藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#22 アファメーション
タイのパンガン島でのことだ。
一泊千円もしないビーチ沿いのバンガローの食堂でフルーツサラダの朝食を摂っていると(二十年くらい前)、胸板の厚い白人のお兄さんが波打ち際に仁王立ちし、海に向かっていきなりこう叫んだ。
「アイ・アム・ビューティフル!」
太陽でも朝でもなく、俺は美しい!と海に向かって叫ぶそのあまりにもな姿は、凄過ぎてちょっと可愛らしかった。きっと彼は朝まで飲んでいたのだろうと当時は軽く流していたが、今思えば、あれはアファメーションだったのではないかと思う。
アファメーションとは、「誓う」「断定」するという意味を持ち、夢を実現させるための方法として知られている。いわゆる成功者と呼ばれる人々は、このアファメーションを無意識のうちに取り入れていることが多く、夢の実現への最短距離を行くことを可能にしてくれる技術だと思う。
一般的に人は何かを願うときに、「〜になりますように」とか「〜だったらいいのに」と語尾にくっつけるが、これは「今は〜ではない」ということを認めていることになる。願いなのだから、普通はそうなるのが当然だ。
だが、アファメーションでは決してそのような言葉は使わない。願望が既に実現されているものとして「美しくなりたい」とは言わずに、「私は美しいです」と断定する。ちょうどパンガン島のビーチで彼が叫んだようにである。
簡単なので実際やってみると、この差の大きさにすぐ気付く。「美しくなりたい」と願っていると、自分と「美しさ」の間に距離があって、結構遠く感じるのだが、「私は美しいです」と肯定的に断定すると、すでに自分が「美しさ」の領域の片隅に入り込めたような気になれる。細かく言うと、自分の中にある「美しい部分」が徐々に内側から広がり、やがて自分の全てになるような気がしてくる。
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今、私は「美しさの領域」という言葉を使ったが、この「領域」というのがアファメーションという願望実現法の中で一つのキーワードになると考えている。
「お金持ちになりたい」という願いがあるとする。お金持ちとは資産額にしてどれくらいかは個人の感覚によるが、仮に五億円としてみよう。アファメーションでは「私は五億円の資産を持っています」もしくは「私は五億円の資産を得る準備が整っています」と唱える。このアファメーションを、自分が本当に五億円持っているのだと実感できるまで数日継続してみると、実際に自分が相応の資産家のような振る舞いができ始めていることに気付く。それは値札を見ずに服を買うとか、ベンツを買うとか現実的には無理があることが出来るようになるということでは勿論ない。ただ、お金に困っていない、お金に対する不安がない、という心の余裕が生まれ、いつも通りの世界でさえキラキラして見えてくる。実際五億円を手にすれば、さらなる金銭欲や失うことへの恐怖などが生まれるかもしれないが、アファメーションを通すと自分の中に肯定する力が養われるので、今よりもネガティヴな状態になることはない。
お金持ちになりたいというのは多くの人に共通の願いかもしれない。その理由を突き詰めると、贅沢な生活をしたいということのさらなる奥で、経済的な不安を日常から除きたいというところに行き着くと思う。
「5億円の資産を持っています」とアファメーションすることで、第一段階として経済面での恐怖や不安のない精神状態になることができる。それは平たく言うと、心に余裕ができるということだ。
ここでようやく「領域」の話になるのだが、この世界には目に見えない領域があって、お金持ちは彼らの「領域」に住んでいる。それはここでは既得権を持っている人々の特権的な集まりということではなく、類は友を呼ぶというルールのことで、お金持ちになりたいのなら、すでにお金持ちになっている精神状態、つまりムードで暮らすことが大切だ。まずはそういう領域にいることを自分の中にセットするわけだ。イメージするのは何代も前からのお金持ちで、お金に対して執着がなく無頓着な世界に住んでいるという状態が望ましい。それと真逆な例として血眼になってお金儲けをしようと全ての力をそれに注いでいる人。多くの場合はずっと求め続けることになり、どんなに稼いだとしても経済的な不安や恐怖から逃れられない精神状態で生き続けることになりがちだ。根本的に金銭に無頓着な本当のお金持ちの「領域」に入ることが大切だろう。
日々のアファメーションによってこの心地よいお金持ちの「領域」が身につくと、不思議とお金の回りが良くなる。いきなり5億円が入ることはないにしても、臨時の収入があったり、仕事を変えて成功したり、心地よい変化が訪れると思う。
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少しお金の話ばかりに偏ってしまったが、自分が望む人物像が持つ「領域」に、まず精神性から入っていけるというのがアファメーションのポイントだということが分かっていただけただろうか。
単なる自己暗示は、視野を狭め願望に自分を追い詰めていく感じがするが、アファメーションは自分の精神性を高めてくれ、結果、それを得るにふさわしい人間へと成長させてくれると思う。
願うとは、本来ポジティブでそれ自体が美しいものだ。自分の中のネガティブな物を洗いざらい放棄して、純粋な世界へと自身を導いていく道を示す神聖な行いだと思う。
いくつものアファメーションを繰り返し、多くの願望をふるいにかけていく中で、必然的に自分を見つめることになっていく。この願いは本当に必要なものなのだろうか?なぜこう願う自分がいるのだろう?この願いが叶った時に自分は何を得ることになるのだろう?そもそも自分は現状の何に不満があるというのだろう?なぜ不満を生んでしまうのだろう?などなど。
アファメーションを繰り返すことだけでも、自分の中身の整理整頓になる。願いもやがてシンプルになるし、一方で日常的な些細なことも素直に綺麗な心でアファメーションできるようになる。
私の場合は、調和の中で生きることが大きなテーマなので、いくつかのアファメーションをする前に必ず自分のお清めの意味でこう唱えている。
「私は宇宙と調和しています」
1日の始まりの朝のアファメーションは必ずこの一言から始まる。姿勢を正し背筋を森の中の若木をイメージして伸ばし、自分の中のエネルギーが正しく流れるようにする。
次に割とサイズの大きい願いから始め、最後は小さい願いへと移していく。大きい願いとは、「私は宇宙の調和に役立ちます」といった内容で、小さい願いは、「今日の仕事を心地よく楽しく終えます」といった個人的なことになる。この時、楽しくとかワクワクしながら等のポジティブな状態を入れるのも大切。
また、個人的な願い事をアファメーションする場合には、「それが叶うことによって自然を傷つけず、誰にも迷惑をかけないのであれば」と添えると心置きなくアファメーションできる。
また、否定文をアファメーションに入れないことも大切だ。「今日のプレゼンは失敗しません」では失敗の領域に入ってしまうので、「今日のプレゼンは大成功します」とする。
このような肯定文での思考癖がつくのもアファメーションの効果だろう。自分の中からネガティブな要素を出すには、心に否定文を存在させないというのは、実際とても大切だ。暗い面持ちの人の心には否定文が溜まっていることが多い。デリートキーの役割もアファメーションにはある。
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実際アファメーションを始める前に、紙に書き出すといいだろう。できたら小さなノートを専用に買って、アファメーションが更新される度に書き出しておくと、後々自分の記録として楽しめる。もちろん何が叶ったかもよくわかる。書き出して眺めた時に、しっくりこない場合は省いてしまおう。客観的に眺めることで、自分の願いがシェイプアッップされてターゲットが絞りやすくなる。複数の中には、矛盾したり喧嘩するような内容だってあるかもしれない。
また実感として途方もなく大きなテーマだったり、いくらなんでも現実性に欠ける事は言うまでもなく省いておこう。
また経験的に、自分が行き止まりになってしまうような願いは叶いづらい。行き止まりとは、実現を受け取ったらそこでお終いというもので、良いことが起きたらその分良いことを与えるというエネルギーの交換を心がけるということ。エネルギーは交互に巡ることが望ましいので、自分で溜め込んでしまわない意識で願うと実現性が高まる。
「アイ・アム・ビューティフル」
そう叫んだあの彼は、それを聞いていた私に美しさへの種を、あの時すでに渡してくれていたのだろう。エネルギーを誰かに与えていたのだ。
この世界に自分として美しく存在すること。すでにそれだけでエネルギーの交換が達成できている。
今日を美しく生き切る。
最後に、就寝前と起床後のアファメーションを。
「今日は終わります。全て過去になります。この眠りによって私は深く癒され、活力を得ます」
「新しい1日が始まります。この1日を大切に楽しみます。新しいことを受け入れる準備ができています」
(つづく)
※『藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」』は、新月の日に更新されます。
「#21」は2015年11月12日(木)アップ予定。
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