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「こどものきもち」vol.3 近藤麻由 (PUNKADELIX)

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悩みがなかった子どもの頃に戻りたい」なんて台詞をよく聞くけれど、子ども時代にも悩みはもちろんあったのを大人になって忘れているだけだと思う。小さいながらにプライドも心配かけたくないという想いもあって、誰にも相談できないこともあるかもしれない。子どもに笑顔で過ごしてもらうにはどうしたらいいのか。全6回にわたり、子どもを持つ親であるクリエイターに登場してもらい、日頃どんな風に子どもと接しているか、親子関係で大切にしていることなどを語ってもらう本連載。第3回目にはアートディレクター、近藤麻由が登場。数々のブランド広告やジャケットデザインを手がける傍ら、PUNKADELIX名義でDJとしても活躍。DIYながら極めてクオリティーの高いマガジン「RUBYPAPER」の発行など、東京のカルチャーを牽引する多彩な活動で知られる彼女は、子どもとどのように向き合っているのか。本人の生い立ちと共に、改めて話を聞いた。

 

——近藤さんは、ファッション系の広告やカタログ、CDジャケットなどのアートディレクションのほか、PUNADELIX名義でのDJ活動、ヴィジュアル誌『RUBYPAPER』の発行など、幅広く多彩な活動をされていますが、振り返ってご両親の影響を感じることはありますか。 

近藤麻由「親の影響はすごくあると思います。音楽関係の仕事をしている母が、小さい頃からよく美術館のようなアートと触れあえるところによく連れていってくれたんですよ。だから、小学生の頃にはひとりで美術館に行って大好きだった印象派の絵画を見にいったりしてました」

——それは、かなりレアな小学生ですね(笑)。

近藤麻由「ドガの模写をして部屋中に貼ったり、今思えばかなりインドアで暗い幼少期だったかも(笑)」

——そうやって幼い頃からご両親にアートに触れさせてもらってきたことなどが、今でも生きているんですね。

近藤麻由「少し変わってる親だったかもしれないです。ランドセルも当時は女の子はツヤの赤しかないような時代でしたけど、親が私に選んだのはぺっちゃんこの裏革のランドセル。机も真っ白なウッドの天板に赤いライトがついているだけのシンプルなもので、今思えば素敵だったんだろうけど、私はみんなが使っていたピカピカのランドセルや機能的な学習机にすごく憧れてました(笑)。父は自動車メーカーの宣伝部で働いていたので海外に撮影に行くこともよくあって、そんな話を聞かされたり、家で手に取れるところにADC年鑑があったりしたことも少しは影響しているのかもしれませんね。ただ、当時は日本の広告を面白いと思うことはあまりなくて、広告業界には興味なかったんですが。幼少期にアートに触れさせてもらったことはやはり大きくて、絵やイラストを描いたり美術館巡りはずっと続けていました 」

——当時からファッションにも興味があったんですか。

近藤麻由「世代的にファッション誌では『オリーブ』や『アンアン』が全盛の頃で、ファッションからファンタジーが感じられてすごく楽しかったんですよ。そして憧れもあった。そのファンタジー感は絵画を見る感覚にも通じるところがあったし、今の私の仕事にもつながっているような気がします。小学生のときにアンアンで大御所のスタイリストさんが自分でリメイクしたデニムでスタイリングを組むという特集をやっていて、それを真似して自分でもデニムのリメイクをしたことを覚えています。今でもそうなんですが、当時からアートとファッション、そして音楽はすべてリンクしていて、自分の中では感覚的に分かれていないひとつの“文化”のようなものになっているんですよ」

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——文化出版局が刊行していた雑誌『high fashion』が近藤さんのアートディレクターとしてのキャリアの原点だと思うのですが、いつから仕事を始められたのでしょうか。 

近藤麻由「女子美術大学在籍中に編集部でアルバイトを始めました。3年生ぐらいにもなると、みんな卒業後のことを考えるようになるじゃないですか。でも、当時の私はDJを始めた頃で遊んでばかり。クラブ、レコード屋、ライブハウスをローテーションで回るような生活をしていて就職のことは真剣に考えていませんでした。そんなときに、ニューヨーク在住の叔父の家にしばらく滞在させてもらうことになったんです。ハウスミュージック全盛の頃で叔父の家の前が名門レコード屋のeight ballだったり完全にレコード収集が目的の滞在でしたが(笑)。しかしその当時ニューヨークの街中に展開されていたダナ・キャランやカルバン・クラインなんかのファッション広告がかっこ良くて衝撃を受けてしまったんです。そのヴィジュアルが街を形成しているようなスケール感に圧倒されて、「自分もこういうものを作る仕事がしたい」と漠然と思いました。それで東京に帰ってから縁があって『high fashion』誌の編集部に。最初は右も左もわからなくて、怒られてばかりでしたけど、ちょうどアレキサンダー・マックイーンやジョン・ガリアーノが出てきたくらいの時代で、とても刺激的で面白かったですね」

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