1985年の『ベーマガ』と『LOGIN』見たら上司と社長が載ってた話 【おっさんホイホイ】
※このコラムは1985年頃を背景とした昔話が主体となっております※
先日、「電脳ドン・キホーテ」を自称する秋葉原のPC・ゲームショップ『BEEP』に行ってきました。このお店、古い古いパソコンゲームやパソコン本体、ゲーム基板など、PCに関する“タイムスリップ系”のものはだいたい揃っているという珍しいお店なのです。88、X1、68、MSX辺りはだいたい有る、って言ってピンとくる人向けです。そうです。あなたの心です。
さてこの『BEEP』、以前取材させていただいたよしみもありまして、顔なじみになった店長さんがいらっしゃるのですが、その店長さんが「ちょっとちょっと」と手招きしている。
「面白いもの見つけたんですよね」と渡してくれたのは、1985年の雑誌『マイコンBASICマガジン』(電波新聞社)と『月刊ログイン』(アスキー)のバックナンバー。
ああ、このパックマンの表紙の『ベーマガ』、めっちゃ読んでました! たしか古川君に借りて読んだやつだ。1985年の記憶、意外と健在。この「RPG大特集」の『ログイン』も多分読んだことがあるやつです。
中を見せてもらうと、ネット由来のネタ画像で見たことのある広告が目に飛び込んできます。ゲーム攻略記事とか、どれもこれも見覚えがある。
新作マル秘情報が『XANADU』とか『レリクス』とか『Mr.PC』6601SRとか『FLAPPY』と『マカダム』が隣り合った広告とか(笑)。果ては「ファミコン通信 速報!ドルアーガの塔」ですからね。
そして「パックランド徹底大研究」はもちろんのこと、「周辺機器使いこなしマニュアル パソコンの可能性をグーンと高める フロッピディスクの巻 一度使ったらやめられない!!高速大容量!」とかたまりませんな。
この頃の雑誌って、圧倒的に情報が少ない時代の情報源だったので、当時の僕らは繰り返し繰り返し、それこそ広告も含めて隅々まで読みましたよね。
「……あったあった」
そういって店長さんが開いた『ログイン』を見ると、若者たちの写真から始まる特集ページ。「目指せゲームメーカー日本一! 平均年齢21歳、若きプログラマー集団 ゲーム・アーツ」とあります。
そう、この頃の『ゲーム・アーツ』は大ヒット作『テグザー』を生み出した新進気鋭のゲームメーカーなのです。その『テグザー』のゲームデザイン、キャラクター・グラフィックデザインを担当した上坂哲氏は、ガジェット通信と居を共にする未来検索ブラジルのエンジニアです。(つまり筆者の上司)
32年前、かつて自分が読んでいたころは、この人と一緒に仕事するとか、文字通り夢にも思わなかったなあ。当たり前だけど。
それじゃあ、とばかりにもうひとつ、『マイコンBASICマガジン』3月号のとあるページを開くと、そこは投稿プログラムのコーナー。
「PC8001mkII/SR用 トンキー君のブロック・ゲーム」と銘打たれた投稿プログラム。投稿者は「深水英一郎」。はい、未来検索ブラジルの社長です。
本人にこのページ見せたら、なぜか異様に怖がっていました。未来検索ブラジルは検索エンジンを作るプログラマ発祥の会社なので、現役の精鋭プログラマに、「えっ、こんな書き方してたの?」と指摘されるのが彼にとっては(想像するだけでも)怖いらしいのです。中学2年生の8001用のプログラムにダメ出しする大人のプログラマは居ないと思うんですが……きっと。
ちなみに、昔は雑誌に掲載されているゲームをプレイするには、雑誌に掲載されているプログラムをそのまま自分のコンピューターに手打ちで入力する必要がありました。そして深水氏の場合、プログラムを入力する際には、弟の周二郎氏(小6)に読みあげをしてもらっていたそうです。その周二郎氏も、今ガジェット通信でカメラマンとして活躍しています。
そして、当時の僕は、パックランド特集号の深水少年が後に作る会社で働いて、真冬に水を浴びたり[参考リンク]、半裸でブレイクダンスを踊る動画[参考リンク]を撮影するなんて、当然ながら夢にも思いません。
とはいえ、当時に自分が熱中していたメディアに出ていた人が、今現在リアルに関わっているのは奇妙というか、面白いもんだなあとしみじみ思いました。
そんな数奇な出会いが、秋葉原のお店にはまだまだ眠っていいるかもしれませんね。あなたもよろしければ、秋葉原にお越しになってバックナンバー調べてみてはいかがですか?
引用:『マイコンBASICマガジン 1985年3月号』(電波新聞社)、『月刊ログイン 1985年9月号』(アスキー)
取材協力:BEEP秋葉原
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