箱根を制した青学・原監督が最も大切だと考えていることとは?

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箱根を制した青学・原監督が最も大切だと考えていることとは?

 2015年、箱根駅伝総合優勝を成し遂げたのが青山学院大学だ。駒澤大学、東洋大学といった強豪校を抑えての初優勝、元営業マンの監督、ワクワク大作戦、新・山の神となった神野大地選手…あらゆるメディアで取り上げられたのを記憶している人は多いだろう。
 総合タイムは事実上の大会記録となる10時間49分27秒。2位の駒澤大学に10分50秒の大差をつけての記録的大勝利だった。とはいえ、青学を箱根駅伝で見るようになるのはここ数年のこと。低迷していた陸上部を復活へと導いたのが、監督の原晋氏だ。

 本書『魔法をかける アオガク「箱根駅伝」制覇までの4000日』(原晋/著、講談社/刊)では、叩き上げの営業マンが指導者として、箱根駅伝で栄光を手にするまでの笑いと涙の全記録を紹介する。

 青学は1976年を最後に箱根駅伝から遠ざかり、原氏が監督に就任する04年まで、30年近くにわたって低迷していた。寮も専用のグラウンドもなく、スポーツ推薦入試制度にも力を入れていなかった。そうした体制を大学側が04年から一新し、積極的に強化を推し進めていくことになる。そして、新監督の候補に名前が挙がったのが、当時、中国電力の営業マンとして働いていた原氏だった。
 原氏は「私は陸上の原晋ではない。営業マンの原晋である。けっして元アスリートの原の原が勝ったのではない。営業マン時代に培ったノウハウによって、箱根で勝つことができたのだ」と本書の中で語っている。
 その営業体験は、大学の強化委員会とOB会への監督選考でのプレゼンでも生かされる。A4のコピー用紙に目標、計画、達成すべき数値を書いて説明した。監督就任後、3〜5年で箱根駅伝出場、5〜9年でシード校に昇格、10年で優勝するという長期ビジョンを示し、そのためには何をすればいいかを具体的に話したのだ。このプレゼンのやり方は中国電力時代の上司の手法を真似たものだった。監督就任後、選手を集めてのミーティングの際もこの手法を用いている。

 監督就任5年目の09年、青学は33年ぶりの箱根駅伝出場を決める。ここから青学は上昇気流に乗り、2年連続で出場を果たし、翌10年には41年ぶりのシード権を獲得。以降、15年に初優勝するまで6年連続シード権を獲り、一躍箱根の常連校となった。

 実績を築き、強化費が増え、立派な施設ができたとしても、最も大切なのは人間だと原氏はいう。生まれつきの素質に恵まれているだけの選手よりも、人間としてしっかりしている選手、自分の目標を設定し、それに向けてきちんと努力のできる選手を連れてくることが、チームが強くなるには必要なことなのだ。
 5区ですばらしい走りを見せ、柏原選手を上回る記録を出し、「新・山の神」と呼ばれるようになる神野選手も、走り、バネに加え、気持ちが強く、真面目な人間性を見込み、原氏がスカウトした選手の1人だった。

 青学が箱根駅伝で優勝したことに驚いた人は多かったかもしれない。しかし、原氏は営業マン時代のノウハウを用いて、着実に優勝へと青学を導いたのだ。長く低迷していた青学がどのように復活したのか。原氏が青学陸上競技部を率いて優勝するまでの11年の軌跡を読むことができる1冊だ。
(新刊JP編集部)


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