『千日の瑠璃』47日目——私は空気だ。(丸山健二小説連載)
私は空気だ。
うつせみ山で浄化され、うたかた湖によって適度な湿り気を与えられた、理想に近い配合の空気だ。きょうもまた私は、人口の動態調査を行なう必要などないまほろ町の八千余の住民や、その他の生物に上等な酸素を供給すべく、控え目だが絶え間のない大循環を、静かに、厳かに繰り返している。一気にこの世へ躍り出た太陽が、純然たる光の矢を次々に射て、私に多彩な輝きを与える。それを潮に人々はけものの眠りから醒め、私をいっぱいに吸いこみ、胸のうちに蟠っている、残忍で、よそ事とはとても思えぬ悪夢の残骸を吐き出し、いっぺんに現へと立ち戻る。
それから私は、へとへとになってまほろ町へ辿り着く候鳥のために、翼にたまった重い疲労を少しでも和らげてやろうと、南へ向う、ひと筋の安定した琉れをしつらえる。また私は、植物と動物を、動物と鉱物を、鉱物と植物をしっかり結びつけるために、液体と固体を融和させるために、生と死を仲違いさせないために、仲介の労を執る。
そして私は、片丘のてっぺんの一軒家に住む、いつ死んでも詮方ないと家族に思われている少年や、早くも彼の命の一部にさえなりつつある小鳥、籠のなかに居ながらにして大宇宙を掌握するオオルリのために、雑菌を殺し、毒を消し、もの憂い気分を吹き飛ばす力を秘めたオゾンをたっぷりと降り注ぐ。世一という少年は、断じて私を汚す者ではない。
(11・16・水)
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