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横浜市と鎌倉市をまたぐ大船駅の住所はどっちの市?

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横浜のココがキニナル!

大船駅は出口によって鎌倉市と横浜市(栄区)に分かれています。では一般的に大船駅と言ったら何市と答えるべきなんでしょうか?(にくにくさんのキニナル)

はまれぽ調査結果
駅の住所は一般的に駅長室の所在地なので、大船駅は鎌倉市! もともと、鎌倉市に設置された駅だが、その変遷・発展の中で横浜市にもまたがってきた

横浜で暮らすようになる前、JR大船駅の近くに住んでいたことがある。
こう書き始めた時点で、筆者自身は、大船駅は横浜市ではなく鎌倉市だと思っていたことに気づく。けれども、投稿にあるように、大船駅は横浜市と鎌倉市をまたいで位置しているのだから、どう答えるか迷ってしまうのも、当然なのかも知れない。


大船駅の象徴(?)大船観音は鎌倉市にあるのだが・・・?

大船駅は何市ですか? その真相は?

街の人はどう答えるのだろうか?
大船駅周辺で「Q1.大船駅は何市ですか?」「Q2.大船駅が鎌倉と横浜にまたがっていることを知っていましたか?」という質問に答えてもらった。( )内はお名前、お住まい。


1鎌倉、2知っている(モリタさん、鎌倉市)


1鎌倉、2知らない(オーレットさん、横浜市)


1鎌倉、2知っている(オザキさん兄弟、〈左〉横浜市〈右〉相模原市)


1鎌倉、2知っている(〈左〉カヤマさん、鎌倉市〈右〉ヤナギサワさん、横浜市)

30名の方に質問した結果、大船駅を横浜市と答える方はいなかった。また、両市にまたがっていることを知っていても、鎌倉市と答える人の方が多かった。


市を特定せず、2つの市にまたがっているとの答えも3割


8割以上が、大船駅が鎌倉と横浜にまたがっていることを知っていた!

両市にまたがっていることを知っていても、鎌倉市と答えた方に理由をたずねてみると、「昔から鎌倉だった」「大船だから」「駅長室が鎌倉市にあるから」などが挙がった。

現在の大船駅は、ホームを横断する形で流れる砂押川(すなおしがわ)を境として横浜市栄区と鎌倉市大船になっている。


点線が市境


ホームの下を砂押川が流れている


橋の上に「砂押川」の標識

駅が何市になるのか、判断する基準はあるのだろうか。JR東日本横浜支社広報室に問い合わせてみた。広報担当によると、駅の住所は通常、駅長室があるところだそう。駅長室は、鎌倉市にある。つまり、鎌倉市の駅ということになり、住所は鎌倉市大船1丁目になる。


駅長室は南改札(鎌倉市)側、みどりの窓口の奥にある

北改札(笠間口)ができたのが2006(平成18)年2月で、それ以前には、横浜市側に駅出口はなかったことからも、鎌倉市の駅という認識が一般的なのだろう。


大船駅北改札


大船駅笠間口

ちなみに、JR南武線尻手駅と矢向駅も川崎市と横浜市をまたいでおり、尻手駅は川崎市、矢向駅は横浜市だ。

大船駅の歴史は? いつから2つの市をまたがる駅に?

大船駅の歴史は、明治の時代にさかのぼる。
1872(明治5)年10月、新橋(汐留)から横浜(桜木町)間に鉄道が開通してから15年後の1887(明治20)年7月、国府津まで東海道線が延伸された。当時、大船駅は鎌倉郡大船村に大船信号所として発足。JR戸塚駅とJR藤沢駅の中間で、上り下りの列車を入れ替えるための信号所だった。

東海道線五十三次に戸塚宿や藤沢宿はあるが、大船宿はなく、東海道は大船より西北の関谷村(せきやむら)を通っていた。しかし、鉄道敷設のための土地買収の問題や、平地の大船の方が鉄道敷設に容易だとの考えから大船村を通るようになったと伝えられている。

1888(明治21)年11月、駅に昇格し、大船駅として開業。大船村の地名がそのまま駅名になった。


1889(明治22)年ごろの大船駅。のどかな村を蒸気機関車が走った(提供:鎌倉中央図書館)

JR横須賀線が、1889(明治22)年6月に開通。横須賀線建設にあたっては、当時、日露戦争を必至と見ていた政府の軍事的強化の企図(きと)から、この地域の輸送改善が急務との考えを受け、1886(明治19)年、海軍大臣西郷従道(じゅどう)・陸軍大臣大山巌(いわお)が、首相伊藤博文に横須賀線建設を求める文書を提出したという記録が残っている。

開業時の横須賀線の列車は、大船~横須賀間を1日4往復し45分で走ったという。その後、徐々に列車の本数が増加し、1894(明治27)年には、大船~横須賀間は1日10往復となった。


1889(明治22)年ごろの大船駅。駅改札は大船観音側だった(提供:鎌倉中央図書館)

1923(大正12)年9月1日、関東大震災により国鉄は大きな被害を受けた。焼失した駅はJR有楽町駅ほか16、倒壊大破した駅は45、焼失または破損した車両1836両、線路の被害区間延べ584.2kmとの記録がある。
大船駅も倒壊大破し、死傷者が多数出る大きな被害に遭ったが、復旧は早く、9月8日には大船~鎌倉間が復旧している。横須賀線全線が復旧したのは9月30日だった。

このころ、走っていた列車は蒸気機関車。横須賀線の電化工事が完成し、東京~横須賀間で電気機関車が走ったのは1924(大正13)年12月のことだ。

1925年(大正14)年 、震災復旧工事により、駅本屋、各ホームとA口(現在の東口)を結ぶ跨線橋(こせんきょう)が竣工。初めて大船駅の東側に改札口ができた。


黒い煙を吐きながら走る蒸気機関車

昭和初期から戦後間もない時期については、資料が少なく、細かく確認することは難しかったが、大船駅周辺の地図を横浜市中央図書館で確認したところ、1939(昭和14)年の地図では大船駅は鎌倉市にあると判断できた。2万5000分の1の地図のため、境界が分かりにくいので掲載は控える。

ちなみに、現在、大船駅にかかっている横浜市栄区笠間町は、この年に横浜市に編入(当時は戸塚区)しており、それ以前は、鎌倉郡本郷町大字笠間だった。

JR東日本、横浜支社に問い合わせたが、資料が残っておらず、駅長室がいつから鎌倉市にあったかは明確ではない。また「駅の住所=駅長室」となった時期も分からないとのことだった。

戦後間もないころの大船駅ホームの増設や改築については、1947(昭和22)年、大井工機部大船分工場(後の大船工場)専用線使用開始、1950(昭和25)年、東海道線電車運転に備えホーム嵩(かさ)上げ、A口改築竣工の記録が残っている。

続いて1953(昭和28)年の地図を見ることができた。


ホームに横浜と鎌倉の境界線があるのがわかる
(赤丸点線内:大船駅、青線:砂押川)

これらから判断すると、大船駅は1947(昭和22)年~1950(昭和25)年のホーム増設・改築時あたりから、横浜市にまたがる形になってきたのではないだろうか。


1955(昭和30)年、大船駅と松竹撮影所方面(撮影:皆吉邦夫、鎌倉中央図書館蔵)

1958(昭和33)年には、全ホーム(第1~3)を結ぶ乗換跨線橋が竣工した。


1966(昭和41)年、大船駅東口(撮影:鈴木正一郎、鎌倉中央図書館蔵)

上の写真のころの大船駅に関する出来事としては、1966(昭和41)年5月のドリーム交通モノレール大船線開通がある。このモノレールは1964(昭和39)年に横浜市戸塚区俣野町に開園した遊園地「横浜ドリームランド」への交通の利便を図ることを目的に開業した。

しかし、開業後、車両やコンクリート橋脚などに問題が見つかり、1967(昭和42)年9月、わずか1年半弱で休止。その後、再開計画もあったが実現はせず、2003(平成15)年には正式に廃止された。

1970(昭和45)年には、 湘南モノレール江の島線、大船~西鎌倉駅間が開業。翌年には西鎌倉~湘南江の島間が開業し、全線開通している。


現在の湘南モノレール改札

現在、大船駅を終点としている根岸線については、横浜市の南部丘陵の開発と横須賀線の混雑緩和などのために、昭和初期から鉄道施設の開設要請があったという。第2次世界大戦で中断したものの、1964(昭和39)年に、根岸線桜木町~磯子間が開業。1973(昭和48)年には大船駅まで乗り入れ、根岸線全線が開通した。


1970(昭和45)年、拡張工事中の大船駅(撮影:鈴木正一郎、鎌倉中央図書館蔵)


上の写真と同時期、大船駅(撮影:鈴木正一郎、鎌倉中央図書館蔵)

1971(昭和46)年4月に 橋上駅舎が完成。その後も改築・改装は行われているが、基本的には現在の大船駅に近い形になったようだ。


1979(昭和54)年、大船駅東口(撮影:鈴木正一郎、鎌倉中央図書館蔵)

つづいて、現在の大船駅の様子をもう少しご紹介する。


大船駅北改札を出ると、東口と西口に出ることができる


東口と西口をつなぐ通路は、ルミネウィング(写真右側)と直結している


大船駅東口

2006(平成18)年、北改札及び笠間口を新設したのと同年、Dila大船(駅ナカ商業施設)がオープンした。
また、2011(平成23)年には、西口歩行者デッキがオープンしている。


大船駅西口


西口歩行者デッキ

現在、大船駅には、JR東日本の東海道線、横須賀線、根岸線の3路線が乗り入れており、1日平均の乗降客数は9万7118人(2013<平成25>年)でJR東日本エリア内42位。湘南モノレール江の島線の起点である大船駅の1日平均の乗降客数は1万2828人(2011<平成23>年)だった。また、乗降客数のほぼ半数の乗り換え人員がある。駅開業から120年以上前経った今も、大船駅は、一つの交通の要所となっている。

取材を終えて

鉄道が開通した当時は、日本中どこでも、1日に数本しか通らない蒸気機関車を見物に訪れる人が少なくなかったという。交通が不便だった時代、駅の開業や鉄道の発達は、どこにでも気軽に行き来できる現代人の想像を超える、驚きと喜びを与えたことだろう。
駅の所在地についてのキニナルから始まった調査で、思いがけず、大船駅の歴史に触れ、現代の豊かさ・便利さを再認識した。

―終わり―

〈参考文献〉
『大船駅七十年』大船軒富岡氏所蔵
『横須賀線百年』横須賀線百年出版委員会(神奈川新聞社)
『鎌倉市史:近代通史編』鎌倉市市史編さん委員会
『120th横須賀線 大船駅・鎌倉駅』横須賀線百周年記念冊子事業実行委員会
『撮影所のある街 大船物語』升本喜年(ホンゴー出版)

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記者:

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