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猪瀬直樹氏「都知事辞任より妻との別れがずっと辛かった」

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 都知事辞任から10か月、猪瀬直樹氏(67)が沈黙を破った。新刊『さようならと言ってなかった わが愛 わが罪』(マガジンハウス刊)で「5000万円の真実」を明かし、突然の病に倒れた妻・ゆり子さんとの40余年の日々を綴っている。

 医療法人・徳洲会からの5000万円の貸借について今年3月、選挙の収支報告書にそれが記載されていないとの事実から公職選挙法違反で略式命令、罰金50万円(公民権停止5年)の処分を受けた猪瀬氏は、改めてこう記す。

〈僕の軽率な行動が都民の負託を裏切ることになり、お詫びするしかない。石原慎太郎さんから渡されたバトンをつなぐことができなかった。都知事選挙を差配してくれた特別秘書はじめ僕を支えてくれたスタッフまでもが疑いの眼で見られ、耐え難い苦痛を与えてしまった。彼らには何の罪もなく責められるべきは僕一人だ。妻ゆり子に対しても、僕の自分勝手な行為について詫びる機会も得ぬまま別れたことが痛恨の極みである。〉(『さようならと言ってなかった わが愛 わが罪』より。〈〉内以下同)

 アマチュア政治家、だったがゆえの軽率。しかし、猪瀬氏にとって何より堪えたのはゆり子さんとの永遠の別れだったという。

 猪瀬氏とゆり子さんは大学時代に知り合った。卒業後まもなく結婚するも就職はせず、工事現場のがれきを片付ける仕事なども経験しながら作家への夢を追う猪瀬氏を、ゆり子さんは教鞭をとりながら支えた。物書きとして身を立てた後も、都政を担うことになってからも、ゆり子さんは猪瀬氏の最大の理解者、支持者であり続けた。

 そんなゆり子さんが五輪招致活動のさなかの2013年7月、帰らぬ人となった。悪性脳腫瘍との診断を受けてからわずか2か月だった。

「こういう言い方は変に聞こえるかもしれないけれど、都知事を辞めたことはもういいんです。自分の未熟さからああいう幕引きになった。これからはまた作家として仕事をしていくつもりです。ただ、妻に先に逝かれたことはいまだに整理がつきません」(猪瀬氏)

 都庁を去り、蟄居した猪瀬氏がまず取り組んだのが同書だ。

<僕は作家である。ゆり子は、ときどき不満を言った。
「わたしのこと、一度も書いてくれたことないじゃない。いつか書いてね」
 聞き流していた。僕の流儀として私小説は書きたくない。
 余命数カ月と、突然、宣告される一年前、僕はゆり子に「一度だけ花嫁衣裳を着て写真を撮ろうよ。夜汽車にのってきたままだからさ」と言ってみたことがある。
 その夏、テレビのインタビューにゆり子が僕といっしょに一度だけ、登場した。
「どんなきっかけでご結婚なさったのですか」
 そう訊かれたとき、ゆり子へ視線を向けると、あどけない表情で掌を小さく振りながら「言って、言って」と合図している。でも僕は「書かないことはいわない」とまた理屈を並べてしまった。
 お気に入りの青いロングのワンピースを着たゆり子の立ち姿は美しく映っていた。
「花嫁衣裳の写真、もうこれでいいわ」
 嬉しそうだった。>

 猪瀬氏は、妻との約束を果たしたのだ。


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