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震災直後に海外へ…そこから見た日本の衝撃の姿と心残りとは

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Masayuki Oka 「オーストラリア父子旅 メルボルン編①」より

TRiPORTライターのyokoです。
東日本大震災が起こった2011年3月11日14時46分、どこで何をしていましたか? 日本で生活をしている人ならば、ほとんどの場合、日本のどこかにいたと思います。実際、筆者自身もそうでした。

ただ、筆者は少し普通の人とは違った状況でした。次の日のフライトで日本を飛び出し、オーストラリアに半年間の留学をすることが決まっていたのです。そのような状況だったこともあり、とても印象に残っているあの日から「もう4年も経ってしまったのだ」と、今思い返してみてしみじみ感じます。

ここからは、震災直後を海外で過ごすことになった当時の具体的なエピソードをご紹介します。

※その日の状況を書いた記事(1つ目のエピソード)
他人ごとじゃない!実際に旅で起こった「まさか」の出来事

到着日は「ホストマザーの誕生日」

オーストラリアのメルボルン空港に到着したのは震災2日後の午前。迎えてもらった留学エージェントのスタッフさんにかけてもらった「来られないかと思ってたよ」という言葉を聞いて、安心すると同時に、「大変な状況の中で自分はここまで来たんだな」、と自分の状況を再認識させられました。

スタッフさんにホストマザーの家まで送ってもらい、意思疎通もままならないホストマザーと初対面でいきなり2人きりに。スタッフさんと別れて、日本語が通じない状況になったと気が付いた瞬間、急に不安が強まったことを覚えています。

Ever Present by JD Hancock, on Flickr

到着したその日は偶然、ホストマザーの誕生日でした。しかし、震災という大きな出来事の戸惑いを抱えて来た初めての海外。これから始まる海外生活の不安と期待…。言葉では言い表せないほどの感情が入り混じっていたこともあり、誕生日をお祝いする気には、とてもなれませんでした。

しかし、私は様々な感情をとっぱらい、彼女の大切な日をお祝いしようと思いました。さっそくプレゼントを渡し、その日は2人でささやかに誕生日をお祝いしました。

海外から見た津波の映像

ホストマザーの家に到着し、落ち着いてきたところで何気なくつけたテレビから流れた映像を見て受けた衝撃を、私は今でも覚えています。それは日本の津波の映像でした。出発前に同じような映像は日本でも見たはずだったのに、なんだかその時とは違った不思議な心境になりました。

「なぜ自分は今ここにいるんだろう」

震災が起きた東北という地に、家族も友人もいませんでしたが、なんだか胸が痛い…。自分の国でこんな大変なことが起きているのに、なぜ自分は海外にいるんだろう…。そんな気持ちになりました。

残った「心のわだかまり」

少し他の人とは違った経験をしたことから、帰国後も時々考えさせられることがありました。

「震災後は食料がなくなった」

「計画停電で電気が使えなかった」

帰国後に人々の間で交わされていたこれらの会話に対して、全く実感がなく、聞いて想像することしかできなかったので、浦島太郎になったような気分でした。震災は自分が何かをしたからどうにかなることではないけれど、周りの人と震災後に起きていた出来事を共有できていなかったことに対する「心のわだかまり」が残りました。

Tomoaki Eto 「メルボルン上空へ気球の旅」より

もちろん、オーストラリアに行くことはずっと前から決めていたこと。離れて暮らしている家族も「関東にいるよりオーストラリアにいてくれたほうが今はよっぽど安全だから、よかったよ」と言ってくれました。

それでも、何か心にわだかまりのようなものが残ったのも事実です。ずっと海外で生活している人たちや、筆者のように偶然、日本を離れた人もいたでしょう。そのような人たちは、母国や自分の置かれている状況に対して、何か想うことがあったのではないでしょうか。

(続く)

(ライター:Yoko Fujie)
Photo by: Masayuki Oka 「オーストラリア父子旅 メルボルン編①

メルボルンの旅行記はこちら

*Masayuki Oka 「オーストラリア父子旅 メルボルン編①
*Tomoaki Eto 「メルボルン上空へ気球の旅

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