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人類滅亡目前の世界の探偵小説

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人類滅亡目前の世界の探偵小説

 ノストラダムスの大予言を信じたことがある人、手を挙げて。

 あの「1999年第7の月に恐怖の大王が降りてくる」というやつだ。1970年代から80年代にかけては真剣な信者がたくさんいた。どうせ1999年には死んでしまうのだから努力なんてしても無駄、と人生を投げ出しかけた人も中にはいたのではないか。今から考えれば馬鹿馬鹿しい限りだが、そのくらい猛威を振るったオカルト思想だったのである。

 だが、以前この欄でも紹介したベン・H・ウィンタース『地上最後の刑事』(ハヤカワ・ミステリ)でひとびとが味わう絶望は、ノストラダムス詐欺の比ではない。地球に小惑星が衝突し、その影響で人類が滅亡してしまうことがほぼ確定してしまうのである。『地上最後の刑事』に描かれた世界は、運命の瞬間まであと半年という時期にあった。その中でヘンリー・パレスという新米刑事が殺人事件の捜査に乗り出すという話なのである。ヘンリーの周囲では社会が崩壊の兆しを見せている。顕著なのは罷業で、ひとびとがある日突然持ち場を離れて失踪することが日常的な光景になる。残された時間を、自分だけのために使おうとして社会の構成員であることを放棄してしまうのだ。文明社会は崩壊の兆しを見せ始めている。そんな中でも主人公は刑事という自分の職務を全うしようとするのだ。

『地上最後の刑事』で描かれたのが崩壊の予兆だとすれば、ついにそれが始まってしまうのが続編『カウントダウン・シティ』だ。小惑星衝突までの日数は、すでに八十日を切った。社会のインフラはほぼ停止しているに等しく、世界は個別単位に収縮し始めている。アメリカ合衆国の港には他地域からの天変地異移民(Catastrophe Immigration)が大挙して押しかけてきているが、それを排除しようとする動きもある。作中にはニューハンプシャー自由共和国なるコロニーが出てくるが、これは学生たちが大学を占拠して自治国家宣言をしたものだ。それ以外には〈明日の世界〉というカルト集団が紹介される。信ずる者にのみ救済を約束しようというわけである。つまりそういった形で、この世界は大小さまざまなレベルで自閉しつつある。いや、大きなまとまりが維持できないほどに、人類の築き上げてきた文明が壊れてしまったのだ。

 前作の終わりで刑事警察が解体され、ヘンリーは職を失った。〈大混乱〉を前に秩序を維持するのが警察だと規定され直され、個々の犯罪を取り締まる職能が放棄されたのである。今は一介の市民にすぎないヘンリーを、古い知人のマーサという女性が訪ねてくる。最後の瞬間まで共に居ようと誓い合った夫が、彼女を置いて失踪してしまったというのだ。その夫、ブレット・カバトーンも元警察官という職歴の持ち主だった。ヘンリーはマーサの頼みを聞き入れ、ブレットの足取りを追い始める。

 本書の中でたびたび繰り返されるのが、ヘンリーに対する「なぜ、それをするのか」という問いである。もっともな質問だろう。失踪は常態と化している。崩壊を目前にした社会においては、己の立場を守り続けることに意味がなくなっているのである。どうせ数ヵ月後にはすべてが滅びてしまうのだ。それまでの暮らしを捨てて好き勝手に振る舞って何が悪い。失踪した人間にはそれぞれの意図があっただろうが、それを突き止めても何も実りはない。しかし、行動の意味を問われたヘンリーは答えて言う。「私がやると彼女に言ったから」だと。

 実はこの問いは、前作から引き継がれた主題でもある。世界の終わりという事態によって、犯罪の摘発とその処罰という行為には意味が無くなった。そのときになぜ捜査を続けるのか、という問いが前作ではヘンリーに発せられていた。答えは「それが刑事としての職務だから」だっただろう。本作では、その職務すらヘンリーからは剥奪されているのである。一個人に過ぎないヘンリーがなぜブレットを捜し続けるのか。その答えを読者は捜しながら読むことになる。

 ところで前作『地上最後の刑事』は、謎解きミステリーとして非常に魅力的でもあった。探偵は「なぜ謎を解かなければならないのか」という問いを突きつけられ、自己の存在証明のような形で謎解きに挑まなければならなくなる。それだけではなく、そうした極限の世界だからこそ成立しうる事件、犯人像というものが描かれることにもなったのである。続篇である本書にも、この世界だからこそ成り立ちうる事件が描かれるという点の興趣は共通している。犯人当てのおもしろさは前作に譲るが、それに変わる謎の要素がある。さらに、主人公が頼るものの何ひとつない状態で探偵行為をしなければならないという条件は前作よりも強くなった。それによって何が起きたかというと、タフ・ノヴェルとしての要素が強化されたのである。そんな風に、どんどんどんどんおもしろくなってきているのだ。これは読まないと損でしょう。

 本書でウィンタースはフィリップ・K・ディック賞を獲得している。『地上最後の刑事』『カウントダウン・シティ』に続く三部作の最後World of Troubleは、小惑星衝突まであと1週間という設定の話だという。これまでの2作の中ではサブプロットとして主人公と妹ニコの関係が描かれてきたが、おそらくはそれが主題として浮上してくるのではないか。自分の職務、自分の信念をそれぞれ貫いてきたヘンリーが最後に直面する局面とはつまり、自分の愛する者を守る、というものではないか。もしそうだとすればこの三部作は、謎解きという知の側面から始まって情の側面で終わることになる。おそらく作者は、それによって人間が人間であるための条件とは何かということを読者に示す意図なのだ。

 さあ、この予想の当否はいかに。ノストラダムスよりは当たっていると思うのだけど。

(杉江松恋)

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