)です!

青山学院大学の総合文化政策学部の3年生です。

現在は大学生をしながら、ソロアイドル「~永遠少女症候群~ゆゆ」のマネージャーを担当していたり、女性向けグラビアフォトブック『がるびあ~Girls Gravure~』のプロデューサーをしていたりします。

~永遠少女症候群~ゆゆ
 http://www.eternal-girl-syndrome.com/
 https://twitter.com/yuyu_makihara [LINK]

がるびあ創刊号
 http://wonderphotoshop.jp/exhibition/girlsgravure.html [LINK]
 https://twitter.com/girlsgravure [LINK]

ガジェット通信では主に自分の経験や考えについて書いていこうと思っております!
宜しければ継続してお読み頂けたら嬉しいです(*゚ー゚)v

まあそんなことを言われても

 ≪≪≪誰だお前≫≫≫

感がぬぐえなすぎると思うので( ^ω^)……

初回ということもありますし、今回は自己紹介をさせて頂きたいと思います!

名前:吉田海音(よしだみお)
ニックネーム:みおみお
生年月日:1996年5月29日(20歳……もうすぐ21歳になりますね)
星座:ふたご座
血液型:A型
身長:153センチ(盛って)
大学:青山学院大学総合文化政策学部広告
職業:「~永遠少女症候群~ゆゆ」マネージャー

↑初期情報はこんな感じです!

なぜ私が今、ソロアイドル「~永遠少女症候群~ゆゆ」のマネージャーをしているかということを説明するためにも、高校1年生の私から振り返っていきたいと思います。(ここから長いです)

高1の時の私です!

中学校時代適度に学校でいじめられていた(?)というかハブられていた私は、クラスの中にほとんどお友達が居ませんでした。
そんなある日、出会ったのが【アイドル】という存在でした。
当時AKB48さん全盛期!
空前のアイドルブームの中、私はアイドルにのめりこんでいきました。
学校はめちゃくちゃつまらなかったけれど、アイドルの動画を見たり、ライブ会場に足を運ぶことで日々のストレスを発散させていたのです。

ヲタクとしてアイドルを追いかけるうちに、自分もアイドルになって、誰かの背中を押してあげたり、元気を与えられるような存在になりたいと考えるようになりました。

そこで、中3の5月に、当時通っていた芸能活動禁止の私立女子中学校から他の高校に受験することを決意
半年間の猛勉強の甲斐あって、第一志望の青山学院高等部に合格することができました!

高校入学後すぐ、アイドルオーディションを受けました。
人生で初めて受けたアイドルオーディションが「ポニーキャニオンアーティスツ」のオーディションでした。

なぜAKB48ではなくそのオーディションを受けたか?

特に理由はありません(笑)

たまたま買ったオーディション雑誌のアイドルページに、一番最初に書いてあったから受けた。

そんな感じの軽い理由で受けました。

すると見事合格!!!

二次審査の面接時に、英単語を覚えながら時間をつぶしていたことをよく覚えています。

オーディション後合格すぐに、【シブヤDOMINION】というグループでデビューすることが決定しました。
この写真は一番最初に撮った宣材写真です。

シブヤDOMINION(以下シブド)のメンバーになってからは、

7時 起床
8~16時 学校へ行く
16時 学校が終わり次第ライブハウスへダッシュ
18~20時 ライブ
20~22時 物販
24時 帰宅
26時 就寝

という生活をほぼ毎日繰り返していました。
夢のアイドル生活は、想像していたより過酷でしたね(笑)

活動しているうちに、関西のアイドルグループ【JK21】さんとの期間限定混合ユニット【LuckyMates】のメンバーにも選んでいただき、CDもリリースさせて頂きました!

東京・大阪・名古屋出身のメンバーがそろった6人組だったので、大阪遠征が多かったです!

普通のライブも、タイムテーブルの中にシブドとLuckyMatesの出番が両方あったりして(笑)

早着替え・早移動・早物販

を繰り返していましたね。

そんなこんなでアイドル生活を頑張っていたのですが、ハードスケジュール故にみるみるうちに学校の成績がダウン……

元々芸能活動に反対していた両親との約束で
【成績を落とさない】
という条件のもとアイドル活動を始めていたので、家族間での関係性は悪化

+過密スケジュールで、精神的にボロボロになっていき、胃腸炎が頻発するように!

これはやばいな。
と自分の中でパッとひらめき、シブドを卒業しました。

アイドル引退後は楽しいことを求めて当時流行っていた高校生イベントのスタッフに!

【Uptoyou.】という高校生のみで運営しているイベント団体のスタッフになったのですが、これがもうめちゃくちゃに楽しくて!

大人の力を借りずに箱を借りるところから、協賛・出演者集め、イベント運営を経験し、見事中高生1200人をZeppDivercityに動員しました。

翌年、高校3年生になり、【Uptoyou.2nd】の副代表になりました。
各々異なる高校に通う40名前後のスタッフ達と、渋谷のO-EAST、duo MUSIC EXCHANGE、O-Crestの3会場を貸し切り、イベントを開催!
2年間とても楽しいイベンター生活を送りました!

【Uptoyou.2nd】の協賛集めをしているうちに【パールレディ】というタピオカショップの方に出会いました。
そして【パールレディ】のイメージガール・アイドルグループ【PLC】に加入しないか、というお話を頂きました。

イベンター生活を通じて、自分は表に出る演者よりもスタッフの方が向いていると気づいた私は、半年間断り続けました。
何度も何度も断りました。
でもそんなある日、「自分がプレイングプロデューサーのような気持ちでやってほしい」と社長に言われ、なぜかその言葉が自分の心に刺さり再びアイドルを再開することを決めました。

PLCの活動を1年半続けたとき、
自分がアイドルを始める高1の時に決めた、アイドルとしての終わりのタイミング【20歳の誕生日】が近づいてきました。

PLCも、メンバーのことも、ファンの皆さんのことも大好きだったので、かなり引退を決意するまでには時間がかかりました。

ですが、一度決めたことはやり通す派なので!
PLCの卒業を発表。

昨年5月にアイドルを引退しました!

アイドル引退後はしばらく学校のことに真剣に取り組んでいました。

すると、クリエイティブディレクター箭内道彦が教鞭をとる広告ラボのラボ長になりました!

そのラボは授業なのですが、広告の研究に関係していれば割とゆるく自分の企画を遂行できるという素敵なラボでアイドル現役時代から考えていた、「女性向けグラビアフォトブック」の企画を立て、富士フイルムさんのご協力の元今年2017年4月に見事完成しました。

創刊号は『がるびあ~~Girls Gravure~』というタイトルで
ガジェット通信の記者でもある【森あんな】ちゃんや、【FES☆TIVE】さんにモデルとしてご出演頂きました。

ここまでの説明、なが~~くなりましたが、要は『がるびあ』の出演者を集めるために様々な大人の方々と出会い、その内にこの【ガジェット通信】さんのお仕事や、ゆゆのマネージャーのお仕事にたどり着いたという訳です。

人のつながりは何よりも大切ですね。

人生で一番大切にしたいものは、人のつながりです。
そして、その大切な皆さんの期待と信頼を裏切らないように、今年も頑張っている最中なのです。

そんな感じで長い自己紹介はこれで終わり!

ここまでお付き合いいただきありがとうございました(*´∇`*)

これから今までの経験を活かして、また現在の活動を通して日々感じていることを記事にして掲載させて頂きますので、是非宜しくお願い致します。

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(執筆者: yoshidamiomio) ※あなたもガジェット通信で文章を執筆してみませんか

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