囲碁に懸ける人々の思いが胸を打つ 宮内悠介『月と太陽の盤』
メガネ男子好きにとっては常に注目せずにいられないのが囲碁将棋界であるが(メガネ着用率の高さ!)、実際に最近かなりアツいのではないだろうか。特に将棋界では、お笑い担当の両巨頭ともいえる橋本崇載八段・佐藤紳哉七段が、バラエティ番組などでも活躍されている。昨年末「高専ロボコン」を観ていたら、試合前の意気込みを聞かれた高専生が「序盤中盤終盤、隙がない…」とコメントしているのを耳にして、「こんなところでまで、紳哉が発し、ハッシーが広めた名言が…」と感涙にむせんだものだ(何を言ってるかわからないという方は、「豊島 強い」「序盤中盤終盤 隙がない」などのキーワードで検索してみてくださいね!)。
本書の主人公は囲碁棋士の愼。彼はまだ10代だが、将来を嘱望されているプロである。一方、もうひとりの重要人物である吉井利仙は碁盤師。しかし、そもそも愼が惚れ込んだのは棋士としての利仙だった。吉井利正、後の利仙が32歳のときの1枚の棋譜が愼の心を打ったのである。その棋譜は負け試合のものだったにもかかわらず、「引退間際の碁とは思えないほど、利仙の打ち回しは創意に溢れ、瑞々しい構想に満ちていた」。そういうわけで、指導碁を打ってもらおうと愼はつきまとっているのだが、「碁は打たない。少なくとも、究極の盤を盤を作るまでは」と利仙は言う。奇妙な師弟関係のような様相を呈する彼らに、愼の2歳上の姉弟子で〈逆転の女王〉の異名を持つ衣川蛍衣や、棋士だった頃の利仙の兄弟子で現在は囲碁盤の贋作を生業としている安斎優らが絡んで、さまざまな謎を解き明かしていく。
例えば、伝説の碁盤師・昭雪はなぜ榧(かや)の木の下で亡くなっていたのか。例えば、また別の榧はいつ、何の目的で切られてしまったのか。例えば、愼たちの先輩棋士はなぜタイトル戦の前に亡くなったのか。他にも複雑に絡み合ういくつもの謎を利仙が、そして時に愼が、明らかにしてみせる。「あとは、盤面に線を引くだけです」とは、真相に迫ったときに利仙の口から発せられる言葉だ。名探偵の決め台詞だとしてもキザっぽい(そのわりにピンときづらい)言葉であるが、利仙が言うと純粋な美しさに満ちているように思われる。刀で盤面に線を引く太刀盛りという方法は、細心の注意を要する作業だ。しかし、それがうまく引かれれば、あたかも1本の針金のようになるという。正しい考えにたどり着ければ、自ずと道は見えてくるということだろうか。ミステリー的な興味に満ちているのはもちろんだが、囲碁というものの持つ魅力とそれに懸ける人々の切なる思いが胸を打つ作品となっている。
同じ著者の単行本デビュー作品に、やはり囲碁や将棋を題材にとった『盤上の夜』(東京創元社)がある。囲碁や将棋のルールをほとんど理解していない読者が読んでなお、あれほど狭い盤面で戦う世界でありながら不思議な広がりを感じさせる作風に驚きを覚えたものだが、その後どんどんさまざまなジャンルの作品に挑まれている。最新刊『カブールの園』は第156回芥川賞候補となり、文芸作品としても高く評価されたということだろう。『盤上の夜』を読んだときにも思ったことだが、冷徹な勝負や無機物である盤上ゲームを描きながら、そこはかとないロマンを感じさせる筆力が見事だ(本書の『深草少将』などたまらないものがある)。次の作品はどんな分野のものになるのか、楽しみに待ちたい。
(松井ゆかり)
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