ゴールデンに出ようとは「1ミリも思わず深夜番組を作った」 アナログ停波特番(3)

フジテレビ「新・週刊フジテレビ批評」プロデューサーの福原伸治氏

 58年の歴史に幕をおろしたアナログテレビ放送。被災した東北3県をのぞく地域で完全停波となった2011年7月24日深夜、ニコニコ生放送「アナログ停波特番『テレビはどこへ行く』」が放送された。フジテレビ「新・週刊フジテレビ批評」プロデューサー・福原信治氏は90年前後の深夜番組を振り返り、制作者として「とにかく変わったこと、新しいこと、面白いこと、それをやろう」というポリシーがあったとし、ゴールデンタイムへの番組進出については「1ミリも思わずにやっていた」と語った。

「尾木ママがBPOの委員だった」 アナログ停波特番(2)
http://news.nicovideo.jp/watch/nw91590

 以下、番組を全文書き起こすかたちで紹介する。

■津田氏「フジテレビの深夜番組にテレビの面白さがつまっていた」

津田大介氏(以下、津田): 今僕もずっとコメントとか観ていたんですけど、やっぱりなんか「それでもテレビがつまらなくなった」という意見が多い。そういう意味では、確かに僕も昔と比べるとテレビを観ている時間は減ったし、なんとなくやっぱり同じようなフォーマットの番組を観ても、昔のほうが面白かったなというのを感じるのも事実なんですよね。そういう意味でちょっと思い出深い番組というのが皆さん、たぶん「TV海賊チャンネル」から「11PM」から「ミッドナイトin六本木」から「ギルガメッシュないと」から・・・。

宇野常寛氏(以下、宇野): それ津田さんの青春時代じゃない(笑)

津田: いろいろ思い出深い番組があると思うのですが、ちょっとその思い出深い番組を語ったあと、テレビの未来の話をしていきたいと思います。

 一応僕から言うと、思い出深いテレビ番組はフジテレビの深夜番組ですね。僕が高校に入ったのが89年なので、ちょうどそのフジテレビの深夜番組がJOCX-TV2という枠でいろいろやっていた。本当にあの頃は、一番たぶん有名なのは「カノッサの屈辱」というのがありましたね。80年代のサブカルチャーを歴史に置き換えて解説するような番組。あとは僕がずっと面白いと思っていたのが、たぶん水曜の深夜にやっていた古館伊知郎さんの「TV PLUS PRESS」といって、その前週に起こったニュースの中から9項目を取り上げてクレーンで解説をしていって。ちょうど(古館氏が)フリーになってからそんなに時間が経っていなかったくらいで、プロレスの実況中継みたいな形でニュースを実況していくというので、抜群にあれが面白くて。

 僕はだから古館さんが「報道ステーション」をやるときに、たぶんあんな風に面白くやってくれるに違いないと思ったら、なんか全然違ってすごい残念な感じがあったんですけど。とにかくなんかそのあとも「アインシュタイン」とか。福原さんも「アインシュタイン」を・・・。

福原伸治氏(以下、福原): 僕は「アインシュタイン」をやっていたんですけど、ちょうど1時から「アインシュタイン」で、その前の12時半からが古館さんの「TV PLUS PRESS」。

津田: あの頃は本当にフジテレビ深夜の「JOCX-TV2」って実験番組というか、いろんな面白い番組みたいなものの実験場みたいな、テレビの面白さが一番つまっていたと思うんですけど。

福原: あの頃は、・・・また思い出話をするのが嫌なんですけど、「ゴールデンではやれないことをやろう」と。絶対これはゴールデンにいかないことをやるとか、ゴールデン、プライム(主要な番組が続く時間帯)をまったく無視して、とにかく変わったこと、新しいこと、面白いこと、それをやろうという風なことで。あのころの深夜番組、僕らもそうなんですけど、そのポリシーはあったんですよね。だから今の深夜はとにかくゴールデンとかプライムとかそういうところへいくための下積みというようなこと。それはそれですごく面白いと思うんですけど、でも僕らはそんなことを1ミリも思わずにやっていた。ああいう時代だったから許されたというのもあるんですけど。

津田: 深夜番組というと、低予算という風によく言われますけども。

福原: 低予算でした。

津田: 当時もやっぱり低予算でしたか。

福原: 低予算でした。

津田: でも、今よりは予算ありました?

福原: いや、今もそんなに変らないですね。安かったかもしれない。

津田: でもそんな中でアイディアで作る。それはでも、表現力が許されたということですね。そのころのテレビはそういう多様な表現みたいなのが。今そういう風になっていないのは、制作者側にクリエイティビティが落ちてしまったからということなんですかね。

福原: いや、決してそういうわけではないと思います。制作者側もすごくその辺はクリエイティビティが高いんですけど。やはりいろんな事情というのがあるではないですか、そういう風な。

津田: いろんな事情というのを知りたいんだと思いますよ。

福原: 難しいですね。

■「”何か怪しい人”タモリが昼の番組をやったらどうなるかと・・・」

津田: 吉田さんはその頃、フジテレビの深夜の時はどんな感じで。

吉田正樹氏(以下、吉田): (福原氏を指し)この人は上へあがるつもりがなかったから、ゴールデンのヒット作1本もないわけですよ。だから今は朝の番組とかをやっているわけですよ。僕はちゃんとその頃から上に上げようと思って作っている。批判はともかく、その話に戻っていえば「ひょうきん族」も「笑っていいとも」もそのころのテレビがサブカルチャーっていうものをちゃんと分かっていて、「サブカルチャーをどうやったらお茶の間にちゃんと届けられるか」という気分があった。「ひょうきん族」がモデルにしたのは(イギリスのコメディユニット)モンティパイソンですよ。「笑っていいとも」って最初から今のようなタモリさんではなくて、サングラスをした何か怪しい、「イグアナ」とか「4ヶ国マージャン」をやっている人であって、その人がお昼の帯(番組)をやったらどうなるかと。「笑っていいとも増刊号」では(作家の)嵐山光三郎さんが毎回文化人としゃべっていた。画家とか小説家とかと。

 メインストリームにサブカルチャーの匂いがあったから、深夜(番組)がそれの予備軍としてすごくサブカルチャーを大事にするのは当たり前のこと。80年代後半ごろ「冗談画法」という番組をやっていたが、そのころは街のライブで一番いま受けている人が誰なのか、テレビのメインストリームの中で活躍している人ではなくて、そういう人を連れてくるという番組をやっていた。「夢で逢えたら」もそうだったし、「とぶくすり」もそうだった。

津田: NHKだったら「YOU」、糸井さんがやっていた番組とか。その後「ソリトン」とか、サブカルとの距離って常にあったと思うのだが、たしかに今テレビとサブカルの距離ってそんなに近くないような気もするのだけれども、それはどうしてですか。

福原: サブカルがネットにいったのでしょう。ニコニコ(動画)なんてサブカルなのでは。当時、ネットとかがなかったから深夜(番組)がそれを全部支えていた。今はもうネットがあるから、サブカルの受け皿になっているのだといえる。テレビからサブカルはなくなってしまった、し必要とされていないのではないかという。

津田: いつくらいにそれを感じましたか。テレビを作っていて。

福原: 2000年。10年くらい前ですね。だんだんサブカルがなくなってきて、当時インターネットが出始めた。パソコン通信のころ。

吉田: その体感温度はよく分かります。2000年ごろです。
99年から2000年になるころにどんどんサブカル的なフィーリングがテレビから消えていったのは確か。

津田: でも一方で、テレビとしては売り上げとしてはもう絶好調になるくらいの時期でもあったわけですよね。それはやっぱりネットに取られていったけど、一方でテレビというのはビジネスとしては完璧に成功しているような時期でもあったんですけど、そのときに転換点があったということですか、何らかの。

吉田: (福原氏に)その分析はどうですか。

福原: やっぱりインターネットの登場はいろんな意味で大きい。ビジネススキームの上でもそうですし、内容的なこともそうですし。2000年というのはある程度区切りになるのではないかなぁ。

津田: サブカル的なものからスタートしたものが「笑っていいとも」なんかまさにメインカルチャーになっていったと思うのですが、サブカルを取り込んだのか、それともどんどんメインの方向に変わっていったのですか。サブカル臭を捨てていったのか。

福原: (吉田氏に)どっちでしょう。捨てたか。

吉田: 捨てたような気がします。それはなぜかというと、視聴者の質が変わっているから。

津田: どういう風に見ているんですか。

吉田: だって80年代の前半にみんな始まっていて、1982年に「笑っていいとも」が始まっていて、2002年だと20年番組になっていて、毎日「笑っていいとも」を観ていた人は、20歳で見始めたら40歳になっている。そのままずっと上に来ているということではないですか。

■「番組名に『ヤング』とつけてもメイン視聴者は50歳超だった」

津田: 池田(信夫)さんも昔、報道番組とかをNHKで作られていたときに「50代の主婦でも分かるようにテレビを作れ」みたいなことを言われていたと思うのですが、対象視聴者というのを制作者はどう捉えていらっしゃるのですか。

池田信夫氏(以下、池田): そういう意味ではNHKはほとんど変わっていない。昔からNHKは「高齢者で比較的時間の余っている人」(を対象にしている)。テレビ全体がそうですけど。昔、NHK世論調査で視聴率の調査をやるのですけど、それは詳しく年齢層を調べるわけですよ。

 僕がびっくりしたのは「ヤングミュージックなんとか」というNHKはやたらと「ヤング」のついている番組が多いのだけど、コンサートの番組の視聴者のミディアムという真ん中の年齢が50歳だった。みんなびっくりして、NHKの視聴者の「ヤングなんとか」で50歳超えているということはもう要するに70(%)くらいは年寄りが観ているっていうことなのだと。

 逆に言うと、そういうお客さんに特化して番組を作ると視聴率が上がる。例えば「NHKスペシャル」で歴代の視聴率ベストテンをみると、「遺言」「お墓」「老人の自殺」とか暗くて最後まで観られないような番組が(視聴率)15%とか20%を取っている。だから年寄りを狙えば当たるというのは分かっているけど、あまりにもそればかりすると普通の人が観なくなるので、さすがに自粛はしたが、とにかく年寄りネタが当たるというのは僕がいたころから、昔からですよ。

津田: 最近はNHKも若者向けの番組編成になってきていると思いますが。

池田: そうなの?

吉田: すごく若い。NHKが一番アグレッシブですよ、ある意味。

津田: では池田さん。思い出深いテレビ番組を教えていただけますか。

池田: 思い出というか、自分の作ったものを適当に挙げちゃったけど。「NTT民営化」というのは85年に初めて僕がメインで担当した「NHK特集」だったから記憶にあるのだけど、このあともこういった地味なというか、世の中のメインのできごとをずっとやってきたんです。

 例えばこの後でいうと覚えている人は少ないと思うけど「世界の中の日本」という、日本がものすごいイケイケどんどんで、ニューヨークでアメリカの国債を日本の銀行がバンと買うとか、日本の金が世界中で不動産を買いあさっているとか、そういう日本が世界を征服するみたいなバブルを煽るような番組を作ってみたり。そのあと(バブルが)崩壊すると今度はさっきの「不良債権」をやってみたり。マッチとポンプを両方やっていたという記憶があって。NHKだから良くも悪くも時代のメインのど真ん中の話ばかりやってきた。

 考えてみると、僕がNHKを辞めた理由がそれだったような気がする。つまり、本当にど真ん中のことしかできないんですよ。さっきの深夜番組みたいなことは絶対にできないわけ。最初はこういうことをやっていると、大事なことをやっていて、なんとなく自分が偉くなったような気がするのだけど、何回も何回も偉い人が取捨すると危ないことを落としていくし、大事な情報が全部落ちていって、誰でも知っているようなことしか残らない。そういうのを何回もやっていると、だんだん頭の芯が疲れてくるというか、表現の幅がものすごく狭くなってくる。昔からNHKはそんなに(表現の幅が)広くないのだけど、だんだんやっぱり表現の幅が狭くなってくる。やってはいけないことが多くなってくる。僕が辞めたかなり大きな原因は、とにかくこんなにやってはいけないことの多いメディアで取材してきたものの8割くらいを捨てなければいけないような、そういう仕事をずっとやっていていいのだろうか、というのはあります。

津田: テレビ業界の人は、制作で精神を病んで辞めてしまう人というのは結構いるんですか。

池田: NHKはなかった。NHKは職場環境、組合がしっかりしていたから、あまり残業もなかったし。民放は過労でおかしくなる人もいるのかも知れないけど。

福原: そんな人、あまり聞いたことないですよ。そんなに聞いたことない。

津田: やっぱり現場は楽しいんでしょうね。そんなことないですか。

池田: まあ楽しいこともあるし、しんどいこともある。

津田: やっぱりそれはメインストリームを歩いてきて、吉田さんや福原さんたちとは違う。

吉田: 倒れる人はいっぱいいる。

福原: 病むというのは・・・。

吉田: それは心身ともにですよね。心も身体も疲れてやっぱり倒れちゃう人は、僕の体感温度では結構いるなという感じ。

津田: 吉田さん、ちょっと思い出のテレビ番組を教えていただけますか。

吉田: なんかすごくつまらないけど、「オレたち!ひょうきん族」は僕が初めに入った番組。「笑っていいとも!」というのはそのサブカルの話を含めてですね。「笑う犬の生活」というのはちょうど20世紀が終わるころに、だんだんテレビが変わってきたということをすごく感じたわけです。僕は「こういう番組を作らないといけないのではないか」と言って作った番組がこれで、最初にやったのはBBSをこしらえて「皆さんのご意見を載せてください」と。それにプロデューサーである僕がすぐに同じ枠の中で答えるという。そういう意味では、今のネットがあって初めて感じられる番組を・・・。

津田: インタラクティビティを出すと。

吉田: ちょっとトライをしたんですね。でも、すごくやっぱりナローな時代だったから、あまりうまくいかなかった。それでも相当キャッチボールはできたという風には思います。そういう意味で思い出深い番組です。

津田: これは深夜で?

吉田: 深夜から始めて最終的にはゴールデンに移るんですけどね。今の「ラフくん」というフジテレビの青い犬のお父さんを作ったり、いろいろしました。

津田: なるほどね。では福原さんの思い出は?

福原: 僕もやっぱり「ひょうきん族」が好きでしたね。なんで良かったかというと、カウンターだったんです。当時やっぱり土曜日の8時というと、「全員集合」がものすごく強くて、あれがもう本当にそうだったのですけど、そんな時に先ほどもおっしゃっていたのですけど、方法論ではないところでボーンときたカウンターだったというのがとても新鮮でしたね。演出も斬新だったし、こんなこともやるんだという風な、かっ飛んだことも好きでしたね。それは本当に、非常に「ひょうきん族」というのはものすごく思い出深いといった形ですね。

津田: それでは、逆に言うと今「ひょうきん族」みたいな番組というのは出ないのですか、テレビでは。

福原: いや、そんなことはないと思いますよ。

津田: 倒すべきそういうカウンターみたいなものは?
わかりやすいメジャーに対しての。

吉田: (昔は)メジャーを倒すためにあったんだね。

津田: インディーズになって、それが大きくなって最終的にはあれ(メジャー
)を倒してしまったというのがあったのでしょうね。

吉田: 「栄枯盛衰」とはそんな感じですよね。

津田: なるほどね。宇野さんは?

宇野: はい。僕はちょっとすみません。アニメなんですけど、やっぱり「新世紀エヴァンゲリオン」ですね、ここは。

津田: おっと、きましたね。

宇野: 僕、そんなにこの作品自体が好きなわけではないんですよ。でも、皆で観ていた体験というのは強烈なんです。さっきも言ったように僕は高校の寮に入っていたんです。ひと学年に1台しかテレビがないんです、160人くらいいる寮で。毎週水曜日の夕方は、仲間内で当番を作るんです。「おまえ、即効で早退きでもなんでもして、とにかくテレビ室を占拠しろ」と。夕方6時半まで。ずっとそいつが番をしていて、6時か6時半の「エヴァンゲリオン」の時間になると寮中のオタクたちが集まって、20人ぐらい寿司詰めになりながら「エヴァンゲリオン」を息を呑むようにして見ていたわけなんです。

 これは僕の青春のすごい思い出だし、あと今日の話に絡めて言うと、サブカルっぽいものというのはやっぱりテレビにまだあるんですよ。深夜ドラマもそうだしアニメもそうだし。でも、そういったものの出世先というのが、昔はゴールデンにいくとかすごいニュースで紹介されるとかだったのが、今は違うんですよ。ネットでキャッチアップされて、こんなアナーキーな番組をBSとか深夜でやっているぞということで火が付いて、ソフトが売れていくというのがゴールなんですよ。それはそれで結構いま、崩壊しつつあるビジネスモデルではあるのですけど。何かそういうテレビ初のサブカルみたいなものの出世ルートが変った、ある種のメルクマールみたいな作品が「エヴァ」だったと思うんですよね。

津田: なるほどね。確かに普通に6時半くらいの放送だったのに。

宇野: 夕方の。ちょっとくらい前からレコード会社がスポンサーになって、制作委員会方針でお金を集めるアニメというのがポチポチ始まっていて。キングレコードの大月(俊倫)さんというプロデューサーが作ったのですけど。それが今の大人向けのアニメをマイナーな時間帯にやってソフトを売ってペイをしていくというモデルの先駆けだったんです。

津田: 何か後半のほうとかで、葛城ミサトと加持(リョウジ)のそういう・・・。

宇野: そうですね。SEXシーンとかありましたよね。

津田: SEXシーンの声とかもちゃんと放送されていてという・・・。いいのか6時半の子どもが観るみたいなアニメでやっていましたけども。

視聴者「テレビで家族団らんという、その感覚がイヤ」 アナログ停波特番(4)
http://news.nicovideo.jp/watch/nw91615

(協力・書き起こし.com

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http://live.nicovideo.jp/watch/lv57321563?po=news&ref=news#0:42:41

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