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天皇の料理番 花燃ゆが欠く「大河の役割」果たすとの評価も

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 ドラマの出来不出来は結果論だけでは語れない。作家で五感生活研究所の山下柚実氏が2つの話題作を比較検証した。

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「時代」というものを、どう描くのか。大河ドラマとは、どうあって欲しいのか。つくづく考えさせられてしまいました。なぜなら、4月26日にスタートした『天皇の料理番』(TBS日曜午後9時)を見てしまったから。

 親子の関係、兄弟や夫婦の関係。人と人の距離、相手への思い、期待と裏切り。怒り、とまどいといった個人の感情が、丁寧に描き出される。まるで地上に張り付く虫のうごめきを、虫眼鏡でじっと観察するように。

 と同時に、人々が収容されている社会という器や、国、世界といった大きな時代の流れへ、カメラはぐっと引いていく。まるで、上空の鳥の目に切り替わったように。

 地面すれすれのズームアップと、思い切り引いた天からの俯瞰。その行き来に、視聴者はワクワクするのです。ちっぽけな人間の生き様と大きな時代の描写との往復運動に、引き込まれるのです。言ってみれば、それが「大河ドラマ」の役割ではないでしょうか。

 その役割を見事にやり切っている『天皇の料理番』。対して、NHKの大河ドラマ『花燃ゆ』は、役割を担うはずがまったくもってもの足りない。

『天皇の料理番』はノンフィクション小説が原作。舞台は明治の大変革期。福井生まれの落ちこぼれ息子が、西洋料理人になるべく奮闘する筋書き。過去に2度ドラマ化されている。前例を土台にできるアドバンテージもたしかにある。しかしそれは、明治維新を繰り返し題材にしてきたNHK大河ドラマも、さして違わないはず。

『天皇の料理番』の秀逸さはまず、キャスティングにくっきり現れています。主役・篤蔵を演じる佐藤健。躍動感に満ちていて、体を大きく使い立ち回り。その一方には、妻役・黒木華や兄役・鈴木亮平。実に静かに抑制した演技で、表情と瞳だけで語りかけてくる。

 イキイキとした主人公と、取り巻く人々の静けさ。動と静の対比は、美しくさえある。演出側にしっかりとした設計図があるからこそできた配役と配置でしょう。

 もう一つ、息をのむのが小道具や大道具、建物、風景の見事さ。緑山スタジオでのセットと、明治村や倉敷でのロケ。両方を組み合わせて撮影しているようですが、何よりも明治という「時代」を描き出そうという意欲が、空間作りから伝わってくる。ガラスや壁の装飾から、時がじわりと滲み出ている。裁縫道具一つ、柱一本から、時代が見えてくる。

 視聴者はそういった細かなモノたちから「時代」の奥行き感を感じとって楽しむのです。

 対して、『花燃ゆ』の野山獄や家屋の薄っぺらさはどうでしょう? イヤでも対比せざるをない。

 良いドラマが生まれる要素は3つ。脚本、演出、役者が三位一体となって溶け合うこと。しかし、歴史ドラマの場合はもう一つ、重要な要素が加わります。空間とそれを支える大道具・小道具。

「レトロ風に、古くさくしてみました」では伝わらない。表面的に形を真似るのではなく、時にはロケ、時にはセットと工夫を凝らしつつ、素材感、感触、色あせ感、厚さ薄さまでを吟味し、モノの経年変化や時間性をしっかりとドラマ表現の中に取り込む。

 それがいかに大切か。いかに時代を疑似体験する面白さにつながっていくか。

『天皇の料理番』の制作陣は、「歴史」が持っている地層、その奥深さをリスペクトしている。だからこそ、調度品一つに時代を語らせるといった手法をとることができる。

 そのあたりは、ごまかそうとしてもごまかせない。視聴者にもはっきりと見えてしまう。それがテレビというメディアの怖さであり、面白さでしょう。「時代を描く」ドラマが、厚みを持った大人の娯楽になる理由でもあります。

 第二ステージに突入し、テコ入れするという『花燃ゆ』。果たしてどこまで『天皇の料理番』に迫ることができるか、お手並み拝見です。 


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