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元助っ人のジョンソン氏とマニエル氏 日本で学んだ共通点は

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「基本に忠実であること。そこが日本人選手の変わらぬ長所だ」と、2人の“元助っ人”は異口同音に語った。

 巨人に1975~1976年に在籍、「ジョン損」と揶揄されながらもリーグ優勝に貢献したデーブ・ジョンソン。そして、ヤクルトや近鉄で6年間(1976~1981年)プレーし、「赤鬼」と恐れられたチャーリー・マニエルだ。

 ともに強烈なインパクトを残してアメリカに戻り、その後メジャーの監督に就任。チームをワールドシリーズ優勝に導く輝かしい戦歴を残した。

 ジョンソンはメッツを始め5球団の監督を務めただけでなく、北京五輪と第2回WBCのアメリカ代表監督として日本代表と戦った経験を持つ。

「私の現役当時でも、巨人ならオーさん(王貞治)、広島ならヤマモト(山本浩二)といったトップクラスの選手はメジャーで十分にプレーできたと思うが、それはあくまでごく一部だ。しかし今は日本代表チームに入るような選手ならその大多数がすぐにメジャーで通用するレベルにいる。

 日本では、雨の日でも長時間の練習をやらされることにうんざりしていたが、そういったことに耐えながら日本人選手は今のメジャーの選手に欠けている大切な基本を身につけている。それに体力面でも当時とは比較にならないほど恵まれている。魅力的な選手がたくさん出てくるのは当然だ。ダルビッシュや松井秀喜はその代表といえる」

 実際、ジョンソンはダルビッシュに関して真剣なスカウティングを行なっており、ワシントン・ナショナルズのGM補佐を務めていた2011年当時は獲得に向けて来日する予定もあった。

 だが、チームの不振で急遽、監督に指名され、訪日は中止となった。監督交代がなければダルビッシュはアメリカの首都に本拠地を置くチームの大黒柱になっていたかもしれない。

 マニエルはフィラデルフィア・フィリーズの監督を務めていた2009年、ワールドシリーズでヤンキース(当時)の松井秀喜に打ち込まれ、2連覇の野望を絶たれた苦い経験を持つ。

「あのときは誰に投げさせても、どこを攻めても打たれるような気がしたし、実際にそうなってしまった。パワーはもちろんだが、確かな選球眼と高い技術も身につけていた。イチローとともに日本の野球史に輝く選手だ」

 マニエルはフィリーズ時代、田口壮と井口資仁の監督だった時期もある。

「2人とも走攻守にわたって洗練されていた。特に田口はバントも上手く、一塁から三塁への走塁も素晴らしかった。2008年は打撃の状態が良くなかったが、ベンチ登録から外すことはできなかった。チームが困った場面で助けてくれる非常に存在感のある選手だった。

 彼は出番がなくても、いつも早く球場入りして練習に励み、試合の準備を怠らなかった。井口についても同じことがいえる。そういう野球に対する姿勢は見習うべきものがあった。監督をやるようになって広岡(達朗)サンの気持ちがわかるようになったよ(笑い)」

 マニエルはヤクルト時代に広岡達朗監督、ジョンソンは長嶋茂雄監督と起用法を巡る確執があった。

「忍耐」──日本で何を学んだかと問うと、2人は申し合わせたようにいう。洋の東西を問わず、監督に強く求められる必須条件だ。日本野球はメジャーに有能な人材を供給するだけでなく、名監督誕生にもひと役買ったようである。

●文/出村義和

※週刊ポスト2015年5月29日号


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