【知られざる日本の絶景】長野県・南木曽町に今も残る江戸時代の町、妻籠宿

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長野県南木曽町というと、昨年発生した土石流によって1ヵ月ほどJR線が普通になってしまったことでご存知の方もいらっしゃるかも知れません。

悲しい出来事が発生してしまった場所ですが、実は南木曽町にはまるで江戸時代にタイムスリップしたかのような場所があります。それが今回ご紹介する「妻籠宿(つまごじゅく)」です。

妻籠宿は江戸時代から交通の要所として栄えた場所。江戸時代の五街道の一つで本州中部の内陸側を経由して京都まで繋がっていた中山道と、徳川家康によって作られた尾張名古屋と信州飯田を結んでいた飯田街道との分岐点、それが宿場として設定された妻籠宿でした。

かつて江戸時代に進められた街道の整備にともない、駅逓事務(えきていじむ)を取扱う為に設定された町場、それが宿場と呼ばれる場所でした。

当時は最速の移動手段は馬もしくは人間の足であったため、現在の電子メールのような物事のやり取りは全てマニュアルで行われ、そのやり取りを円滑に進めるために宿場が整備され、その周りに発達したのが宿場町。

宿場には本陣と呼ばれる武士や公家など身分の高い人達が宿泊および休憩を取った場所や、脇本陣と呼ばれる本陣に次ぐ身分の高い人達が宿泊および休憩を取った場所が整備されていました。

こちらの妻籠宿には、当時は本陣が1軒、脇本陣が1軒、そして旅籠(はたご)と呼ばれる一般人が宿泊および休憩を取った場所が31軒も整備されており、中山道の大きな宿場町の1つとして当時から有名な場所でした。

現在でも、復元された本陣と国の重要文化財にも指定されている脇本陣を初め、江戸時代からの町並みが残っています。

しかし、1つの疑問が湧いてきます。なぜこのような、かつての町並みが現在でも保存されているのか?と。戦後復興から高度経済成長を果たした経済環境だけでなく、かつて繁栄を極めた町であれば、このような町並みは保存されなかったのではないかと。

そう、そこにはこの町並みを保存するための活動がありました。実は南木曽町の妻籠宿は、日本全国で初めて、昭和43年から町並みを保存する活動を現在まで続けています。そのため、現在の私たちが訪れても、江戸時代の営みを感じる事ができる、そんな場所が残っているのです。

江戸時代の悠久の歴史を、そしてその歴史を守ってきた長野県・南木曽町の皆さんの不断の努力を、心から感じる事ができる場所に出かけてみてはいかがでしょうか?

きっとその裏打ちされた歴史の深さに、何かを継続することの重要さと力強さを心から感じる事ができるでしょう。

Post: GoTrip! http://gotrip.jp/ 旅に行きたくなるメディア

▼保存の歴史を伝える立て看板

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▼古くからの旅籠を今に伝える松代屋さん

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▼江戸時代にタイムスリップしたかのような町並み

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▼街道には栗きんとんを味わえるお店も。こちらの栗きんとんは栗100%に、ほんの少しの甘みを加えて使って作られたもの。素朴ながら栗本来の味わいを感じる事ができる

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▼脇本陣に今も残るいろり端。冬でも暖をとれる「いろり端」は日本の知恵と伝統が産み出した柔らかい暖房器具といえる

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▼脇本陣に縁(ゆかり)のある島崎藤村直筆の書。これを見るだけでも訪れる価値があるといえる

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▼おそらく栗の産地でしか味わう事ができない、栗あん汁粉。小豆を使わず栗だけで仕上げた汁粉は絶品

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