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学会で一大論争 江上波夫氏「騎馬民族説」が残したもの

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 日本における最初の統一国家=ヤマト政権は、大陸からやってきた騎馬民族による征服国家だった考古学者の故・江上波夫(東京大学名誉教授)が戦後間もない時期に提唱した「騎馬民族日本征服説」は、「皇国史観」に親しんでいた日本人を驚愕させ、学界に論争を巻き起こした。東京大学大学院教授・小島毅氏が「騎馬民族説」とはなんだったのか考察する。
 
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「騎馬民族説」は、1948年5月、民俗学者の岡正雄、考古学者の八幡一郎、人類学者の石田英一郎と行なった雑誌企画の座談会で江上波夫が提唱し、その後、「騎馬民族説=日本国家の征服王朝説」として拡充・発展させたものだ。

 その主たる根拠は、古墳時代後期(6世紀前半)になると、大和地方の古墳群の副葬品にはそれまで見られなかった大陸の影響を窺わせる馬具類が多く見られることである。江上は記紀(『古事記』と『日本書紀』)にもその傍証を求め、神武東征伝承は騎馬民族が九州から畿内に進出したのを記したものだ、とする。
 
 歴史学者の井上光貞は、江上説に賛同して自身の著作『日本国家の起源』(1960年、岩波新書)で紹介。同じく歴史学者の水野祐も江上説を擁護した上で、大陸からきた応神天皇が土着の崇神王朝を打倒したと、騎馬民族説の別バージョンを展開した。一般社会にも江上説は広く認知されていき、氏の著作『騎馬民族国家』(1967年)は版を重ね、歴史の教科書にも掲載されるようになった。
 
 しかし、この気宇壮大な学説は学界を巻き込んで一大論争を引き起こした。実証性を重んじる日本史学界は、大陸の民族学を専門とする江上の新説が話題となるのが面白いはずもなく、古代史研究者はこぞって批判を展開した。

 そもそも江上説は記紀などの文献と、副葬品などの発掘史料の2つのアプローチから説を成り立たせている。しかし、古代史研究者にしてみれば、古墳時代後期の副葬品に馬具類が多く見られるとしても、交流のあった大陸文化の影響というだけの可能性も高く、それが騎馬民族による征服を意味すると断定する根拠はない。考古学者の佐原真は騎馬民族が来たなら同時に伝わるはずの去勢の文化、生贄の儀礼が日本にないことを批判の論拠とした。
 
 結局、江上説は後の実証研究によって根拠が突き崩されていったため1970年代になると影が薄くなり、80年代に入るころには歴史教科書の記述も減り、一般からも忘れ去られるようになっていった。
 
 しかし今日、騎馬民族説がまったく忘れ去られてしまうのは問題であろう。私自身は、江上説は研究史的に大きな意義があったと考える。そもそも学術研究というものは、先人の学説を批判しながら洗練されていくもの。たとえば、ニュートン物理学の説はアインシュタインによって乗り越えられたけれども、ではニュートンが忘れ去られたかというとそうではない。
 
 江上説が日本史研究に「古代日本をアジア史の一部として見る」という視点を植え付けた功績は大きい。
 
 とりわけ、江上説は19世紀以降の近代国家確立のためにつくられたナショナルヒストリーの枠組みを解体する役割を担った。それが史実ではないにしろ、従来日本列島の枠組みだけでルーツを語ってきた記紀的な歴史は実際とは違う、ということが国民のあいだに周知されたのだ。(文中敬称略)
 
※SAPIO2014年12月号


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