ゆとり第一世代がドラマ『ゆとりですがなにか』を見て思ったこと(最終話)

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こんにちは。ゆとり記者のよしだです。

日本テレビのドラマ『ゆとりですがなにか』(日曜22時30分~)について、ゆとり第一世代の視点から思ったこと、思い出したことなどをアレコレと書き連ねております。

※これまでの記事を振り返るにはコチラ
【連載】ゆとり第一世代がドラマ『ゆとりですがなにか』を見て思ったこと

このドラマもついに最終回を迎えました。広げた風呂敷を一つひとつマッハで畳みまくる冒頭の急展開から始まり、結婚式当日に新郎である坂間(岡田将生さん)が逃げ出すというドタバタ劇に。様々な場面を手際の良いカットバックで詰め込み(三三九度のシーンに思わず涙)、ゴールに向かって全力疾走でスタコラサッサ。

最終的には坂間家の結婚式と山路(松坂桃李さん)の性教育授業の場面がシンクロして、「大人も間違えちゃうんだよ。だから、他人の間違いを許せる大人になってください」という山路のセリフでクライマックスを迎えます。

脚本・宮藤官九郎さんからのメッセージとも受け取れるこの言葉を聞き、これまでの数々のシーンが自然とフラッシュバックしちゃいました。どの瞬間も、大切なのは“心のゆとり”だったのです。

最後の最後まで、なんともクドカンらしい見事なストーリーテリングで幕を閉じた今作。連載もこれで終了なので我々の世代の主張をまとめてみようかとも思ったのですが、そもそもゆとり第一世代って(少なくとも筆者は)それほど世の中に大きな不満を抱えているワケでもないんですよね。

「ゆとり教育の実験台にされた!」とは言いつつも、“完全週5日制”の導入には歓喜したし、子どもながらに大きな疑問を抱いた“総合的な学習の時間”も何だかんだで楽しかった思い出があります(ダンスが必修科目よりはイイと思う)。その上で、教育改正における実質的な被害は少ないギリギリの世代だし、塾ではちゃんと詰め込み教育や競争を経験しました。リーマンショック後の就職氷河期をタイムリーに体感して、多少の厳しさも味わっているんです。

あえて言うなら、「俺たちをゆとり世代と一括りにするな!」という事でしょうか。少なくとも、第一世代=ゆとりの代表という世の中の勘違いだけは正しておきたかった。「下の世代よりはちゃんとしているハズ」という自意識は強いので、“脱ゆとり宣言”を耳にしても、「ゆとり世代を切り捨てるな!」という主張はもっと下の世代にお任せしたい気分なのです。一方で、やはり上の世代と比べればどこか抜けている自覚があるので、大きな声では申し上げられないのも痛いところ。

ゆとり教育に片足を突っ込んでしまったがために、この“モヤモヤとした何か”をずっと抱えてきた第一世代の気持ちなど、これまでは同窓会の席でしか取り上げられなかったマイノリティな話題でした。それを地上波のドラマで、クドカン脚本で、素晴らしいキャスト陣で描き切ってくれたのだから、これ以上に胸がすくことはないでしょう。

ゆとり教育へのアンチテーゼ? 現代社会への問題提起? 違います。そんな小難しい事は必要ないし、こちらも求めていないのです。このドラマは、ゆとり第一世代の生き様を見せてくれた。ただそれだけの話です。だから感動的なのです。

これまでは同学年の有名人と言えばリオネル・メッシだったのですが(異論は認める)、今後は何かあるごとに彼らのことを思い出し(主演3人の実年齢で言えば下の学年だけど)、自分も頑張ろうと励みにすることができるハズ。

願わくはまた10年後、第一世代が40歳になった時に、“心の思春期”をまっとうした彼らともう一度会いたいものです。

日本テレビ『ゆとりですがなにか』公式サイト:
http://www.ntv.co.jp/yutori/index.html[リンク]

※画像は日本テレビ公式サイトより引用

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よしだたつき

よしだたつき

PR会社出身のゆとり第一世代。 目標は「象を一撃で倒す文章の書き方」を習得することです。

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