みんな難しく考えすぎ。まずは、やってみることです――絵本・童話作家・きむらゆういち氏の仕事論

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プロフィール

東京都生まれ。多摩美術大学卒業後、造形教室の指導、テレビ番組のアイディアブレーンを経て、絵本・童話作家になる。1994年に刊行された『あらしのよるに』(シリーズ名:木村裕一・講談社刊)は累計350万部。その作品で講談社出版文化絵本賞、産経児童出版文化賞JR賞を受賞した。そのほか累計1200万部を超える『あかちゃんのあそびえほん』(偕成社刊)シリーズなど、600冊の著者がある。

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『あかちゃんのあそびえほん』は累計1200部、

『あらしのよるに』は累計350万部と

ベストセラーを出してきたきむら氏。

どうやってヒットメーカーとなったのか。

「自分には生きている意味があるのか」と思っていた

もともと絵本作家になろうとは思っていなかったんです。ここまでたどり着くまでに様々な選択があって、その都度どっちに行くか、悩みながら進んできました。今、振り返ってみると、選んだ道は全部つながっていて、一本道なんですけどね。偶然、選んだものが重なり合って、あたかも必然だったように道が作られていく。歴史というのはそういうものですよね。

転機となった出来事はいくつかあります。最初は高校生の時。それまでの僕は引っ込み思案で消極的で、なるべく人前に出ないようにしていました。授業でも、先生からさされないように気配を消していて。自信がなくて、「自分は生きている意味があるのか」と思っていました。コンプレックスの塊だったんです。

そんな僕が高校の美術部の部長になった。実は、僕は昔から絵を描くのが好きだったけど、僕の高校には美術部がなかったんです。それで僕とその友達、つまり気の弱い3人組で「美術部でも作ろうか」という話になった。でも、部を作るには、部長の欄に名前を書かなきゃならない。譲り合った結果、絵画学校に通ったことがあるという理由で、僕が部長をやることになりました。

部長になると、人前で話さなくてはなりません。全校生徒の前で美術部の紹介をしたりもするわけです。最初は自信がなくて、「先生が〇〇だと言ってたよ…」と伝言の形でしか言いたいことを伝えられなかった。でもやっていくうちに自分の言葉で話せるようになっていきました。経験を積むと人は変わっていくんですね。

文化祭でも積極的に絵を発表するようになって、そのうちに先生からも「図書館が寂しいから、絵を飾ってみないか」と言われるようにもなりました。その絵を見て「いい絵だったな」とほめてくれる先生もいて、ますます自信がついてきた。自分の言葉で話せるようになったからか、今度は小説を書きたくなって、数人の友達を集めて同人誌を作るようにもなりました。

引っ込み思案で自信がなかった僕が、部長になったことで、180度、変わっていきました。「自分にもできることがある」と、そう思うようになっていったんです。

好きなことで食べるため、高校生で始めたレンタルアート業

自分にできることは分かった。次に僕が抱えた悩みは、「どうしたら好きなことで食べていけるか」です。高校生でそんなことを考えるなんて珍しいかもしれないけど、それには僕の家庭環境が影響しているのでしょう。僕は10歳のころに父親を亡くしていたし、母親から「あんただけが頼りよ」と毎晩のように言われた時期もあった。だから、「好きなこと」で食べていくだけでなく、「安定」した生活も必要だったんです。

好きなことで食べていくにはどうしたらいいか。考えた末、高校生の僕はレンタルアート業を始めました。喫茶店に自分たちが描いた絵を持って行って、有料で置いてもらうんです。都内の喫茶店をいろいろ回ったのですが、結局、お金を出して絵を置いてくれたのは2軒だけ。なかには「お金は出せないけど、コーヒーは無料にしてあげる」なんて言ってくれた人もいたけど、商売にはならなかった。それからはずっと「好きなことで食べていくにはどうすればいいか」、こればっかり考えて、いろんなことに手を出してきたんですよ。

フリーで働くときのために、期限付きで会社に勤めた

美大を卒業してからは、会社員を2回経験しています。どちらも、フリーで食べていくにはどうしたらいいか、を学ぶためです。「金もない、コネもない、実績もない」でしょ。それなのに、いきなりフリーになるのは無理だなと。だから独立したときに必要な社会経験を学ぶことにしたんです。最初から期限付きでね。あと、作家になったときに、社員旅行の場面が書けないと困るしなあ、なんてことも考えていましたよ(笑)。

最初の会社はマネキン製作会社。僕が配属されたのはカツラを作る部署。9カ月勤めました。その後はデザイン事務所に1年間。企業のチラシとかパンフレットなどを制作する会社です。1年後には自分の事務所を作る予定だったから、そこでは特に営業の仕方を学びました。すでにそのころはフリーでも仕事を始めていたので、毎日、忙しかったですよ。平日はデザイン事務所に行き、休日はフリーの仕事。2足のわらじは大変だったけど、新しいことを始めるときは仕方がないんじゃないかと思います。

「安定」した生活を得るために、大学を卒業すると同時にやっていたことがもう一つあります。それは子ども造形教室です。子どもたちと一緒にアニメーションを作ったり、陶芸をやったり…、造形教室を始めるといっても、造形の教え方なんてわからないし、そもそも子どもと接したことがなかったので、自分が楽しいと思うものは何でもやりました。アニメーション制作も、自分が大学時代にやって面白かったものなんです。教室の運営方法も集客もわからないから、公民館を借りて、電柱にポスター貼って生徒を募集しました。最初の生徒は一人です。教える大人のほうが多かったくらい(笑)。でも、続けていくうちに徐々に生徒が増えてきて、教室っぽくなっていった。そのうち「面白いことをやっている人がいる」と、新聞やテレビ局から取材がくるようになったんです。

この教室は23年続いたんだけど、子どもたちと直に接したことは絵本を書く上でとても役に立ったし、本を出版するきっかけにもなった。何かをやっているとつながるんですよ。わらしべ長者みたいに。だから、やり方がわからなくても、資金がなくても、とりあえず、思いつくことをやってみる。これが大事なんだと思います。

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生活を安定させるために

始めた子ども造形教室。

これが絵本の製作につながったという。

最初は全然売れなかったというが、

何がヒットにつながったのか。

何かをやっていると、いい仕事が転がってくる

僕はいつもわらしべ長者なんです。不思議なことに、何かをやっていると仕事がころがってくる。絵本を書くきっかけもそうでした。

造形の教室が特集されたテレビ番組を見ていた人が出版社を紹介してくれて、造形に関する本を出すことになりました。でも本を出したからって、食べていけるわけではない。そこで同じように仕事がないクリエイターを集めて、出版記念パーティを開いたんです。出版社の人をたくさん呼んだら、仕事につながるかもしれないと考えて。結局、出版社の人はほとんど来ませんでしたけど(笑)。でも、唯一つながったのが、付録の仕事。そのパーティに小学館の人がきてくれて、付録をやってみないかと言ってくれたんです。しばらくその仕事をやっていたら、姉貴から「子どもの工作をまとめた事典をつくって、幼稚園に売り込んだらいいんじゃないか」と言われて、姉の会社で工作事典を作ってみました。営業も雇って幼稚園に売り込んでみたものの、全然売れない。倉庫には在庫の山。困り果てましてね。でも世の中不思議なもので、なんとかなるんです。ちょうど、「保育事業部を作ったんだけど、売るものがない」という出版社が現れて、自分たちの代わりに工作事典を売ってくれるという。だけど、やっぱり全然売れなくて。仕方がないから、僕が代わりに幼稚園に行って、実際に目の前で工作をして見せたんです。そしたら面白がってくれて、突然、売れ始めました。

結局その工作事典は、シリーズで100万部近く売れました。そしたら新聞社から取材が来て、その記事を読んだNHKの人から「おかあさんといっしょ」のブレーンになってくれと言われて。そんな感じで、どんどん仕事が広がっていったんです。

見本が3冊あったら、見よう見まねでなんとかなる

どうやったら仕事がうまくいくんですか、とよく聞かれます。まずは、やってみることです。みんな難しく考えすぎなんですよ。シリーズで1000万部になった『あかちゃんのあそびえほん』は「しかけ絵本」なんだけど、出版社から「しかけ絵本」の話をもらうまで何の予備知識もなかったんです。実はこの話は、もともと別の作家に頼んだものだそうです。そしたらその人が「自分はしかけ絵本は苦手だから」と、僕を紹介してくれた。僕だってしかけ絵本のことは何も知らないんですけどね(笑)。でも、試しに4冊くらい作ったら面白がってもらえて、出版することになったんです。

その後、ファミレスで編集者と別の本の打ち合わせをしていたら、「赤ちゃんの絵本で何か企画ないですか」と言われて、ちょうどそのころ長女の子育てをしていたので、遊びながらあいさつを覚えられる本があったらいいなと思いついたんです。それが『あかちゃんのあそびえほん』シリーズ最初の本『ごあいさつあそび』です。ファミレスの紙ナプキンにちょこちょこっと書いただけの企画です。それがものすごいヒット作になった。

僕がやってきたことは、最初はほとんど見よう見まねです。どんなことでもできないことはないんですよ。しょせん人間のやることですから。見本を3冊くらい手に入れて、「なんとなくこうかな」でやってみる。うまくいかなかったら、その都度うーんうーんと考えてなんとかすればいい。新しいことをやるときのコツは、数を作ること。僕も最初の本のときは、企画を120本、出しましたから。下手な鉄砲、数うちゃ当たる、です(笑)。

あと大事なのは、すぐに結果を求めないこと。『あらしのよるに』も売れると思って書いていません。『あかちゃんのあそびえほん』がミリオンセラーになってから同じような仕事ばかり依頼されるようになって、このままでは赤ちゃん向けの作家だと認知されてしまうと危機感を覚えたんです。それで、全く違うジャンルの本を書いてみた。だから売れるなんて考えていませんでした。最初は1冊だけのつもりが、評判が良くてシリーズになって、映画にもテレビアニメにもなって、いつの間にか、累計で350万部になったんです。

最後にもうひとつ大事なこと。それは自分が楽しんでやることです。最近出した『そのままのキミがすき』『あなたなんてだいきらい』という2冊の本があるんですが、『そのままのキミがすき』は男性から女性に贈るために、『あなたなんてだいきらい』は女性から男性に贈るために作りました。もともと『そのままのキミがすき』は別の形で出版されていて、講演会で読んでいてとても評判が良かったもの。だから何か新しい形にして出したいなとずっと思っていたんです。お互いにプレゼントできる本って、あったら素敵でしょ。だからプレゼントのパッケージ風に表紙も工夫しました。制作に半年もかかってしまったけど、女性からこういうことを言われると嬉しいな、なんて考えるのは楽しいですよね。だから大変な作業でも続けられたんですよ。

※リクナビNEXT 2016年12月14日「プロ論」記事より転載

『あなたなんてだいきらい』『そのままのキミがすき』 きむらゆういち・作 高橋和枝・絵

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代表作『あらしのよるに』は、映画・テレビアニメ・歌舞伎にもなり、日本中を感動の渦に巻き込んだ。キャラクターデザインを担当したEテレ「パッコロリン」は子どもたちに大人気。そんな数多くのヒットメーカーである、きむらゆういち氏の新作は、大人の男女のための絵本。『あなたなんてだいきらい』『そのままのキミがすき』2冊同時に発売された。

『あなたなんてだいきらい』は、女性が大好きな男性に抱く複雑で切ない思いが描かれている。一方、『そのままのキミがすき』は、男性が愛しい女性に対して感じるやさしい気持ちが描かれている。『あなたなんてだいきらい』は女性から好きな男性に、『そのままのキミがすき』は男性から好きな女性に。お互いにプレゼントし合うと素敵な関係が築けそう。

(あすなろ書房刊、定価850円、税別)

EDIT/WRITING 高嶋ちほ子 PHOTO 栗原克己

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