嘘か真か。「真田丸」跡に残る抜け穴”戦国タイムトンネル”説

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NHK大河ドラマ「真田丸」が放送中だが、この真田丸跡に残る「タイムトンネル」の存在をご存じだろうか?

その話の前に少しあの時代を振り返ってみよう。

強大なパワーや圧倒的な存在というものは、その影響力をさまざまな形で世の中に残すものだ。
それは、軍事や政治面だけでなく、文化や技術にまで及んでいる。

例えば、「甲斐の虎」として、信長や家康を震撼たらしめた武田信玄については、武田家自体は子の勝頼の代で滅びたものの、そのDNAは影響を受けた戦国大名の各家に受け継がれている。

例えば、「武田流築城術」と呼ばれる、独特の築城法がある。
それは、虎口と呼ばれる城への出入り口の前に、丸馬出(うまだし)と三日月堀を配する構造で、信玄が支配した各地の城にその遺構が残されている。

武田家滅亡後、戦国大名として独立した真田氏は、関が原の際にも信州・上田の地で秀忠軍を足止めにするなどの活躍を見せた。

家康は、この真田昌幸・幸村親子を恐れて、高野山の九度山に幽閉するも、大坂の陣が起きると、幸村は監視の目を逃れ、大坂城に入城することに成功した。

この時、幸村は難攻不落と言われた大坂城の弱点を見抜き、南面の平野に防御強化の出城を築いた。

これが、「真田丸」と呼ばれる砦であるが、その姿を俯瞰すると、明らかに「武田流築城術」の「丸馬出」を巨大化したものである。

つまり、祖父の幸隆の代に信玄に仕えて学んだ築城術を、戦国時代のクライマックスである「大坂の陣」で開花させたわけだ。

この築城術の他に、幸村が武田氏より継承したものに、「赤備え」と言われた、赤色に統一された装備一式がある。

ちなみに、「赤備え」は、武田家滅亡後、その遺臣を多く召抱えた家康が、彼らを井伊直政に預けたことにより「井伊の赤鬼」として、井伊家の正式装備にもなった。

つまり、大坂の陣では、”敵も味方も真っ赤っか!”の状態で入り乱れていたことだろう。

このように八面六臂の活躍をした幸村が、その謀略用に掘ったという「穴」が真田山公園付近の三光神社に残っているのだ。

実際には、「大坂冬の陣」以降、真田丸をはじめ、大坂城の総堀は徹底的に埋め立てられ、大坂城は丸裸にされているわけであるから、真田丸はおろか、本当の抜け穴などが400年後の今日まで残っているはずはない…そんな風に世間では言われているが真偽は定かではない。

古墳時代の羨道の名残とも言われているが、いかにもその中から幸村が出てきそうな雰囲気が漂っている。

真田幸村はこういった抜け穴から、タイムトンネルを使ったかのように神出鬼没に現れ、徳川軍を翻弄したとも聞く。

幸村ならやりそうではないか。

今の大阪城は、徳川氏が築いた天守台の上に、秀吉の天守を再建したという実にアンバランスな城であるが、このようなタイムトンネルのような周辺のオモシロ遺構から、豊臣大坂城の時代を偲んだり、ドラマ「真田丸」をそういった視点から観るのも楽しいのではないだろうか。

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(所在地)「史跡・真田の抜け穴跡」:大阪市天王寺区玉造本町14-90
(アクセス):JR大坂環状線 玉造駅下車、徒歩10分

写真:写真AC

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