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【緊急掲載】パリ銃撃事件:風刺週刊紙シャルリー・エブドと5人の漫画家(BDfile)

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今回は、『BDfile』から転載させていただきました。
※すべての画像が表示されない場合は、http://getnews.jp/archives/770299をごらんください。

【緊急掲載】パリ銃撃事件:風刺週刊紙シャルリー・エブドと5人の漫画家(BDfile)

2015年1月7日(水)、フランス・パリ中心部にある風刺週刊紙シャルリー・エブド本社が覆面をした複数の人物により襲撃され、漫画家5人を含む記者12人が死亡しました。

同紙は以前より、イスラム教を風刺するイラストでたびたび物議をかもしており、一連の犯行はイスラム過激思想に影響を受けてのものとされています。
現場に駆けつけた仏オランド大統領は「新聞社、つまり表現の自由への攻撃だ」と厳しく批判。
その後、9日までに事件の実行犯は全員射殺され、大きな山は越えたものの、パリの路上で射殺された女性警官、そしてユダヤ系食料品店立てこもり事件で殺害された4人の人質を含めると、一連の事件の犠牲者は17人にのぼり、フランスにおいて過去50年で最も犠牲者の多いテロとなりました。

11日(日)には、一連の銃撃事件の犠牲者を追悼する大行進がパリ中心部で行われ、参加者は、事件以降、反テロ運動のスローガンとなった「JE SUIS CHARLIE(私はシャルリー)」をはじめとする思い思いのメッセージを書いたプラカードを掲げ、言論の自由、反テロを訴えました。
デモの参加者はフランス全土で約370万人に達し、フランス政府によると、フランス史上最大規模の抗議活動となったそうです。

そこで、今回は緊急企画として、風刺週刊紙シャルリー・エブドと、亡くなった5人の漫画家について、翻訳家、日仏コーディネーターとして活躍されている鵜野孝紀さんに解説していただきました。

* * *

シャルリー・エブドとは?


▲事件当日、2015年1月7日発売号の表紙

1月7日の襲撃事件でスタッフおよび関係者12人が命を落とした風刺週刊紙シャルリー・エブド1960年創刊の風刺誌、月刊『ハラキリ』(Hara-Kiri、仏語で「アラキリ」)をその前身とする。同誌は「バカで意地悪(bete et mechant)」をスローガンに、タブーを知らず、世間の良識を逆なでするきわどいユーモアで何度か発禁処分を受けながらも、一時は25万部の発行部数を誇った。写真のモンタージュでブラックユーモアの効いた広告や名画などのパロディーを得意とし、他の媒体では掲載を拒否された風刺画も受入れ、多くの作家を世に送り出した。


▲『ハラキリ』創刊号表紙
※その後の『ハラキリ』の表紙の変遷はコチラ*1から。

*1:「30 terribles couvertures d’HaraKiri!」 『WALL MAGAZINE』
http://wall-mag.com/2012/12/14/30-terribles-couvertures-dharakiri/


▲広告パロディー:「JAVEL(漂白剤の商標)を使えば、あなたも30日で未亡人になれます」

1969年には、より高い報道性を求めて週刊版(『アラキリ・エブド Hara-kiri Hebdo』、次いで『レブド・アラキリ L’HEBDO hara-kiri』)の発行を開始(月刊版はダルゴー社による買収を経て1986年まで続く)。

1970年11月、シャルル・ド・ゴールの死を揶揄した表紙で発禁処分を受けるも、翌週には誌名を『シャルリー・エブド Charlie Hebdo』*2に変えて発行を継続した。1982年に売上不振で休刊するが、1992年に再び発行を再開し、今にいたる。

*2:―前年(1969年)より同じ出版社で発行されていた漫画誌『月刊シャルリー Charlie Mensuel』の週刊版の形をとり、急遽、誌名変更された。『月刊シャルリー』はフランスの作家に加えて、イタリアのグイド・クレパックスなど海外の作家も積極的に掲載。『ピーナッツ』(チャールズ・シュルツ)を広く紹介したことでも知られる。誌名の”Charlie”は『ピーナッツ』のチャーリー・ブラウンから取られた(手本としたイタリアの漫画誌ライナスLinusが『ピーナッツ』の登場人物ライナス・ヴァン・ペルトから取ったことに倣った)。

独立性保持のため広告は一切載せず、購読料のみ(発行部数5~6万部。うち定期購読者が1万5千ほど)で運営。政治や宗教のあらゆる権威を否定し、2006年に世界的な問題となったデンマークの日刊紙によるムハンマドの風刺漫画を転載。以後、独自の風刺画を紙面でたびたび発表してはイスラム教関係者の反発を招き、いくつもの訴訟を抱えるなどしていた。

銃撃事件で亡くなった5人の漫画家

●シャルブ Charb

本名:ステファン・シャルボニエStephane Charbonnier、1967年生まれ。
漫画家、シャルリー・エブド発行人。


(c)Dominique Molinaro

1992年のシャルリー・エブド再刊時から同紙の所属作家となる。漫画誌『レコー・デ・サヴァンヌ L’Echo des savances』の他、一般紙誌でも活躍。

2009年よりシャルリー・エブド発行人となるが、この頃からジャーナリストによる調査報道が増え、またイスラム原理主義に対してあからさまにラジカルな立場を取るようになった。

マルセル・クフ Marcel Keuf(アル中でデタラメばかりする警官)や、モーリスとパタポン Maurice et Patapon(両刀使いでアナーキストの犬モーリスと、ファシストで超リベラルな猫のパタポンが主人公の大人向け作品)といったキャラクターも生み出し、単行本化もされている。



▲『マルセル・クフ』『モーリスとパタポン』

2012年にムハマンドの風刺画を描いて暗殺予告を受けるも、「跪いて生きるより立って死ぬ方がマシ」と表明。


▲日本でもヒットした映画『最強のふたり』のパロディー。

2013年からアルカイダの殺害リストに名前があがっていたが、ひるむことなくイスラム過激派を揶揄する漫画を発表し続けた。

●ヴォランスキ Wolinski

本名ジョルジュ・ヴォランスキGeorges Wolinski、1934年生まれ。


(c)Laurent Melikian

1960年から『ハラキリ』誌に参加、1968年のパリ五月革命時に発表した作品が評判となり、大衆写真誌『パリマッチ Paris Match』など一般のニュースマガジンでも作品が掲載されるようになる。1970年から1980年まで『月刊シャルリー Charlie Mensuel』編集長。カビュとともにシャルリー・エブドを創刊当時から支えた。
小野耕世訳で日本でも紹介された『ポーレットPaulette』(ジョルジュ・ピシャール Georges Pichard画)では原作者を務めている。


▲『ポーレット』


▲70年代のシャルリー・エブド表紙(ヴォランスキー画):「読者のみなさん明けましておめでとう! 他の連中は死んでいいよ」

また、女好きを自認し、たびたびセクシーで奔放な女性を描いたことでも知られる。



生前、死後は火葬を望んでいて、妻に「オレの灰はトイレに流してくれ。そしたら毎日お前の尻を眺められるだろ」とささやいたとか。
2005年にはアングレーム国際漫画祭でグランプリを受賞している。


▲ヴォランスキが描いたフェスティバルポスター(2006年)


▲ヴォランスキが最後に『パリ・マッチ』誌に寄稿した漫画「オランド大統領、2015年の展望」

●Cabuカビュ

本名ジャン・カビュJean Cabu、1938年生まれ。


(c)Laurent Melikian

10代から地元新聞にイラストの寄稿を始める。パリで美術学校に在学中アルジェリア戦(1954-1962)に動員され学業を中断するが、徴兵期間中も軍の新聞や『パリ・マッチ』誌に寄稿。

1960年に復員したのち風刺画を様々な媒体に発表、『ハラキリ』の作家となり、1962年からは若者向け漫画誌『ピロット Pilote』でも活躍。長身でブロンド、丸めがねのさえない男子高校生デュデュッシュが主人公の学園漫画『のっぽのデュデュッシュ Le Grand Duduche』で体制に反抗する青春を描き、人気の長期連載シリーズとなる。『月刊シャルリー』では、修道院の寄宿女学生が主人公の『カトリーヌの日記 Le journal de Catherine』を発表し、宗教的な保守主義を批判した。



▲『のっぽのデュデュッシュ』『カトリーヌの日記』

また、愚かなフランス男の類型、”ボフ beauf“(元は「いとこ」を意味するbeau-frereの省略表現)のキャラクターを生み出し、風刺画にたびたび登場させた。”beauf”は「保守的で偏屈、女性に対する男性優位を疑わない、下品なフランス男性」を意味する新語として辞書に載るまでとなった。



▲「(ガソリン30%値下げ)今のうち、詰められるだけ買っておこう!」

80年代からはシャルリー・エブドのほか、リーク記事を得意とし風刺色の強い週刊報道紙カナール・アンシェネ Le Canard enchaineでも活躍。また、テレビ番組にも進出。とりわけ和製アニメを数多く放映したRecre A2(1978-1988、『ドラゴンボール』をフランスでヒットさせたことで有名なClub Dorothee 1988-1996の前身)のレギュラー出演者として番組内で漫画を描き、子どもたちの人気者ともなった。


▲2007年に番組の記念本が出たときには表紙を描いている。

似顔絵の名手として、ポンピドーから現職のオランドまで、代々の大統領を辛辣に風刺。
2006年には、シャルリー・エブド表紙に「バカな連中(イスラム過激派)に愛されるのは辛い」と泣くムハンマドを描き、同じ号に掲載された他の風刺画とともに物議を醸した。

さらに2013年には東京のオリンピック招致決定を受けて、フランスの名物スポーツキャスターが「福島(第一原発事故)のおかげで相撲が五輪競技になりました」と報道する風刺画をカナール・アンシェネ紙に発表、日本政府から抗議を受けるなどもしている。

●ティニュス Tignous

本名:ベルナール・ヴェルラックBernard Verlhac、1957年生まれ。


(c)Didier Pasamonik (ActuaBD*3)

*3:『ActuaBD』
http://www.actuabd.com/

80年代初頭から作家活動を始め、RPGのイラストでも活躍した。


▲昨年のシャルリー・エブド表紙:「危険なピエロ」(アイツにひどいもん食わされた!)

●オノレ Honore

本名:フィリップ・オノレ Philipe Honore、1941年生まれ。


(c)Didier Pasamonik (ActuaBD*3)

風刺画家として様々な媒体に作品を発表。シャルリー・エブドには1992年より参加している。
シャルリー・エブドのツイッターでイスラム国指導者のイラストを描き、これが最後の作品となった。

いずれもフランスでは誰でも一度は作品を目にしたことのある作家ばかり。とりわけヴォランスキーカビュは60年代から2世代、3世代に渡って親しまれた風刺漫画の巨匠だ。二人はテレビ・ラジオへの出演も多く、作品同様そのユーモラスなキャラクターで愛される存在だった。彼らの突然の死はフランスに大きな衝撃を与えた。

事件直後から、キオスクにあった最新号はたちまち売り切れとなり、定期購読の申込みが殺到。フランス国内外の漫画家たちによるオマージュのイラストがインターネット上にあふれた。

屋台骨を失ったシャルリー・エブド編集部だが、事件を生きのびたスタッフと漫画家は、次号(1月14日発売号)も途切れることなく発行することを決め、近くの日刊リベラシオン Liberation紙社屋に間借りして制作を行った。印刷業者や流通業者の協力を得て、当初は100万部を発行すると発表されたが、日曜日(1月11日)にフランス全国で370万人を集めたデモ行進を受け、部数を300万部増やしたという。同紙は16カ国語に翻訳される予定で、また、新たに25カ国から引き合いが来ているという。

さらに、仏漫画出版20社はシャルリー・エブド銃撃事件の犠牲者追悼本の共同出版を決定、2月にも発売すると発表された。事件後、様々な漫画家によって描かれた作品を200~300ページにまとめ、5~10万部を発売する予定。

だが、「私はシャルリー Je suis Charlie」のスローガンが全世界に喧伝され、「表現の自由」の象徴として持ち上げられてしまったことについては、所属漫画家たちも大いに戸惑っているようだ。

「表現の自由」については様々な議論もあるが、18世紀以来、200年以上の伝統があるフランスの風刺画を(良きにつけ悪しきにつけ)代表する新聞の存続をかけた闘いはまだまだ続く。

Text by 鵜野孝紀

犠牲者の方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。(BDfile編集部)

転載元:こちらは『BDfile』からの転載です。

カテゴリー : 政治・経済・社会 タグ :
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