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豆腐は単なる「白い固まり」じゃない! 相模屋3代目社長が味わった「雪印時代」の挫折

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豆腐は単なる「白い固まり」じゃない! 相模屋3代目社長が味わった「雪印時代」の挫折

2015年3月12日放送の「カンブリア宮殿」(テレビ東京)は、豆腐メーカーのトップに君臨する相模屋食料の3代目社長、鳥越淳司氏(41歳)の経営戦略に迫った。

2007年に社長に就任するや、売上高を6年で4倍に増やした鳥越氏。「豆腐市場は長い歴史があり、伝統食品と呼ばれているので『変わりようがない』と誰もが信じ切っていた。逆にひと押しすれば、面白い世界が広がるんじゃないかと」と語る。
職人の腕と魂を忘れないため手作りの研修

相模屋では、普段は工場のラインで豆腐作りをしている若手社員に、豆腐の作り方を一から教えている。「工場にいると『ボタン一つで豆腐が作れる』と勘違いしがちなところが生まれるので」と言う鳥越氏。職人としての誇りを持ってもらうのが狙いだ。

こぢんまりした製造所の一室では、入社4年目の品川さんが、工場長から直々に昔ながらのふっくらとした厚揚げづくりを伝授されていた。手作りを習い始めて意識が変わったという品川さんは、「この油揚げを目標に、ラインの機械でも再現して多くのお客様に食べてもらいたい」と語る。

若手が作った商品は、工場近くの販売所「おかべの郷」で販売。接客も若手自身で行っている。お客のおばあさんは「ここの豆腐はおいしのよ」と笑い、販売していた入社2年目の津久井さんも嬉しそうだった。豆腐を手作りし自ら売ることで、誇りと責任感が生まれ、お客の求めるものを学んで成長するのだ。

社員の意識改革を行った鳥越氏は、自らも職人の腕と魂を忘れないため、今でも時折職人として豆腐を作っている。その理由は、彼の前職での経験からくるものだ。

鳥越氏はもともと相模屋の人間ではなく、大学卒業後は雪印乳業に入社し、群馬の前橋で営業マンとして勤務していた。5年目の2000年7月、雪印の牛乳を飲んだ1万4千人以上が被害に遭う、戦後最大の食中毒事件が起きる。
自分の作った豆腐を食べない従業員を変える

全国から営業マンが集められ、被害者への謝罪に回った。鳥越氏は頭を下げながら、「何でこんなことになったか、理由を説明してくれ」と言われても一言も返せなかった。

牛乳の作り方やリスクも知らず、ただ売るだけで大企業の歯車に過ぎないことを思い知らされた。2002年、妻の実家である相模屋に転職した時、「もう歯車にはならない。自分が納得できる、安全安心な豆腐をつくる」と誓った。

3年前に相模屋が買収したデイリートップ東日本は、以前は大手スーパー向けの安い豆腐を作っていた。効率優先の豆腐作りに、従業員たちはやる気を失っていた。

「(当時は)おいしさよりも数字が優先。白い固まりを作って、スーパーに売るだけという感覚だった」(濱口工場長)

鳥越氏が初めて工場を訪れたとき、「今日自分が作ったお豆腐食べましたか?」と聞いても誰も手を挙げなかった。製造数や廃棄率などを聞くと答えるものの、「おいしさ」は求められていなかったのだ。

鳥越氏の「美味しい豆腐をつくろう」という掛け声に、工場長の濱口さんは「よろこびや嬉しさ、ワクワク感が蘇ってきた」という。
業界の常識を破る手法で「おいしさ」追求

豆乳はできたてのもので作るようになり、消費者から「とてもおいしかったです。感謝しています」「素晴らしい製品です」などと手紙が届くまでになった。その後は、従業員の士気を高めるため、やる気のある優秀なパートを正社員に登用する余裕まで生まれた。

今は「お豆腐食べた?」と聞くと、「今日は、自信があります!」と返ってくる。鳥越氏は心から嬉しそうに笑顔で話していた。

販路拡大に貢献したのは、新しい手法だ。豆腐の雑菌繁殖を抑えるため、豆腐を水にさらさず熱いまま機械によるパック詰を行い、賞味期限を延ばすことに成功した。これで一気に業界トップに躍り出たのだ。

保存料を使わず大豆の味わいを生かして消費者に届けるこの手法は、今までどこもやっていなかった、業界の常識を破る試みだ。それは、大企業で苦い経験をしたことで、豆腐作りの奥深さとリスクとに精通し、「どうすれば美味しくなるか」を追求した鳥越氏ならではの発想だったかもしれない。(ライター:okei)

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