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圧倒的「他者」としてのソラリス、愛と畏怖を生む「他人」としてのハリー

圧倒的「他者」としてのソラリス、愛と畏怖を生む「他人」としてのハリー

 大傑作。SFで一冊だけ「不朽の名作」をあげろと言われれば、迷いなく本書を選ぶ。偏愛基準ならもっと大切なSFはいくらでもあるし、レムの作品系列のなかでも個人的思い入れの点では『天の声』のほうが上位にくるが、SFをひとつの文化運動体として捉え、それがただ一冊の精華を生みだすためにあったとすれば、その一冊とは『ソラリス』だと思う。ちょっと極端な前提だが、それほどの作品だ。

 この文庫版に付された訳者解説「愛を超えて」で、沼野充義氏はこの作品についてレムが書いたエッセイを紹介する。そのなかの一節にこうある。
〔私が重要だと考えていたのは、ある具体的な文明を描いてみせるというより、むしろ「未知なるもの」をある種の物質的な現象として示すということだったのである〕。

「未知なるもの」を扱うのはSFの専売特許ではないが、それを「物質的な現象として示す」のはSFの固有性だろう。この作品でレムは「未知なるもの」として、なんらかの意思を持つようにふるまう、惑星規模の原形質の海を設定する。ただし、それが本当に意思なのかはわからない。ソラリスの海は、電気的、磁気的、重力的インパルスの発生源であり、いわば数学の言語を話しており、原形質を素材としてさまざまな形態のモノを創造する。しかし、人間はコミュニケーションを取るどころか、海の機構すら解明できない。継続的な観察がおこなわれ、いくつもの仮説が立てられ検証が試みられるが、決定的と言えるものには行きあたらない。ソラリス学のアーカイヴがいたずらにふくれあがっていくだけである。

 この作品の主人公クリス・ケルヴィンは、ソラリス上空に浮かぶ研究ステーションに赴任した心理学者だ。このステーションにはすでに三人の研究者が滞在しているはずだが、ケルヴィンが到着した時点でそのうちひとりのギバリャンは謎の死を遂げていた。ほかのふたりの研究者も様子がおかしい。ステーションに異変があったのは歴然で、ケルヴィンが事態を手探りしていく過程が物語の前半をなす。異様事態は進行中で、ケルヴィン自身にも降りかかってくる。地球で死んだ恋人ハリーが目の前にあらわれたのだ。ソラリスの海の「未知なる意思」が創りだした、実体のある虚像か? だが、なんのために?

 拭えない過去の後悔、本物同様の存在感のあるハリーへの愛情と戸惑い、ソラリスという大きな謎への恐れ。出口が見えぬケルヴィンは、夢のなかで先任者ギバリャンと会話する。この会話は完全な夢想ではなく物語上の仕掛けがあるのだが、ここでまず重要なのはギバリャンが伝える人間形態主義批判だ。すなわち、未知なる現象について、人間的の尺度で理由をつけようとするのは愚かなことだ。人間がいないところでは、人間に理解できる動機などない。

 これはとりもなおさず、レムのSF批判である。先にふれたエッセイのなかで、レムはSF(とくに膨大な量のアメリカSF)について、〔地球上に認められる諸条件(しかも、私たちの最も理解しやすい諸条件)をただそのまま無限の宇宙に持っていっただけで、かなり図式的な拡大解釈〕と指弾する。

 レムは一貫して「他者」を主題化するSFを書いてきた。その「他者」とは、『ソラリス』『エデン』『砂漠の惑星』では人間が理解しえない宇宙(地球の拡大ではない未知世界)であり、『捜査』『枯草熱』では人間が把握しきれない複雑な因果の連鎖であり、『虚数』では人間の知性を超えた異種のロジックである。それは突きつめてしまえば不可知論だが、そう言ってしまった瞬間に問題は棚上げされて人間から切り離されてしまう。しかし、レムは容易な切断に甘んじない。そのための手だてが「物質的な現象として示す」小説だろう。

『ソラリス』がレムの作品系列にあって画期的なのは、ラディカルな「自己」/「他者」の構図に”第三項”を導入したことだ。つまりケルヴィンの前にあらわれたハリーである。ハリーはソラリスに由来するのでほんらいは「他者」側でありながら、彼女自身はそれを知らず独立した人間の意識を備えている。言うまでもなく、ひとは自分以外の存在の内的状態を直接に関知できないので、究極的には自分以外はすべて「他者」だ。しかし、間接的に(チューリングテストのように)相手が人間であることを信じる。そして、ふつうは間接的であることは意識されず、しぜんに「自己」を相手に投影してしまう。すなわち、地球を拡大した宇宙ならぬ、「自己」を拡大した人間一般である。

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