Acid Black Cherryインタビュー – 熱き精神を宿す稀代のクリエーター

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Acid Black Cherryが放った4枚目のアルバム『L―エル―』は、全方位に及ぶ高い完成度で改めて感嘆させる仕上がりだ。このプロジェクトを指揮するyasuとはいかなる人物なのか? 彼の際立つ個性と魅力を検証する。

Acid Black Cherry (okmusic UP's)

 今やAcid Black Cherryは独自のファンベースを築き上げているといっても過言ではないのだろう。ロックバンドJanne Da Arcのyasu(Vo)のソロプロジェクトとしてスタートしたのが2007年。そのキャリアの長さから考えても、彼のサイドワーク的な見方は、現在ではあまりないはずだ。実際にリアルタイムではJanne Da Arcを知らなかったリスナーも少なくない上、ひとつの確立した“ロックアーティスト”という認識も一般的になりつつある。

 約3年振りとなる4枚目のアルバム『L―エル―』も完成したばかりで、過去の作品同様に目覚ましいチャートアクションを示すことが予想される。しかし、客観的な数値はAcid Black Cherryの人気のバロメーターかもしれないが、本質はそこにはない。あくまでも重要なのは音楽そのものである。事実、本作の高いクオリティーには、誰しも改めて感嘆させられるに違いない。

 yasuとはいかなる人物なのか。聴けばすぐに彼のものと分かる唄声のみならず、ミュージシャン/クリエーターとして天賦の才能が備わっているのは、これまで発表されてきた数々の作品に耳を傾けるだけでも明らかだ。かつて本人にその旨を伝えたこともあるが、「いや、僕なんてそういう(すごい)人間じゃないですよ」との即答が返ってきた。ただ、これは謙遜ではなく、yasuは本当にそう思い込んでいるふしがある。

 この件を追究していくと堂々巡りになるが、ひとつ確かなのは、彼が相当な努力家であることだ。自身が楽器プレイヤーではないにもかかわらず、各パートに関してはかなりの知識を持っている。さまざまな制作作業を通して自ずから身に付くもの以上のレベルである。日頃からかなり研究熱心に音楽に接しているからこそ成立するバッググラウンド。楽曲を細かく分析してみれば、感覚に委ねるものだけではなく、精緻な頭脳的判断がなされていなければ生まれていないであろうアレンジはあちらこちらに登場してくる。

 Acid Black Cherryのレコーディングに参加したミュージシャンからも、yasuの鋭い音楽的指摘に驚かされたといった話はしばしば聞く。自身の100パーセントをもって臨んだとしても、時にはそれを超えるインプットが要求される。つまり、現場ではまったく気が抜けないわけだ。もちろん、無理難題を押し付けるのではない。そのプレイヤーの特性を見極めた上で、より最上のレベルを目指す。

 例えば、どのアルバムでもいいが、誰がどのマテリアルでプレイしているか、クレジットを今一度確認してみてほしい。yasuと交流のある名うてのミュージシャンばかりだが、ツアーをサポートしている布陣が中心とはいえ、それぞれの楽曲に似合う人選がなされている。そこで目を向けるべきは、個々のキャリアから分かるパーソナリティーを詰め込みつつ、さらなる魅力を引き出していることだ。自身のバンド等では取り入れてこなかったような表現が随所で見られる。双方の創造性が化学反応を起こし、また次の作品へとつながっていく。こういった好循環が、Acid Black Cherryには存在する。

 一切の妥協のない音源制作。そう換言してもいいだろう。yasuが思い描く理想的な音像をいかに的確に具現化するか。その実現のために信頼の置ける、ある種の“自分にないもの”を持つ仲間たちを招く。そこにあるのは必ずしも依頼する側、される側といった主従関係ではなく、アーティスト同士のこだわりのぶつかり合いであることは、これまでの歩みを振り返ってみても想像に難くない。

 『L―エル―』は“波乱の人生を送った一人の女性エル。「愛」をテーマに、その人生を綴った壮大なストーリーと絡み合うコンセプトアルバム!”と説明されている。女性を主人公にした、または女性側からの視点を軸にした作品はJanne Da Arcの頃から数多い。その物語自体の面白さは、聴き手が自由に解釈すべきものだが、単に赤裸々にメッセージを叫ぶ、自己主張ばかりで埋め尽くされるような音楽とは一線を画してきたyasuゆえの主題の選び方である。

 無論、その中から導き出される彼なりの見解は時にあるだろう。しかし、元来、音楽とは聴衆を現実世界から異次元空間へと誘うものとも言える。yasu自身が感銘を受けてきた作品からの影響もあるが、だからこそ彼はファンタジーを描き続ける。そしてリスナーをストーリーの世界へと誘い、ひと筋縄ではいかない感情の発露を後押しする。悲しみ、怒り、楽しさ等々。フィクションの体裁は、逆説的に共感を覚えやすくさせる側面がある。その醍醐味を彼はよく知っている。

 彼の人格にも、長く支持されてきた理由の一端はあるだろう。広く認められる表現者でありながら、これだけの人気アーティストでありながら、やはり本人は一角の人物であるかのように振る舞うことは皆無である。初めてyasuと話をしたのは、もう17年ほど前になるはずだが、基本的な人間性はまったく変わっていない。ライヴの際のMCでも分かるように、相変わらず普段の言葉はくだけすぎているほどだ。

 ただ、どちらかと言えば自身の意欲の赴くままに制作に没頭していた初期と異なり、今はポジティヴな意味で、何らかの使命感のようなものを背負っているようにも思える。作り手と受け手の関係性をどう捉えるか。これは難しい問題だが、少なくともyasuはAcid Black Cherryの活動を通して、最終的にファンに対する内面的な貢献をしていきたい意思がある。全都道府県ツアーや幾多の主催イベントからもそれは感じられるだろう。性格的にあまり自家広告する場面はないものの、こと音楽全般に関しては、心の奥底に常に熱い感情が沸いている。

 『L―エル―』はサウンドの感触も含め、予想していた以上にドラマティックな内容に仕上がった。不思議なことに、言葉の端々からはこれまでにないほど明確な画が浮かんでくる。それは聴き手としての経験値によるものなのか、yasuの意図なのか、現時点では分からないが、聴き込めば聴き込むほど、興味深さは増していくに違いない。さらに言えば、将来的には続編が待ち受けているのではないかとも推測したくなる。Acid Black Cherryの8年間が、期せずして自然な形で集約された、『L―エル―』はそんなアルバムかもしれない。

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