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14歳で五輪「金」その後の人生は

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1992年のバルセロナ五輪。競泳女子200m平泳ぎで金メダルを獲得したのが、当時まだ14歳という若さだった岩崎恭子さん。誰もが予想しなかった結果に、日本中が喜びに湧いた。しかしその結果に、誰よりも驚いたのは彼女自身。メディアの絶え間ない取材攻勢が始まり、中学時代は学校内で“サイン禁止令”が出るほどの騒ぎに、心身ともに疲れて果てていたという。それから1年半。岩崎さんの高校生活がスタートする。

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「水泳と勉強が両立できるのと、姉が通っていることもあって、日大三島を選びました。入学してすぐは、中学時代に一度静まった騒ぎが再び始まりもしましたが、しばらく経つと収まりました」

だが水泳の成績は五輪以来低迷。ずっとスランプ状態だったという。

「高校1年生の途中まで、記録がまったく伸びませんでした。代表にも選ばれなくて…。なぜ水泳をやるのかもわからなくなっていました。でも、高1の夏にふと気づいたんです。周りにどう見られようが何を言われようが、別にいい。そうしたら、もう一度がんばってみようと思えるようになりました」

15歳でそんな境地に至ったことにまず驚かされるけど、岩崎さんは「ませていたんですかね」と笑いながら振り返る。

「大げさかもしれないですが、それが私に与えられた運命なのかなと思うと、受け入れられました」

なかなか経験できない高校生活だ。だが金メダリストといっても、一人の女子高生でもあるのだ。

「当時ルーズソックスが流行っていて、はいていました。友達とファミレスでご飯を食べたり、CDを借りたりもしていましたよ」

前回オリンピックから3年が過ぎ、やがて高校2年に。アトランタ五輪の選考レースを経て、岩崎さんは再び代表の座を勝ち取る。高3で2度目のオリンピック出場。その結果は10位。決して本意ではない結末だったが、それでも晴れ晴れとした気持ちだったとか。

「オリンピックの雰囲気を覚えていましたから、本番前はすごく怖かったです。あと少し体重を落とせたら…など悔やみもしましたが、それも全力を尽くした結果。自分なりの成長に満足していました」

「やりきった」という思いからか、興味の対象は徐々に水泳から勉強へと変わっていった。内部進学するにあたっての学部選考では、心理学をチョイス。米国留学を経て、水泳指導者、スポーツキャスターへと活躍の場を広げていく。

「高校時代は悩みが多い時期です。私もそうでした。『メダルなんか取るんじゃなかった』と思ったこともありましたけど、実はどんなことも、後から考えると絶対プラスになっているんです。その経験があったから、いろんな人に出会って、いろんなことを学べて、今がある。どうせ悩むなら、前向きに悩みたいですよね。受験でも人間関係でも、クヨクヨするより『どう乗り越えるか』を考えた方が絶対にいいと思います」

●岩崎恭子(いわさききょうこ)
1978年静岡県生まれ。97年日本大学心理学部に入学し、日本学生選手権で現役引退。2002年JOC海外指導者研修でアメリカに留学。スポーツキャスターやコメンテーターとして活躍。講演活動や水泳指導も精力的に行う。11年春に第一子となる長女を出産する。

(吉州正行=取材・文)
(R25編集部)

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