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ステープルドンやイーガンのスケールを、皮肉でまなざしで日常に接続する

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 太陽と言えばギラギラ、メラメラ、ギンギンに燃えるエネルギーの塊である。表面温度6000℃! ろくせん・どしーっ! しかし、本書第一篇「太陽」の語り手は、こともなげに「太陽はエネルギーが足りない」と言い放つ。太陽がショボイせいで核融合が水素→ヘリウムまでしか進まない。もっとガンガンなパワーがあれば、元素がどんどんくっついて重い物質になる。鉄になる、銀になる、金になる。

 ブラッドベリ、カミュ、バタイユ……、太陽をキーモチーフにすえた小説は数あれど、この作品ほど身も蓋もなく扱った例はないだろう。太陽にもっとエネルギーを! これは物語を駆動する欲望だ。

 それは卑近な日常にも迸る。登場人物のひとり、大学教授の春日晴臣は月2回計画的(!)にデリバリーヘルスを楽しんでおり、指名したデリヘル嬢に個別交渉して性交に持ちこむ悪癖がある。提示金額を徐々に増して承諾させるのだが、あるとき、目的(性交)よりもシチュエーション(交渉)に昂奮して、歯止めがきかなくなる。気がつくと、手持ちもないのに10万円と言っていた。むやみにエスカレートしていくムチャな快感。

 春日晴臣はその後、アフリカでおこなわれている「赤ちゃん工場」ビジネス摘発のための国際調査団に参加する。しかし、平然と非人道ビジネスを営む海千山千の悪党に、学際的な調査団は翻弄されるばかり。けっきょく成果があがらす、帰路のトランジットでパリに立ち寄る。奇しき偶然というか、そのパリには「赤ちゃん工場」で生産された第一号製品のトニー・セイジが暮らしていた。トニーは人身売買されたのち、巡りめぐっていまは天涯孤独の身の上で非正規品のキティちゃんグッズを販売している。さらにこれもまったくの偶然だが、かつて春日晴臣が10万円で交渉したデリヘル嬢、高橋塔子もこのときパリにいた。デリヘル稼業に身をやつしているとはいえ、彼女はタレントになりかけた経歴があり、その芸能事務所の斡旋で成金中国人の相手として渡仏していたのだ。

 春日晴臣、彼の仲間である調査団の面々、トニー・セイジ、高橋塔子、彼女を呼んだチョウ・ギレン(彼こそトニーが商う中国製キティちゃんの製造元トップだ)……さまざまな登場人物に視点が切り替わり、物語がモザイク状に広がっていく。しかも、このモザイクはひとつの平面だけにおわらず、未来のピースも混じっている。

 人類はやがて個人の因子やパラメータを自在に操作できるようになり、格差がない社会、さらには不老不死さえ実現する。いわば人類の第二形態だ。その第二形態にあって、あえて偶然因子による個性を選んだ田山ミシェルは、太陽をパワーアップしそれ自体を金に変換する「大錬金」を企てる。もちろん、太陽が金になれば太陽系から熱と光が失われ、人類は死に絶えるだろう。しかし、いったん不老不死に到達した人類は、「大錬金」を壮大なプロジェクトとして支持する。滅ぶとわかっていても止められない。これもムチャな欲望だ。

「大錬金」の張本人である田山ミシェルの血筋を遡れば、パリでドタバタを演じている連中へと行きつく。さらに、第二形態の人類が到達した思想は、すでに「赤ちゃん工場」を起業した不世出の天才ドンゴ・ディオンムによって先取りされていたという皮肉。オラフ・ステープルドンに匹敵する壮大なパノラマと、俗っぽく滑稽な群像劇をいくつもの接点で短絡させた、奇っ怪な傑作。先ほどモザイク状と表現したが、実は消失点のように「一切の語り手」があらわれる。その手際にもビックリ。

 本書に収録されているもう一篇「惑星」も、語りに仕掛けがある。

 この作品は「太陽」よりもさらに明確にSF的で、「最高製品」と「最終結論」というガジェットが提示される。「最高製品」は、カリスマ的なIT実業家が考案した新方式のネットワークで、すべての人類でつなげて最適化する。重複する要素・特性はひとまとめにして冗長性を排除するので、個人という存在がなくなる。かくして地球のリソースが有効活用できるのだ。一方、「最終結論」は、物語の語り手である内上用蔵だ。彼はすべての人間の考えや過去や未来の経験がほとんどわかっている。当然、「最高製品」が何をもたらすかも知っている。

 物語は「最終結論」の用蔵が、「最高製品」で人類が肉の海と化した未来で特権的な意識(個性)を保つことになるフレデリック・カーソンに送ったメールとして綴られる。用蔵は未来を知っているが、カーソンは未来を知らない。ふたりのやりとりは人間性の根本を問う対決のようでもあり、ロジカルに定まった行き先を探る詰碁のようでもある。

 しかし、用蔵はいかにして「最終結論」たり得ているのか? それが、語りの仕掛けと緊密に結びついている。グレッグ・イーガン『万物理論』をお読みのかたは、宇宙論の中心として「最初の観測者」が登場したことを覚えていろだろう。あの感覚とちょっと似ているが、ぼくは「惑星」の構図のほうが腑に落ちた。

(牧眞司)

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