面白くて心にしみる短篇集〜津村記久子『浮遊霊ブラジル』
津村記久子という作家のおもしろみを言葉で説明するのは難しい。もちろん、主人公のツッコミ口調(地の文においても)がおもしろいとか着眼点がおもしろいとか個々の要素をあげることは可能だが、そもそもご本人がいちばんおもしろいのであろうなと思う。エッセイや対談、インタビュー記事などからも予想できる(私のかねてからの持論である「おもしろい小説を書く作家のエッセイがおもしろいとは限らないが、おもしろいエッセイを書く作家の小説はほぼ例外なくおもしろい」を裏付ける好例のひとつ)。
しかしながら、本書についてはユーモアよりペーソスが上回っているという印象を持った。誤解のないように付け加えておきたいが、これまでの著者の作品も決して”大笑いしてそれで終わり”という類いの本ではない。特に今回ほんのり物悲しさを感じるのは、短編集である本書において高齢の主人公が目立つところ。”高齢者=物悲しい”とは短絡的な考え方だが、それらの短編において主人公たちと死というものが密接に結びついているというのがそのような印象を持った理由だ。川端康成文学賞を受賞した「給水塔と亀」など、とりわけ静かに押し寄せる老いを感じる。
個人的に好きなのは「地獄」。バスツアーに行った帰りの交通事故で、中学時代の同級生であるかよちゃんとともに主人公の野村さん(あだ名はのむのむ)は亡くなってしまった。それ自体は物悲しい、というかたいへんな痛ましさの感じられる事件だが、地獄で出会った鬼の鼻毛が伸びていると言ってふたりで盛り上がったり、その鬼(権田さんという)に気さくに話しかけたりと、悲愴感はあまり感じられない。
地獄では前世の業に応じて試練のプログラムが組まれていて、野村さんは「物語消費しすぎ地獄」に落ちたらしい。野村さんの生前の生活は、「ピーク時には一日にドラマを最低三本は観て、ドキュメンタリーも一本観て、映画は週に三本観て、小説は月に十冊読んで、マンチェスター・シティとシャルケ04とアスレティック・ビルバオとセレッソ大阪のし合いの放送は欠かさず観戦し、ツール・ド・フランスを始め(略)」といったものだった。そのせいで、ある週はさまざまなシチュエーションで殺されたり、自分の母親の小説(しかも自筆)を読まされたりといった目に遭うことでタスクを処理している。
かたやかよちゃんが落ちたのは「おしゃべり下衆野郎地獄」で、一言も誰ともしゃべってはいけなかったり、起きている間は常に鬼としゃべり続けなければいけなかったり、という苦行があるらしい。
こうやって書き出してみるといったいどこに物悲しさがあるのか自分でもわからなくなってきたが(つらいつらいと聞かされても、母親の小説を読むとか好きなだけしゃべっていいとか、むしろちょっとおもしろそうという気がしてしまう私は、「物語消費しすぎ」か「おしゃべり下衆野郎」のどちらかの地獄に落ちる可能性大)、そうはいっても亡くなってからの退屈って凄まじいよなと思った。あと、鬼にも鬼の事情があるというのもしんみり。しかし、これ天国に行ける人はいないのかな?
表題作の「浮遊霊ブラジル」も素晴らしい。こちらは旅に出る前に亡くなってしまった三田さんが主人公。町内会の企画で行くはずだった生まれて初めての海外旅行に思いの外未練があったようで(行き先がアイルランドのアラン諸島、というのが意表を突きながらも絶妙)、幽霊としてこの世に留まることになった。幽霊になったからといってひょいひょいと好きな場所に行けるわけではないことがわかり、失望する三田さん。しかし、ひょんなことから生きている人に取り憑くという技術を身に付けて…という話。享年72歳の三田さんだが、壁をすり抜けられるなら女湯に行ってみたいと思ったり、しかしいざ取り憑いた若い女性の入浴中には「若い女性の風呂が見れなかったことが私が幽霊になってしまった遺恨ではない」と律儀に目をそらしてみたりと微笑ましさもある。こちらも笑える場面は多々あるけれど、自由に行動するのがままならない身で挫折しそうになりながらもアラン諸島を目指す三田さんに、誰もがぐっとくるものを感じずにはいられないだろう。
これは書評家の倉本さおりさんが『世界の8大文学賞 受賞作から読み解く現代小説の今』(立東舎)にて指摘されていたことだが、ノーベル文学賞をはじめ多数の文学賞受賞者であるJ・M・クッツェーの『恥辱』(ハヤカワepi文庫)に出て来る主人公の娘の視点が、津村さんの『エブリシング・フロウズ』(文藝春秋)と共通しているというのだ(『エブリシング・フロウズ』につきましては、2014年9月第3週のバックナンバーをお読みになってみてください)。「高みを見ない」「ありものを工夫して生きる」といったところが。鋭くていらっしゃる!
これまで単行本で読める著者の作品は長編か中編だったかと思うので、著者の作品は未読という方が初めて読まれるのにもいいかも。ちょいちょい放り込んであるスポーツ関連ネタも笑えるので、特に海外サッカーファンにはぜひお読みいただきたい。長々と書いてしまいましたけど、とにかくしみじみといい小説ばかりです、はい。
(松井ゆかり)
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