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笹川父子の歴史を辿った著書『宿命の子』を高山文彦氏が解説

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 ボートレースの売上金の一部を慈善活動に使う日本船舶振興会(現・日本財団)を設立し、長年にわたって会長を務めた故・笹川良一と、彼を支えた三男・陽平(日本財団現会長)の歴史を追った『週刊ポスト』連載「宿命の子」が単行本化された。偏見と中傷の裏で父子は、ハンセン病の制圧活動に邁進した。同書の著者である作家・高山文彦氏が二人に関する様々なやり取りを振り返る。(文中敬称略)

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『週刊ポスト』に74回にわたって連載した『宿命の子』を、ようやく本にまとめることができた。400字づめ原稿用紙にして1600枚になった。

『宿命の子』は、ボートレースを創設し、そこで集まる莫大な金銭を世界の慈善事業のために寄付するという画期的システムをつくりあげた笹川良一と、彼の遺志を継いだ三男、笹川陽平の父と子の物語であるが、主人公は陽平である。

「右手でテラ銭を集め、左手で浄財として配る」などとジャーナリズムから揶揄されたが、しかし日本人にはこれほど大規模な慈善事業を世界規模でくりひろげる志を実践する者はいなかった。

 良一は戦後、A級戦犯容疑者として巣鴨プリズンに収監され、最終的に無罪放免となったけれども、戦前、右翼政党の国粋大衆党総裁であった経歴などをあげつらわれ、「日本のドン」「黒幕」などと、これもまたジャーナリズムから真実とはかけ離れたレッテルを貼られた。

 取材をすすめるなかで、私はこうした批判や非難が、戦争を煽った自分たちの過去に頬かむりして、ひとり良一を人身御供(ひとみごくう)に仕立てようとしたことに由来するのではないか、と理解するようになった。

 なにを書かれても良一は、「新聞記者にも妻や子がいるんだろう。訴えたりしたら妻や子に飯を食わせてやれなくなるじゃないか」と言って、訴訟をおこそうと言う陽平を抑えた。彼らの側から抗議がまったくされないので、ジャーナリズムは自由に書きまくった。

 陽平にはじめて面会したとき、「戦後最大の被差別者は私の父、笹川良一ですよ」と、半ば問いかけのように語られて、はたと思考を停止させられた。私もまた日本船舶振興会を「伏魔殿」などと書きたててきたジャーナリズムに洗脳されており、正気の目では見ていなかった。どの記事にあたっても、悪イメージ先行の報道しかなかったのだ。

 すべての史料を開示され、それを読み込んでいくうちに、笹川良一という人物が大俗物的ふるまいをする反面(このような目立ちたがり屋的な側面がテレビCMなどを通じてさかんに表に立ったので、私をふくめて多くの日本人は彼のことを胡散臭く思っていた)、光のまったく当てられてこなかったハンセン病にたいする制圧活動を全世界で展開してきたことなどについて、深く知るようになった。

 以前私は、昭和初期のハンセン病作家北条民雄の評伝『火花』を書いていたから、この病気についてはよく知っていた。日本においてばかりでなく、世界中で強制隔離政策がとられ、病者とその家族は恐ろしい差別をうけた。聖書にもはっきりとハンセン病の日本語読みで「らい病」と書かれ、神に見捨てられた者、死の谷に住まう者とされた。

 良一は生まれ育った故郷の大阪・箕面(みのお)で、近くに住んでいる美しい娘がある日突然一家ごといなくなったのが「らい病」のせいだと親に知らされ、大人になったらこの不幸な病気をやっつけてやろうと思ったらしい。

 ボートレースの収益金の一部をつかってはじめたのが、ハンセン病制圧活動だった。表に立つことを嫌う陽平は自分の口からは言わないが、これを実際に軌道に乗せたのは陽平なのである。

 陽平は中学三年のときまで、実の父を知らなかった。兄が二人いるけれども、この兄弟三人は、良一が妾に産ませた私生児であった。三人は苦労して育った。陽平は東京大空襲のすさまじい火焔地獄のなかを母の手をひいて逃げ延び、大阪の居候先の家では下男としてみじめな暮らしを生きた。

 本人は「それがあたりまえの生活だったから、みじめとは思わなかった」と言うが、高校進学で東京の良一宅で暮らすようになってからも下男部屋で寝起きし、掃除、洗濯、飯炊きの生活を送ったのである。

 それに私は、長者番付にも載ったことがある陽平は相当な金持ちだろうと思って見ていたのだけれど、良一の死後、彼が相続したのは莫大な借金ばかりだった。兄二人は相続放棄の手続きをとっており、ひとり陽平が延べにして80億円もの借金の山を返していったのだ。

 まあ、それだけ大金持ちということになるのだろうが、しかしいまは株券一枚もない。

 どうしてそれなのに良一を庇い、彼にまつわるGHQ関係の史料を私費を投じて集め、東大名誉教授の伊藤隆に正確な良一伝を書いてもらうまでの仕事をしたのだろうか。

 死後もなおしばらく汚名をきせられてきた良一の名誉回復をはかろうとの一念だったに違いない。私はそれを「復讐」とうけとめた。『宿命の子』は、彼の美しい復讐の物語である。

※週刊ポスト2015年1月1・9日号


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