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一瞬だけ輝いたアーティストの極めつけディスコヒット5曲(その1)

ディスコヒットを飛ばした多くのグループたち。中には連続ヒットを目指すものの、たった1曲で消えてしまったグループやシンガーも少なくない。今回は、ディスコで一瞬だけ輝いたアーティストたちを紹介してみよう。
一瞬だけ輝いたアーティストの極めつけディスコヒット5曲 (okmusic UP's)

気持ち良く踊れなければヒットしないディスコ・シーン
ディスコの全盛時代、何がヒットするかは実際にディスコでオンエアされるまで分からなかった。聴いていると「これは売れる!」と思っても、ディスコでは大コケになったりすることは少なくない。

もちろん、それらの中にはディスコの土俵のみで勝負したアーティストもいれば、普通のポピュラー音楽をやっていてディスコに参入したミュージシャンもいる。ロックやジャズの世界ならキャリアと実績があれば、そこそこのセールスが予想できたりもするのだが、ディスコの世界は非情だ。どんなに実績を積んできたアーティストでも気持ち良く踊れなければ売れない。そういう意味では1曲でもディスコで大ヒットを出せれば文句は言えないのかもしれない。しかし、消えていったアーティストたちが、その後ポピュラー音楽界で返り咲いたケースは実に少ない。そういう意味では、ディスコでの成功と失敗がアーティストの将来にとって、大きな試金石であったことは間違いないだろう。

それでは、一瞬だけ輝いたアーティストによる極めつけのディスコヒットを5曲セレクトしてみよう。

1.「フライ・ロビン・フライ(原題:Fly, Robin, Fly)」(‘75)/シルバー・コンベンション
女性3人組で、ミュンヘンから登場したグループ。ずっと活動していたわけではなく、西ドイツのスタジオミュージシャンふたりによるディスコ向け企画のために集められたチームであった。踊りやすいミディアムテンポのリズムに、ゴージャスなストリングスと単純なリフを繰り返すヴォーカルが乗るというスタイルで、まさかの全米ディスコチャート1位を獲得している(前週の1位はKC&ザ・サンシャイン・バンドの「That’s The Way(I Like It)」)。初期のディスコの鉄板とも言える、ストリングス・単純なリフ・約100前後のBPMという大原則を守ったナンバーで、アメリカの汗臭いファンクと違い、ミュンヘンの音はこの頃すでに無機的なサウンドになっており、のちのユーロビートにつながるプロデュースがなされていたことは興味深い。なお、このグループは翌年の「恋のブギー(原題:「Get Up And Boogie」)」も大ヒット、ディスコチャートで2位となるが、その後は低迷し消えてしまった。メンバーのひとりペニー・マクリーンは、グループの活動と並行してソロとしてもアルバムをリリースし、「フライ・ロビン・フライ」と同じ75年に「レディ・バンプ(原題:Lady Bump)」をディスコでヒットさせている。ソロ作はどちらかと言えばポップロック的なテイストで、こちらが彼女の本来の姿なのかもしれない。

2.「プレイ・ザット・ファンキー・ミュージック(原題:Play That Funky Music)」(‘76)/ワイルド・チェリー
アメリカの白人ファンク・ロックグループによる文字通りのファンキーなナンバーで、日本のディスコでもバカ受けしたのがこれ。完全にスライ&ザ・ファミリー・ストーンのサウンドを真似ているのだが、本人たちの狙い通り当時のディスコのニーズにマッチした曲となった。演奏もヴォーカルも上手いので、ヒットを出し続けるのではないかと思いきや、これ1曲で終わってしまった。この曲が当時のディスコ向けの曲としては完璧な仕上がりであったがゆえに、悲劇となったのである。以降も次々とリリースするものの、どうしてもこの曲を超えられず…というか、似たような曲ばっかり出すもんだから、売れなかった。似たような曲なら本家を聴くのは当然で、もうちょっと頭使ったほうが良かったのではないかと思う。ただ、未だにこの曲の愛好者は多く、ディスコがクラブに変わっても流され続けているのだから凄い。

3.「リング・マイ・ベル(原題:Ring My Bell)(‘79)/アニタ・ワード
サザンソウルシンガーのフレデリック・ナイトが、もともとは未成年歌手のステイシー・ラティソーに書いた曲。歌の内容が性的にきわどいということで、大人のアニタ・ワード(綴りは“Anita Ward”なので、正しくはアニタ・ウォード)が歌ったのだと思われる。曲の冒頭で繰り返し登場するシンドラムの音色が、懐かしいというか恥ずかしい。この頃はすでにアナログシンセが多用されていて、75~78年ぐらいの音楽と比べると2、3年しか経っていないのに急に軽くなっていて、80年代のテクノ時代を目前に控え、シンセポップへの助走が始まっていることが分かる。曲は全米ディスコチャートで1位となり、日本でも大ヒットした。サビの部分の哀愁味を帯びたコード進行が日本人の琴線に触れたのだろう。ただ、彼女はディスコ向けシンガーではなく、普通のR&Bを歌いたかったようで、そういう意味では登場するのが早すぎたのかもしれない。ブラコン全盛の時代であればおそらくもう少し人気が長続きしたような気がするのだが、残念ながらこれ1曲でフェイドアウトしてしまった。元はゴスペル歌手で敬虔なクリスチャンでもあるだけに、アル・グリーンがそうであったように、彼女もまたポップ歌手であることがイヤになったのかもしれない。

4.「ソウル・ドラキュラ(原題:Soul Dracula)」(‘76)/ホットブラッド
ディスコでヒットした曲の中でも、おバカ路線としては最高峰に属するナンバー。ホットブラッドはフランスのスタジオミュージシャンが集まり、ディスコのみでヒットすることを目標に結成されている。この曲は僕が高校生の頃に出たのだが、なぜか一般リスナーに受けて大ヒット。毎日のように商店街やラジオでかかっていた。田舎のロック好きの高校生にしてみると、この曲が誰をターゲットにしてリリースされたのかまったく分からず、その意味を見つけたかったのだが、ちょうど同時期に登場したピンクレディの「ペッパー警部」や「SOS」(どちらも76年の大ヒット)を聴いて合点がいったことを覚えている。それからは「ソウル・ドラキュラ」も違和感なく接するようになった(笑)。日本のディスコ黎明期において「ソウル・ドラキュラ」は大ヒットしたが、それだけにとどまらずオリコン7位まで上昇し、普段は音楽を聴かない人でもシングル盤を買いに行ったと言われるぐらい売れた。アジアン・テイストのメロディーと、洗脳されるかのようなスキャットが日本人の感性にぴったりハマったとしか思えない。50歳以上のディスコファンには忘れられないナンバーだと思う。歌詞はさておき、よくできた曲だ。

5.「スカイ・ハイ(原題:Sky High)(’75)/ジグソー
中年以上の人なら、知らない人はいないと断言できるほど日本ではよく知られた曲。それはディスコではなくテレビの話で、当時はミル・マスカラスというメキシコの覆面レスラーに人気が集中し、彼がテレビに出る日は町で遊ぶ人が減るぐらいの人気プロレスラーであった。その彼の入場曲がこの「スカイ・ハイ」なのだ。1975年にこの曲がリリースされた時、アメリカ(ジグソーはイギリスのポップスグループ)では3位にランクインし、イギリスでも9位と大ヒットするのだが、日本では2年後の77年にオリコンの洋楽チャートで1位を獲得し、年間1位となる。その理由はもちろん、この年にマスカラスが入場曲にしたからである。AOR寄りの甘いメロディーとドラマチックなストリングスで、スターの入場には相応しいナンバーであったと思う。ディスコでも大ヒットしたが、この曲に限って言えば、ディスコとディスコ以外を比べてもヒットとしては同じぐらいの割合だったのではないだろうか。要するに、日本人が好きなパターンの曲なのだ。イギリスのグループだけに、クイーンやポール・マッカートニーの作風に似たところがある。ただ、アレンジが大げさすぎるんだよなぁ。ディスコで聴く(というか踊る)と気分がアガるので良いのだが、普通に聴くとなるとやりすぎになってしまう。ジグソーは悪いグループではないが、76年になるとAORの全盛を迎え、ボズ・スキャッグスやマイケル・フランクスなどが登場すると、そのセンスの良さは圧倒的で、ジグソーの厚化粧的サウンドが際立ってしまい、生き残ることはできなかった。

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