【没後100年】夏目漱石の講演から現代における働き方と生き方のヒントを学ぶ

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明治の文豪、夏目漱石が生まれたのは1867(慶応3)年、没したのは1916(大正5)年です。2016年は没後100年、2017年は生誕150年という年にあたり、漱石のアンドロイド製作が発表されるなど、ゆかりの地でさまざまな催しが企画されています。

漱石といえば『坊っちゃん』『吾輩は猫である』『こゝろ』が有名ですが、小説執筆の他に講演活動をこなした時期があり、1912(大正元)年には講演録『社会と自分』を上梓しました。扱われているテーマは「社会と自己」「仕事と芸術」といった普遍的なものです。それゆえに色あせることなく、現代を生きる私たちに、働くことや、生きることのヒントを、約100年前から教えてくれています。

前段、グローバル化の波が押し寄せた明治時代

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明治維新を境界とする近代以前と近代は、日本史のなかでも最大級の転換点です。明治維新とは、産業革命を内発的に成し遂げた資本主義諸国の進出を見た武士たちが、江戸幕府に代わる中央集権体制への変革を成し遂げ、その後、急速に資本主義化を達成して海外の文化を吸収していった時期を指します。

現代風にいえば、日本国内が急速にグローバル化した時期で、鉄道や紡績などの技術、資本主義という経済体制、四民平等をうたった国民国家という思想が、文明開化という言葉とともに、国民を啓蒙していきました。

漱石はそんな明治の空気を浴びて育ち、なかば強制的に進められる社会の近代化を、どのように生きるべきか考え続け、数々の小説を残したのでした。 明治維新と現代では、もちろん状況が大きく異なります。しかしながらグローバル化の波に否応なくさらされたという意味では共通しており、その文脈から漱石の言葉を読んでいきます。

今も昔も大学生の就職事情は厳しかった?

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どこへでも融通がきくべきはずの秀才が懸命にかけまわっているにもかかわらず、自分の生命を託すべき職業がなかなか無い—「道楽と職業」明治44年8月

夏目漱石の講演録は、話が紆余曲折するものの、通して読むと1本筋が通っている妙味があります。「道楽と職業」の内容は、主に「働くこと」についての考察ですが、本題の前に、大学を卒業した生徒の就職先が決まらないことが多々あり、困ったことだと言っています。

現代と単純比較してはいけませんが「私の知っておる者のうちで、一年以上も下宿に立てこもって、いまだに下宿料を一文も払わないで茫然としている男がある」とのことですから、大学を卒業したところで、思うように就職できず、くさくさしてしまう人は昔からいたようです。

世の中には職業の種類が何百通りもあるのだから、どこかにぶつかってもよさそうだが、いくら秀才でもぶつからなければ無職のまま。だから大学に職業を体系化した講座があればいい。

そんなことまで漱石は話しています。開化が進むほど職業は増え、専門性が増すと看破していた漱石は、学生と仕事のマッチングの問題にすでに遭遇しており、今も昔もその事情に変わりはないようです。

漱石先生の仕事論

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職業というものは要するに人のためにするものだ—「道楽と職業」

私は服や靴下を作ることはできないが、その代わりに新聞へものを書くとか、講演をすることはできる。自分の力の余りある所ところ、すなわち人よりも自分が一段と抜きん出ている点で、人よりも仕事を多くして、多くした分の報酬として、自分の不足した所を人にやってもらう。

この発言から察するに、自分が得意なことを仕事にした方がよいと漱石は考えているようです。同時に開化が進むことで増える仕事は、より分業化が進み、専門性が高くなるとしています。

続けて、つまるところ仕事というのは、他人のためにやるものだと言います。他人のためには、自己を曲げて従わざるを得ない時がある。それは成功には大切だが、心理的には辛い。でも他人のためにやっている仕事は、自分が使うためのお金として反ってくるのだから、「他人のため」と「自分のため」は同一と考えるべきだと諭しています。

ただし例外として、科学者、哲学者、芸術家のような仕事は、他人本位では成り立たないそうです。なかなか興味深い内容ですので、気になるのであれば続きを読んでみてください。

面倒くさいから出発する発想もある

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工夫が積もり積もって汽車汽船はもちろん電信電話自動車大変なものになりますが、元をただせば面倒を避けたい横着心の発達した便法に過ぎないでしょう —「現代日本の開化」明治44年8月和歌山

当時の日本は「文明開化」が流行語で、日に何度も「開化」という言葉を口にしたそうです。一般に文明開化は「明治時代に西洋文化が入り、日本の文化が大きく変わり近代化したこと」などと説明されますが、漱石はもう一段深いところまで考察しており、要約すると次のようなことを言っています。

文明開化によって、世の中がいろいろと便利に変わっていくが、その原動力は、二種類の人間活力の発露。ひとつは興味や欲求に従って、もっと趣味や道楽を追求したいと思う積極的な心の動き。もうひとつは義務や仕事は大事だが、できることなら、避けて楽をしたいと思う消極的な心の動きだ。

私たちは楽をしたい、消極的という言葉にマイナスイメージを持ちますが、漱石はそれを悪とは言いません。もっと楽に移動したい、面倒な労働を減らしたいという心が、鉄道や機械を発明したと考えます。怠惰と思う心が、生産的な活動につながることもあるのです。

世の中が便利になっても、生きるのはやっぱり大変だ

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生活の吾人の内生に与える心理的苦痛から論ずればいまも五十年前もまたは百年前も、苦しさ加減の程度は変わりはないかもしれぬと思うのです —「現代日本の開花」

世の中の便利さが増しているのに、仕事や生活のたいへんさが変わらない。そう思ったことはないでしょうか? 実は100年前に漱石は同じ悩みを漏らしています。

「打ち明けて申せばお互いの生活ははなはだ苦しい」むしろ開花が進めば進むほど競争が激しくなって、生活がますます苦しくなっている気がする。楽な生活を目指しているはずなのに、ちっとも楽にならないというパラドックスが文明開化にはある。昔の人間と、今の人間の幸福度を比べても、生存競争からくる努力や不安については、対して変わらず、むしろ今の方が道楽の誘惑が多い分、余計につらいかもしれない。

この後、講演は、日本の文明開化が自然発生したものではなく、外から来たものであるという話に続いていきます。特に教訓めいたまとめを示唆してはくれません。ただし私たち後世の人間は、胃弱と神経衰弱になるくらい、ままならない現実と正面から向き合い続けた漱石を知っています。君たちも逃げずにがんばりなさいと言われている気にならないでしょうか。

複雑なことを無理に分かりやすくしてはいけない

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門外漢になると中味が分からなくなってもとにかく形式だけは知りたがる —「中味と形式」明治44年8月堺

当時子どもが7人いた漱石は、子どもたちにせがまれて、本人はあまり好きではない映画を見に行くことがありました。子どもたちはまだ幼く、映画を見終わった後に、登場人物のうち誰が善人で、誰が悪人かを時々訪ねます。しかしながら込み入った映画では、善悪の区別が簡単に付くものではありません。

存外、大人もこれと同じで、ある物事に対して、無理にでも何らかの判断を下さなければ気がすまないと漱石は言います。専門の知識が豊富な人であれば、安易な総括をすると、実態から乖離してしまうと知っていますが、特に門外漢は、正誤に無頓着でいられるために、要点だけを知りたがるというわけです。皮肉屋らしい漱石の言葉で、言われている方は少し耳が痛くなります。

漱石によれば、専門家であれば、手短にまとめた批評を頭に蓄えて安心することはせず、複雑な内容を強引にまとめようとは思わないそう。とにかく時間に追われがちな私たち現代人ですが、じっくり腰を据えて物事を考えるようにしたいものです。

文:本山光

編集:大山勇一(アーク・コミュニケーションズ

底本:『社会と自分 漱石自選講演集』筑摩書房

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