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ファーストクラスに乗らぬダイエー創業者「早く着くんかい」

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 流通業界の再編はかつての1兆円企業をも飲み込んだ。イオンはダイエーの完全子会社化を発表。2018年までにダイエーの屋号もイオンに改めるという。創業者・中内功氏の知られざるプライベートでのエピソードを、佐野眞一氏が綴る。(文中敬称略)

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 ダイエーの経常利益、純利益とも初めて大幅減益となったのは、1975年2月期決算からである。赤字は3年連続で続いた。危機を救ったのが元日本楽器社長からスカウトした河島博だった。河島は悪化した業績をV字型に回復させたが、社員の人心が河島に集まることを恐れた中内は河島を傍系企業の役員に飛ばし、長男の潤をナンバー2に据えた。

 これがすべての失敗の始まりだった。潤は店にかかる設備投資額を極端に少なくするため、スーパーをディスカウントストアー化した。従業員が数えるほどしかいない店内には、段ボールに入ったままの商品だけが天井まで山積みされている。価格は確かに安かったが、殺風景な店内に入る客はごくまばらだった。

 広大な店舗を持ち、大半が自動車で買い物に来る客層の米国なら成功したかもしれない。だが、日本では無残な結果しか残せなかった。ダイエーは最悪期、2兆6000万円という有利子負債を残した。

 それでも中内は意気軒昂だった。「元気そうですね」というと、「借金と元気だけはあるんや」と減らず口を叩いた。中内のジョークはなかなか上等で、ファーストクラスに乗らない理由を聞くと「ファーストだと早くつくんかい」と言ったので腹を抱えて笑った。

 ダイエーの業績悪化が続いた頃、囁かれたのは「ダイエーには何でもある。けれどほしいものは何もない」という陰口だった。安いものを大量に消費するという時代はとっくに終わっていた。そのことに中内は気づいていなかったのか。いや気づいていてももう手の施しようがなかったのか。言うなれば飢餓感がダイエーを巨大化させ、そしていつまでも癒えない飢餓感が宿痾となってダイエーを消滅させた。その意味で中内は、“精神の傷痍軍人”だった。

※SAPIO2014年12月号


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