<怪獣ブーム50周年企画 PART-7>『宇宙大怪獣ギララ』
●「怪獣ブーム」とは
今から50年前の1966年1月2日、記念すべきウルトラシリーズの第1作目『ウルトラQ』が放送を開始した。『鉄腕アトム』や『鉄人28号』などのアニメを見ていた子供達は、一斉に怪獣の虜となった。すでにゴジラ映画は6本を数え、前年の1965年にはガメラがデビューした。『ウルトラQ』終了後、これに拍車を掛けたのが同時期に始まった『ウルトラマン』と『マグマ大使』。見た事もない巨人が大怪獣を退治していく雄姿に、日本中の子供達のパッションがマックスで弾けた。
これに触発された東映も『キャプテンウルトラ』『ジャイアントロボ』『仮面の忍者赤影』と次々に怪獣の登場する番組を制作。大映はガメラのシリーズ化に併せて『大魔神』を発表し、日活と松竹も大手の意地を見せて参戦した。そして少年誌はこぞって怪獣特集記事を組み、怪獣関連の出版物や玩具が記録的セールスを計上した。これは「怪獣ブーム」と呼ばれる社会現象となり、『ウルトラセブン』が終了する1968年まで続いた。
ちなみに『帰ってきたウルトラマン』『仮面ライダー』が始まる1971年から1974年にかけて再ブームを起こすが、これは「第二次怪獣ブーム」(「変身ブーム」ともいう)と呼ばれ、最初のブームは「第一次怪獣ブーム」として厳密に区別されている。
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『宇宙大怪獣ギララ』
1967年・松竹・88分
監督/二本松嘉瑞
脚本/元持栄美、石田守良、二本松嘉瑞
出演/和崎俊也、ペギー・ニール、岡田英次、柳沢真一、藤岡弘ほか
ちょうど50年前の1967年の春、邦画界の斜陽とは裏腹に「怪獣ブーム」はピークに達していた。ゴジラの東宝、ガメラの大映に続き、東映もお家芸の時代劇に怪獣を登場させた『怪竜大決戦』で便乗していた。このブームに乗り遅れていた松竹と日活は、両社共に初の怪獣映画に挑戦する。海外セールスが好調な怪獣映画で外貨獲得を狙う社団法人・映画輸出振興協会は、多額の融資で興行不振の松竹と日活をバックアップした。今回は先に公開された松竹の『宇宙大怪獣ギララ』を紹介しよう。
内容は2年後にアポロ月面着陸を控えた宇宙開発時代を反映させ、月面基地やUFOなどの宇宙SF要素を盛り込んだ。科学考証には、同年に小説『百億の昼と千億の夜』を発表したSF作家の光瀬龍。「松竹初の怪獣映画」という大任を負わされた監督は、黒澤明の助監督を経験した二本松嘉瑞(かずい)。
怪獣名は、ヨーロッパ旅行を懸賞に一般公募で決められた。21万通の応募の中から採用された「ギララ」名付けの親は、意外にも12歳の女子小学生。確かに「ララ」って感じがガーリーだ。公開前、松竹大船撮影所に当選者が招かれ命名式が行われた。ちなみに小学生時代のみうらじゅんもこれに応募していて、提出したネーミングは「バグラ」だった。
3月25日、10日前に封切られ大ヒット中の『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』に挑むように『宇宙大怪獣ギララ』は公開された。『ギララ』は冒頭からして個性的だった。オープニングで流れる『ギララのロック』は、ロックというより昭和40年代ポップスといった感じで、とても怪獣映画が始まるとは思えない健全な歌詞と軽快なメロディ。さらに間奏で入る柳沢真一と原田糸子の出演者2人による恥ずかしい台詞の掛け合いには脱力。本作の音楽を担当したいずみたくは、中村雅俊『ふれあい』などのミリオンセラーからザ・ドリフターズ『いい湯だな』、『ゲゲゲの鬼太郎』の主題歌、ハウス「バーモントカレー」のCM、『徹子の部屋』のテーマ曲など、誰もが1度は耳にする有名楽曲の作曲家だ。
行方不明になっている火星ロケットの調査に飛び立った原子力宇宙船アストロボートは、宮本(『奥さまは魔女』のダーリン吹替えとしても知られる柳沢真一)が「まるで半熟の卵みたいだ」と言うオレンジ色のUFOに遭遇する。船医が宇宙病で体調を崩したため、佐野機長(和崎俊也)は一旦、月ステーションへ寄港する。佐野はモテモテで、月の通信係・道子(原田糸子)とリーザ(ペギー・ニール)から同時に好意を寄せられている。
アストロボートのクルー達は、月に到着するや否や羽を伸ばす。コミカルな曲に乗り月の重力でピョンピョン跳ねて遊び、風呂に浸かって温まる。しかも浴槽はなんと檜(ひのき)風呂。お湯の色もグリーンと、バスクリン入りだ。お父さん向けサービスに、女性2名のシャワーシーンもちゃんと用意されている。その後はラウンジのバーで飲んだり踊ったり。こんな呑気な雰囲気が前半ダラダラと続く。ちなみに月の職員の中に、4年後『仮面ライダー』でブレイクする無名時代の藤岡弘、(当時の芸名は「、」がない)を発見!
さて、リフレッシュし過ぎたクルー達は改めて火星へ出発するが、隕石群に襲われアストロボートは故障し、再び現れたUFOに謎の泡を付着される。クルー達は火星探検を諦めて地球に帰還するが、その泡の中には微小化したギララが潜んでいた。上映開始47分、ようやく山から「ボエ~ッ」と巨大化したギララが登場! 箱根に出現したギララは建物を壊し、人を踏み潰しながら東京へ進撃。ここから先は前半とはガラッと変わって、ようやく怪獣映画らしい音楽も鳴り響き、ギララの大暴れが延々と映し出される。ギララにはいかなる近代兵器も通用せず、戦車は火球を吐いて破壊、ジェット戦闘機は素手で払い落す。
リーザの分析により月にある物質(ギララニュウムと命名)でギララを包んでしまおうという作戦が採られ、アストロボートは地球の運命を懸けて再び月へ飛ぶ。やがて銀座も新宿も丸焼けにされ、各国はギララに原爆を使用する提案を出す。だがアメリカは「二度と日本に撃ち込みたくない」と。そんな状況下、終始「ボエ~ッ」と鳴いているギララは東海村を襲い、原子力発電所でエネルギーをたっぷり吸い込む。その頃アストロボートは、またも半熟卵UFOにしつこくまとわりつかれていた。果たしてアストロボートは、無事にギララニュウムをゲットして地球に戻れるのか?
このギララ、UFOのような頭部は前例のないグッドデザイン。あとは話さえ面白ければって、それを言っちゃあ~おしまいよ。などとフーテンの寅さん口調になったのにはワケがある。松竹といえば『男はつらいよ』シリーズや『釣りバカ日誌』シリーズ、そして元祖『君の名は』(53年)などで知られ、ホームドラマやメロドラマを得意とした作風は、神奈川県大船に撮影所がある事から「大船調」と呼ばれていた。今思えば『ギララ』前半の佐野と女性2人の三角関係や柳沢真一のコメディリリーフなどは、まさに「大船調」。これが他社の怪獣映画とは異質に感じたのか。
『ギララ』は残念ながらヒットしなかったが、その後『男はつらいよ 寅次郎真実一路』(84年)で寅さんの夢の中にギララが現れ、井筒和幸監督の『岸和田少年愚連隊』(96年)では映画館で小林稔侍が『ギララ』を観ている。河崎実監督の『絶対やせる電エース 宇宙大怪獣ギララ登場! 宇宙怪獣小進撃!』(07年)では、現存している本物のギララの右腕が出てきて、筆者が「あれはギララじゃよ」と解説する(笑)。そして2008年、河崎監督は『ギララの逆襲 洞爺湖サミット危機一発』でギララを完全復活させた。ギララはタケ魔人(声はビートたけし)と戦い、旧作の主役・和崎俊也も、みうらじゅんもゲストで出演し、私はタケ魔人を覚醒させる祈祷歌で参加(スタジオ録音)した。新旧、続けて観てみよう!
(文/天野ミチヒロ)
【おまけ】
『週刊少年キング』(秋田書店)1967年2月19日号
デザイン画を元にしたイラストで、名前発表前に刷られたとみえ、キャプションは「日本を襲った宇宙の怪獣」。
※筆者所有
『週刊少年マガジン』(講談社)1967年3月12日号
命名式後に発行されたので、こちらはキャプションに映画タイトル入り。
※筆者所有
物語と主題歌が収録されたソノシート(剄文社)。
※筆者所有
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