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道路標識にアート…「表現の自由」をめぐる誤解

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道路標識にハート型や人形型のステッカーを貼り、道交法違反に

大阪や京都の市街地で、道路標識にハート型や人形型のステッカーを貼ったとして、道交法違反に問われるという事件が起きました。報道では、逮捕容疑は道交法に定める信号機の移転、損壊の禁止で、具体的には、一方通行の標識(高さ約3メートル)にステッカーを張って図柄を変え、規制の効果を低下させ、交通の危険を生じさせたものです。逮捕された人物は「アート目的でやったが、今となっては反省している」と供述しているようです。

これが芸術といえるかどうかは評価が分かれるところだと思いますが、芸術表現として憲法により保障されるのではないか、という問題を考えてみます。

他人の権利を侵害する場合には必要最小限の範囲で制約できる

憲法は21条で「表現の自由」を保障しています。ここでいう「表現」は、すべての表現媒体に及び、絵画や写真、芝居などの芸術行為も含みます。また、保護の程度に差を設ける見解が有力ですが、広告のような「営利的表現」であっても、表現の自由の保障が及ぶとすることが一般です。

それでは、表現行為を刑罰をもって禁止することは許されるのでしょうか。これは、名誉毀損や業務妨害罪を見るまでもなく、実際に一定の表現に対する刑罰が設けられていることからも明らかな通り、許されます。

では、なぜ憲法が保障する「表現の自由」を制限できるのでしょうか。一般的な見解では「表現行為といえども無限定ではなく、他人の権利(人権)を侵害する場合には必要最小限の範囲において制約できる」とされています。この「必要最小限」かどうかについてですが、「問題となる表現の性質」と「制約の方法」から判断することが一般的です。具体的には、経済活動としての側面を持つ「営利的表現」は、そうでない表現に比較して制約に馴染みやすく、また。他人の権利を侵害する危険も高い(虚偽広告など)ため、比較的、規制を受けやすいとされます。

表現内容以外の規制では刑罰を受けることもやむを得ない

また、表現の時・場所・方法といった内容以外を規制する場合と、表現行為の内容そのものを規制する場合とでは、前者の方がより表現行為に与える影響が小さいため、比較的、規制に馴染みやすいといわれます。さらに、表現そのものを禁止する(典型的なものとして憲法が明文で禁じる「検閲」があります)ことは極めて慎重に判断されなければなりません。

これに照らすと、今回の「標識にステッカーを貼った」ことは、アートとしての表現行為であったとしても、交通の危険を生じさせる可能性があるものであり、他の市民の権利(安全)を害するものです。また、「実際の道路標識を改ざん」しなければ、このようなアートを発表することは禁じられませんので、表現の内容以外の規制であって、刑罰によって規制を受けることもやむを得ないということになるでしょう。

憲法は、互いが互いの権利を守る、ということを求めている

最近、表現の自由については、一部のデモのように「表現行為なので何を言っても良い」という風潮もあるような印象を受けます。しかし、たとえ権利として保障されるものであっても、それにより他人の権利を侵害して良い、ということにはなりません。憲法は「公共の福祉」という権利と権利の調整概念を設けており、互いが互いの権利を守る、ということを求めているのです。

一方、逆に行きすぎた表現行為は保障すべきでないという意見もありますが、これもやはり問題です。何が保障され、何が保障されないかを区別していくと、結局は保障されないものが増えていってしまいます。あらゆる表現は等しく保障されるが、行き過ぎがあったら制限される、という憲法の枠組みこそ、すべての権利を保障するための最善のメカニズムなのではないでしょうか。

(半田 望/弁護士)

カテゴリー : 政治・経済・社会 タグ :
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