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【球界偉人伝説】“あの”「空白の1日」で話題になった小林繁の野球人生とは?

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 今日、11月14日は、野球界に大きな足跡を残した小林繁(故人)が生まれた日だという。小林繁といえば、江川卓(元巨人)とトレードになり、日本中を騒然とさせた「空白の1日事件」のもう一人の主役であり、しばしば「悲劇の主人公」として語られることが多い。だが、実際のプレーでもやはりすごい選手だったという。そこで、球界のうんちくに詳しい『週刊野球太郎』編集部に話を聞いた。

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◎史上唯一の「2球団での沢村賞」投手

 小林は、社会人野球・全大丸を経て、1971年ドラフトで巨人から6位指名され、プロ入りを果たした。指名順位からもわかるように、当初はそこまで期待されていたわけではなく、本人も、体が細く、プロで活躍できるとは思ってもいなかった。

 チームに合流したのは、1973年のシーズンとなる。それは、全大丸を都市対抗野球に出場させたい、というもので、1972年は全大丸でプレーした後に巨人と契約したからだ。

 入団2年目から1軍登板が増え、入団4年目の1976年に18勝を達成。翌1977年にも18勝を挙げて、沢村賞に輝いた。1978年は13勝と星を落としてしまったが、この間、紛れもなく巨人のエースは小林繁だった。しかし、1978年オフに起こったあの「空白の1日事件」に巻き込まれる形で、1979年のキャンプ直前に阪神へと電撃トレードされた。

 これが小林のプライドに火をつけた。「ジャイアンツだけには負けたくない」と、巨人戦中心のローテーションを直訴。見事、巨人戦8連勝を飾り、シーズン全体でも22勝を挙げて、自身初の最多勝に輝いた。そして、今度は阪神のエースとして沢村賞を受賞したのである。長い沢村賞の歴史において、異なる球団で複数回受賞したのは、小林繁ただ1人である。

◎「セットアップ」を根付かせた男

 阪神在籍時の5年間は、1983年に引退するまで毎年2桁勝利を挙げる活躍を見せた小林。引退後はさわやかな風貌を武器に、解説者やキャスターとして活動する。

 このとき、当時では珍しくメジャーリーグを研究し、いち早く確立された中継ぎ投手の重要性に注目。日本球界に「セットアップ(中継ぎ)」という言葉を広めたのは小林だといわれている。

 その後、日韓のプロ野球チームでコーチを歴任し、2007年には、CMで江川卓と共演し、話題を呼んだ。そして、日本ハムの1軍投手コーチを務めていた2010年1月、突然の心不全のため、帰らぬ人となったのが惜しまれる。これから先は、小林繁といえば江川事件、というエピソードだけでなく、グラウンド上やマイクの前で残した功績をしっかり思い出していきたい。

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