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「"南極"が勤務地です!」。南極越冬隊の一員として、昭和基地の通信環境をひとりで守る

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第55次南極地域観測隊越冬隊の一員として昭和基地に派遣されたKDDI社員の濱田彬裕。後ろに佇む巨大な船は、海上自衛隊の砕氷船「しらせ」。※以下、南極での写真はすべて本人提供

KDDIの社員は世界のさまざまな場所で活躍しているが、恐らく一番遠い赴任地は、南極の昭和基地だ。昭和基地にインテルサット衛星設備が導入された2005年の第46次南極地域観測隊越冬隊(以下南極越冬隊)から、国立極地研究所に毎年1名の社員を出向し、観測隊員として派遣されている。

人が日常生活をおくる地域とは全く違う環境での経験について、第55次南極越冬隊員として昭和基地に派遣された濱田彬裕に話を聞いた。

一度行ったら、14カ月帰れない

濱田が南極越冬隊への派遣があることを知ったのは、入社後の面談の席だった。その時には南極に興味は持ったが、「自分が行きたい」という気持ちにまでは至らなかった。

運用本部でau携帯電話サービスの基地局保守運用を担当していた濱田が応募を考え始めたきっかけは、入社から3年目に同じ部署に南極越冬隊OBの先輩が配属されたことだった。「南極は寒いけれど、自然は素晴らしいしオーロラも見られる」「業務はKDDIの代表として派遣されるので、何でもひとりでこなさなくてはならず、求められるものは大きい」。そうした話を聞くうちに、「自分がどこまでひとりでやれるのかを試したい」という思いが大きくなったという。

とはいえ、「南極越冬隊」は単なる海外赴任とは違う。まず、日本から昭和基地までは、オーストラリアまで空路で移動した後、海上自衛隊の砕氷船「しらせ」で1カ月半かけて近づけるところまで航行し、さらに基地までヘリで飛ぶことになる。「しらせ」が昭和基地に近づけるのは南極の夏にあたる12月から2月の間だけ。つまり、7月から8月の冬の間の基地を保守するためには、夏の間活動する夏隊と一緒に南極入りし、翌年の夏隊の帰国で南極を離れる、14カ月にわたる滞在が必要となる。往復の3カ月を加えると、ほぼ1年半、日本には何があっても帰れない。「行くとなれば20代の残りをすべて南極で過ごすことになる。迷いがなかったとは言えないけれど、ここを逃したら二度と経験できないチャンスだと思いました」(濱田)。

濱田の参加した第55次越冬隊は2013年11月下旬に日本を出発し、昭和基地に12月末に到着した。「オーストラリアの南の暴風圏を通過する時は、船室に備え付けの椅子が部屋の端から端まで飛ぶぐらいに揺れます。船酔いもひどいですが、1カ月半乗っていれば慣れるもので、逆に到着後は"陸(おか)酔い"に1週間ぐらい悩まされました」(濱田)。

夏の間は人も多くにぎやかな昭和基地だが、2月末に夏隊と前年の越冬隊のメンバーは「しらせ」と共に帰国した。第55次南極越冬隊24名の長い南極生活が始まった。

ネットワーク無しでは機能しない昭和基地

南極越冬隊には大きく分けて2つの業務がある。ひとつは「観測隊」としてさまざまな分野の観測を行う観測事業で、気象、地質、生物学、天文など、さまざまな視点から地球を観測する研究者たちが携わる。「地球の変化を観測して過去から今がどう変化しているかを調べることで、未来にどのように地球が変わっていくのかを予測し、未来の地球環境に備えることを目的とした仕事です」と、濱田はその意義を説明する。

もうひとつの業務が、観測事業をする人が過酷な南極で生きていくために、水や電気や食事などを作ることで支援する「設営部門」だ。KDDIが派遣する南極観測隊員が担当する「LAN・インテルサット」という部門もこちらに該当する。基地内および日本との間のネットワーク全般の運用保守を担当するのが役割だ。

KDDIが提供している衛星通信設備が設置された「インテルシェルター」が、南極における濱田の職場となった


インテルサット衛星設備を点検中の様子。右が濱田

昭和基地のネットワークは、インテルサット衛星通信によってKDDI山口衛星通信所と接続され、そこから立川市の国立極地研究所(極地研)に専用線で接続されている。昭和基地と極地研の距離は約14,000kmあるが、内線電話はつながり、イントラネットにも接続できる。つまりネットワーク的には昭和基地は極地研の一部となっている。LANスイッチ、PBXなど物理的な装置からテレビ会議システムのようなアプリケーションまで、すべてを滞り無く動かすことが濱田に課せられた役割だった。また、広報活動として行っている「南極教室」や、病人やけが人が出た時に越冬隊の医師と東京の病院で治療方針を決めるためのテレビ会議にもネットワーク担当者として立ち会った。


「南極教室」の中継中のひとコマ。日本の小中学校とテレビ会議で接続して授業を行った


テレビ会議を使った遠隔医療においても、通信環境の保守は重要な役割を担う

昭和基地からインターネットへの接続は極地研を通して行っており、接続速度はおよそ3Mbps程度。「意外と高速に思えるかもしれませんが、この帯域を昭和基地全体で共有するのですから、ひとりあたりの速度はISDNと大差ない程度。メールやテキストのWebサイトを閲覧する程度であれば問題ありませんが、日本にいるときの感覚で動画共有サイトを見に行ったりすると、データを読み込むのに半日かかったりします」(濱田)となかなか厳しいものがある。

昭和基地のネットワークの最も重要な役割は、観測データを確実に極地研まで送り届けることだ。最近のブロードバンドを前提としたアプリを自由に使用されては、観測データの欠損が生じる危険がある。そのような事態を未然に防ぐために、隊員にアプリの利用制限をお願いしたり、パケットフィルターによる制限をかけなくてはならない。常にネットワークの状況を監視して、極地研の担当者と連絡を取り合いながら、処置をとる必要がある。

データ通信だけでなく、音声通話設備の保守運用も大切な役目だ。昭和基地から外部への音声通話は一度に2回線までで、基地内の公衆電話室から利用する。1年以上の間、日本を離れて任務を務める越冬隊員にとって、電話で家族の声を聞くことは大きな楽しみで、休日には順番待ちをしながら交代で電話をかけている。

インテルサット衛星が使えるようになったことで、電話はつながりやすくなり、国内通話と同じ料金で電話ができるようになった。それまではインマルサット衛星やイリジウム衛星を使った国際衛星回線を使っていたため、電話代にはかなり気を使ったそうだ。インターネットが使えても、音声通話アプリは、データ通信の帯域を圧迫するので使用が制限されている。「声で会話する」ための電話は昔も今も変わらず、隊員の大切な心のライフラインなのだ。

南極には昭和基地の他に、みずほ基地、あすか基地、ドーム富士などがあるが、常時インターネットが使えるのは昭和基地だけで、他の拠点にはネットワーク環境は無い。他の拠点に出向く場合は、インマルサット基地局やイリジウム携帯を持参して使用する。これらの衛星通信設備の保守も濱田の仕事だ。

ブリザードの中、命がけで通信を復旧

設営部隊には濱田の他に、料理人、医師、水を作る人、発電機を運用する人、車両を修理する人など、さまざまな分野の担当者が合計13名いる。公募で選ばれる医師、料理人、庶務担当者、野外活動支援者以外は濱田と同様、企業や団体などから派遣されている。

さまざまな役割はあるが、越冬隊の冬の重要ミッションは「冬季の除雪」だ。ブリザードが来れば、放っておくと基地が埋まってしまい、機能を停止してしまう。そうならないための越冬隊なので、7月から8月の一番寒い時期は役割に関係なくほぼすべての隊員が協力し、雪上車やスコップで除雪作業を行う。

除雪作業がない時期は、部門によって屋内作業の人もいれば屋外作業の人もいて、それぞれが作業を行っている。「インテルサット担当はどちらかといえばインドア派で、屋内でネットワークの状態を監視していることが多かったです」(濱田)。

だが、ひとたび障害が発生すれば、様相は一変する。インテルシェルターは昭和基地から500メートルほど離れた場所にあるため、機器故障ということになればそこまで移動しなくてはいけない。「ブリザードで普通なら外に出られないような時に障害が起きてしまったら、数メートル先も見えないような中、ロープを伝って現場まで行かなくてはいけない。まさに命がけの作業でした」と振り返る。

隊員にしてみれば、ブリザードの最中で何もできないときこそ、ゆっくりインターネットやメール、電話などができる、貴重な息抜きの時間だ。それが使えないということは大きなフラストレーションになり、濱田にぶつけられることになる。

「野菜が食べられないことや寒いことよりも、それが辛かった。でも、インテルシェルターまでの移動に付き添ってくれる(※遭難防止のために、屋外作業時には必ず2人組で行動することになっている)のはありがたかったし、つながるようになったら皆から『ありがとう』とお礼を言われるのはうれしかったです」

濱田が赴任前に担当していた国内での運用業務は、基本的にリモート保守でソフトウェア的に対処できたが、昭和基地で発生する障害はハードウェアそのものが故障する場合も多い。インテルシェルター内の気温は摂氏17度から20度に保たれているものの、設備が10年前のものと古く、かつ電気も発電機で起こした不安定な電流であり、機器が壊れやすい環境だ。出来る限り対策をしていても、いつ壊れるか分からない。

対処法を調べようにも、そもそも障害中はネットワークがつながらないので、ネットで検索もできない。文字通りすべてをひとりで解決するしかないのだ。「壊れないでほしいと祈っていましたが、結局、滞在中10回以上の故障に見舞われました。未経験だったハードウェア保守については、赴任前に山口(KDDI山口衛星通信所)で受けた訓練がなければ対処できなかったと思います。まさに、自分の力が試されていました」という濱田。インマルサット衛星電話で山口に助けを求めたこともあったが、多くは自力でトラブルを乗り切った。

南極でしか得られない貴重な経験の数々

辛いこともあった南極だが、楽しみもまた多かった。昭和基地にやってくるかわいいペンギンや壮大なオーロラなどは南極ならではの風景だ。



しばしば目にすることができたオーロラは、言葉にならない美しさだったという

至るところで見ることができたというアデリーペンギンの群れ。時折、昭和基地に迷い込んでくることも

ソフトボールを楽しむ隊員たち。打球を追って周辺のクラック(雪面の亀裂)に落下する事故を防ぐため、「ホームラン禁止」の昭和基地ルールが適用される。ラインはかき氷のシロップで引いて、試合が終わったら皆で食べてしまうのも、「環境に何も残さない」ための知恵

魚釣りもオフの日の楽しみのひとつ。氷に穴をあけて釣った魚は、釣り上げるとすぐに凍ってしまうので、基地に持ち帰って天ぷらに。屋外では気温が低すぎるためお湯を沸かすこともできず、調理するのは無理だという


濱田の仕事は主に屋内であり、運動不足を解消するため、筋力トレーニングも欠かさなかった


坂に積もった雪が天然のゲレンデとなり、スキーやスノーボードを楽しむこともできた


隊員たちの食事は、設営部隊として派遣されたプロの料理人が用意する。バーベキュー、カレー、ラーメンなどさまざまなメニューのほか、元日にはおせちが食卓にのぼった

「一番のレクリエーションは天気のいい休日に皆で出掛ける遠足でした」と濱田は当時を懐かしむ。そんな外出時に背負うリュックには遭難した時に備えて非常食と装備が詰まっているし、万一の時には互いに助け合えるよう、全員が赴任前に救命技能の認定証を取得している。穏やかに見えても南極はいつも危険と隣り合わせの場所だ。

「世界中に笑顔を届ける」衛星通信の力を実感

2015年2月1日、第55次越冬隊は第56次越冬隊に昭和基地の運用を引き継ぐ「越冬交代」を行い、濱田の南極での業務は終了した。

南極を離れ、日本に戻ってきた濱田は、「ひとりで何でもやらなくてはいけない南極という環境で、自分の可能性が広がった」と感じるとともに、「KDDIの社員として衛星通信を1年間保守しながら、ユーザーとしてそのありがたみも実感しました」と振り返る。「衛星通信はまさしく"世界中に笑顔を届ける"ものだと感じました。その提供の一端を担って、衛星通信の便利さをお客さまに提供していきたいし、自分の経験を会社の同期や後輩にも伝えていきたい」と語った。

今年も、そして来年も、KDDIの社員は南極越冬隊に参加し、ネットワークを守る。今日もKDDIのインテルサットは、日本から14,000km離れた南極での観測活動を支えている。

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