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考える「道徳」へ 改正案に教育現場から不安の声

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小・中学校ともに「教科」へ格上げし「考える道徳」に改変

現在、「教科外活動」として正規の教科外に置かれている「道徳」を、小・中学校ともに「教科」へ格上げし「評価」の対象とした上で「考える道徳」に改変する、という方針が文部科学省より発表されました。特に「いじめ」についての対応を強化する点が報道では強調されています。

悲痛な叫びを残して自ら死を選んだ中学2年の男子生徒の事件が衝撃を呼んだのは、1986年のことでした。それから30年近い年月が経過しても、いじめが被害者の死に結びつくケースは後を絶たないことから、初等教育の段階で対応が図られるのは当然と言え、否定的な見解を持つものではありません。

首をひねらざるを得ない点も多い改正案。現場の声は?

しかし、今回、公表された内容を見ると、首をひねらざるを得ない点も多く見受けられます。現場の教員から上がっている声も含めて、いくつか挙げてみます。

・「評価」について。高い評価を受けるための言動、芝居をすることに結びつかないか。ボランティアでも本来の意義と異なり、受験で有利になるから、という理由で経歴だけを積む子どものことが指摘されている。

・ただでさえ教員の過重労働が問題視されている状況下、さらなる負担増となり、形骸的なものになる恐れはないか。小学校英語と同様に理想と現実の乖離(かいり)は大きい。

・小1で公平公正、社会正義を教えることは、むしろ精神の伸びやかな成長を妨げることにならないか。画一的な子どもを増やすことにもなりかねず、他の面(国際競争力など)とのバランスはどうなのか。

・「読む道徳」から「考える道徳」への転換ということだが、「読む」力の衰えへの対応が、先ではないか。また、教える側の力量の問題も問われ、国語力、読解力を全体的に底上げしなければ、「道徳心」の浸透を図るのは難しいのではないか。

「読む力」が浸透できれば、「読む道徳」でも心を育むことは可能

また、現行の「道徳」の授業の一例で、授業時間の大部分が「映像を見せる」ことだけで、残った時間に、ただ「感じたことを書きなさい」というものだったという事例があります。しかも、見せられた映像は東日本大震災のものであり、書くように指示されたのは「命の大切さについて」というような内容だったということです。もちろん震災に限らず、「人の命」など大きなテーマについて子どもに考えさせるには、教える(というより、先導役を務める)立場の人間が、自ら深く対象を受け止め、その上で、責任を持って子どもに伝えるべき「何か」を、「自分の言葉」と「自分の思い」で、語るほかないのではないでしょうか。

ここでも教える側の「言葉の力」が問われますし、そもそも「読む力」が浸透できれば、現行の「読む道徳」でも、子どもたちの心を育むことは可能ではないかと思われます。今後の議論を待つのは当然ですが、単純に「評価」目的に陥らないこと、また「考える」とは、結局「読み解く」ことができた次の段階のことであるため、いたずらにグループワークなどに走るのでなく、きちんと「読んで、考える」内容を作り上げてほしいと思います。

そして、低学年から決まった枠組みの思考だけを押しつけることにならないよう、願うのみです。押しつけで型にはめても、その裏側に生じるものが「いじめ」の根源であることが、人の世の常というものなのですから。

(小田原 漂情/塾教師、歌人・小説家)

カテゴリー : 政治・経済・社会 タグ :
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