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ラミナリア20本でも子宮口が開かない! 予定日超過、陣痛、帝王切開とフルコースに

出産予定日から1週間。

色々なジンクス(焼肉、オロナミンCなど)を試すも、何事もなく予定日超過での検診。

内診でも「子宮口は開いてもいない」と言われ、NSTを見ても強いお腹の張りはなく、赤ちゃんも下に下がってきている感じもない。

これ以上、お腹に入れておくのも良くないので、と入院を勧められました。

午前の検診だったので、その日の午後からの入院になりました。

子宮口がまったく開く気配のない私に、産院の先生から提案されたのは

・すぐに帝王切開をする

・ラミナリアをし子宮口の開き具合、陣痛のおこり具合で促進剤を投与し自然分娩へ

の、どちらかにしますが、どうなさいますか?とのことでした。

帝王切開で出産した知人がおり話を聞いたところ、出来るのであるなら自然分娩をすすめる!とのこと。そのような話も頭に入れ、色々な説明を聞いた後に、ラミナリアをする方の分娩を選びました。

そして、入院した当日、1回目のラミナリア投入は17時からでした。

17時になり、分娩室へ。

まず、ラミナリアを5本挿入しました。

まだ、耐えられる痛みではありましたが、もしこれで開いていない場合は、23時に20本挿入しますと言われました。

この時は、まさかあんなに痛みで苦しむとは思ってもおらず。

ラミナリア挿入後、病室に戻り義母と談笑しながら産院のボリューミーな夕食を食べていました。

すると、チクチクと生理痛の時のような痛みが始まりました。それでも、まだ喋ることも余裕でできる、テレビも呑気に笑いながら見て、義母を見送りました。

入れ替わりで、主人が産院に到着し、この時もチクチク痛みはあったものの、明日には生まれてるよ~など、笑い話もしながら余裕をかましていました。

面会終了時間となり主人が帰宅、そして1時間後に再び分娩室へ。

5本のラミナリアを取ると、子宮口は1cmしか開いておらず20本挿入へ。

それは、人生で初めて、こんなにも夜明けが遠く感じた日はない一夜の幕開けでした。

まず、20本挿入の時点で痛すぎて叫ぶ、暴れる、怒られるの三拍子を繰り返し、やっと全て入りきった頃には、夕方とは比べ物にもならないくらいの激痛で陣痛も始まりました。このラミナリアは、翌日の朝6時頃に抜くとの事でした。

過呼吸になるからと、助産師さんに教わった、ふーふーと深い呼吸をするも、激痛。

それが、8分、7分、5分と短い間隔でやってきます。陣痛のおさまる、ものの何分の間に休憩、水分補給、時にはトイレも行きました。

今でも、あの時のしんどさは忘れられません。 関連記事:怖がりな私ががんばった!安産お守りを6つも握りしめ…予定日超過からの、30時間の壮絶出産

日付がか変わって入院2日目。

時計を何回見ても、10分も経っていないという衝撃。やっと、1時だ、、、まだ1時10分、、、やっと1時半、、、と、時計を何百回も見る、驚く、痛みと戦う、時計を見るこの繰り返しでした。

そして、深夜2時頃の事。

自宅で陣痛が10分間隔になっていると別の妊婦さんから産院へ連絡が入り、まだまだ先の長い、私は一旦分娩室から出ようと、看護師さんと話をしていた時のことでした。

ピピピーピピピーと、NSTから今まで聞いたことのない音が鳴り、看護師さんの顔色が変わりました。

赤ちゃんの心拍が、急激に50近くまで落ちたのです。

看護師さんは、NSTの機械がズレたのかもと赤ちゃんの心臓を探しますがズレてはおらず、やはり下がっているようだと。その時、痛みを忘れて、とても怖くなりました。

赤ちゃんになにかあったら、心臓が止まってしまったら、色々なことを考えながら、お願い!頑張って!と願うことが精一杯でした。

赤ちゃんの心拍はなんとか元に戻ったものの、気が抜けない状態とのことで先生に連絡。移動なしでそのまま分娩室にいることになりました。

そして、再び陣痛と戦いながら夜明けを迎えました。

そして、早朝からラミナリアを抜く予定でしたが、夜中に来られた妊婦さんが先に出産。

「○○さん(私)!ちょっと待ってて!」と、言われた数分後「おぎゃー!」と、となりの処置室からの産声を聞きました。

「先越されちゃったな~。私もあと数時間後には…」と、考えながらラミナリアを抜く事に。

しかし、私の子宮口は開いておらず、おまけにラミナリアを抜く時もまた激痛で泣きながら抜き、内診されるも2cmしか開いていないので促進剤をすることに。

朝方、少し落ち着いていた痛みが再び始まりました。

さすがに、ここまでくると陣痛の中のひとりぼっちがとても心細く、今にも心が折れそうですぐに主人に連絡。しかし、すでに仕事に出ていた主人は来られないとの事で、義母が来てくれました。

(私の実家が新幹線に乗っても3時間半はかかる場所にあり、主人の実家が近所のため妊娠中からずっと義母が付き添ってくれていました)

それからは、1分間隔になった陣痛の間、義母がずっと腰をさすってくれていて、産院の午前診療が終わるまで陣痛と戦いました。

途中、何度か助産師さんが子宮口の確認に来られましたが、陣痛は来ているのに2cmから変わっておらず、子宮頸管強靭症と診断。

また、何度か赤ちゃんの心拍も下がり、さすがにこれ以上は危ないということで緊急帝王切開となりました。

主人には前の日に、帝王切開になる可能性もあると伝えていたので話はすぐに進み、帝王切開の準備となりました。

手術室に入り、麻酔投与されてから30分後。

とにかく早く聞きたくてたまらなかった、わが子の元気な産声を聞くことができました。顔の前は、ガードされているので姿は見えませんが産声が聞こえた瞬間、涙が止まりませんでした。

そして、私の顔の横に赤ちゃんを連れてきてくれて元気な姿を見た後、麻酔がきいているのもあるのか、前日ほぼ不眠で陣痛の疲れもあったのか、手術室で4時間ほど眠っていました…。

その間、実家からも家族が到着し、仕事を終えた旦那も来て全員集合し、生まれたばかりの赤ちゃんを見る事はできたものの、私が手術室から帰ってこない上に、看護師さんたちも午後の診療が始まってバタバタと「もうすぐです」「もうすぐです」ばかりで、心配していたそうです。 関連記事:お腹を縫われながら、安堵と疲労で寝落ちした私。促進剤の痛みに耐えること3日間、そして手術に

初の出産は、自分が想像していた出産とまったく違うものでした。

子宮口を開くところから、促進剤投与、陣痛、帝王切開とフルコースになるとは思っておらず正直大変でしたし、赤ちゃんの心拍が下がった時は本当に怖い思いもしました。

でも、この経験で、母は強しと言われる意味がひとつわかったような気もしましたし、自分の親にもあらためて感謝してもしきれない気持ちになりました。

そして、何よりも元気に生まれてきてくれて、私を母にしてくれたわが子に感謝です。

ありがとう。

著者:もんち

18歳で親元を離れ、関西暮らし。

現在22歳。0歳3ヶ月の娘がいます。

11歳離れた主人と、共に日々育児奮闘中です。

※プロフィール情報は記事掲載時点の情報です。

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