ガジェット通信

見たことのないものを見に行こう

中村嘉葎雄 兄・萬屋錦之助と似ぬよう汚れ役を選んでいった

DATE:
  • ガジェット通信を≫

 俳優の中村嘉葎雄(かつお)の兄は、日本映画の黄金時代を代表する大スター、中村錦之助(のちの萬屋錦之介)である。大スターである兄と自分との違い、反発した若いころについて中村が語る言葉を、映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづる連載『役者は言葉でてきている』からお届けする。

 * * *
 松竹で映画デビューした中村嘉葎雄は1985年、東映に移籍する。東映は時代劇中心の京都、現代劇中心の大泉という二つの撮影所を擁しており、嘉葎雄が配属されたのは京都だった。そこでは既に、実兄の中村錦之助(後の萬屋錦之介)がトップスターとして人気を博していた。

「東映に移ったのは、ただ『行きなさい』と言われたからです。東映京都では衣装でも小道具でも、全て錦之助が決めてくる。便利は便利なんですが、段々と『これでいいのかな。自分で考えたい』と思うようになって。

 それに撮影所に自分の友達も作りたいと思った。京都ではみんな錦之助の子分ですから。みんな彼のことを『若旦那』と呼ぶし、私のこともそのついでに『嘉葎雄さん』と。それが少し嫌だった。それで、大泉に移ることにしたんです。そこで初めて、友達ができた。助監督時代の降旗康男さんや佐藤純彌さん、澤井信一郎さんとか。

 錦之助は偉大でした。兄弟というより、大先輩。三味線から踊りから、能、全ての稽古事をちゃんとやった人です。だから、何だってすぐにできる。それにはもう、敵わない。仕草がきちっと入っているんです。私には絶対にできないと思いました。ですから、頭が上がりません。

 周りからは、よく『錦之助と似ている』と言われました。それが嫌で、似ないよう汚れ役を選んでいくようにしました。顔を汚くすれば分からなくなるんじゃないか、と思って」

 それでも、両者はその後も映画やテレビ時代劇、舞台と、数多くの作品で共演してきた。

「歌舞伎座で萬屋が公演する時は私も必ず一本出なくちゃいけないんですよ。だからわざと映画やテレビの仕事を入れたりしていました。それで母親に『来月は出られない』と言うと、『しょうがないわね。映画の方を大事にしなさい』と納得してもらって。助かりました。

 萬屋は『錦之助』時代の方が良かった。『萬屋』になってからは筋無力症という重病を負いましたから。それでも、そこから立ち直った精神力は凄かった。同じ病気の人の励みになったんじゃないですか。ただ、そういうのがあるもので力が入って、芝居が大きくなってしまった。彼は責任感の強い人だから」

 1981年の映画『仕掛人梅安』は、兄弟が共演した作品だ。池波正太郎原作の本作で錦之介は、表で鍼医者、裏では殺し屋という主人公を、嘉葎雄はその相棒を演じている。

「『梅安』の時は萬屋は自分で『俺にはできない』って言っていました。『俺の《域》じゃない』と。『俺はダメだけど、お前にはピッタリだ』とも言っていましたよ。梅安が食事する場面があるんですけど、萬屋は品がいいんですよ。折り目正しい。でも、梅安ってそうじゃないんですよね。もっとグチャグチャと食べないといけない。

 萬屋が偉いのは、ファンを裏切らないところです。彼のような大スターはイメージが変わったらいけないんですよ。私にはそれができない。すぐ裏切っちゃうんですよ。そう思ってなくても、自然とそうしてしまう」

●春日太一(かすが・たいち)/1977年、東京都生まれ。映画史・時代劇研究家。著書に『天才 勝新太郎』(文春新書)、『あかんやつら~東映京都撮影所血風録』(文芸春秋刊)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮新書)ほか。最新刊『時代劇ベスト100』(光文社新書)も発売中。

※週刊ポスト2014年11月7日号


(NEWSポストセブン)記事関連リンク
中村嘉葎雄 称賛には一日だけ酔い翌日には過去のものにする
松方弘樹 中村錦之助が大好きで「若い頃はマネて芝居した」
「海老蔵は常に主役、獅童は脇役の血筋」は歌舞伎界の常識

NEWSポストセブンの記事一覧をみる ▶
  • 誤字を発見した方はこちらからご連絡ください。
  • ガジェット通信編集部への情報提供はこちらから
  • 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。

TOP