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葉真中顕『絶叫』に揺さぶられる!

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 その昔、平日の昼間に「ドキュメント女ののど自慢」という素人参加の歌謡番組があった。歌の前に出場者がどういう人生を送ってきたかというVTRが流されるのが決まりで、その内容次第では歌唱能力に下駄を履かせてもらえることもあったと記憶している。もちろん「自分はこんな成功した人生を送っている」よりは「相次ぐ不幸にも負けずに頑張っている」のほうが強いのだ。この「不幸な者勝ち抜き合戦」が平日の昼飯前の時間に流されていたわけである。よく飯がまずくならなかったものだ。

 不幸な人生を描く小説のパターンというのがある。ジャンプの連載漫画と同じで「不幸なやつのインフレ」になる危険は否めない。そういう作品を読むたびに「あ、女ののど自慢だ」と思ってしまうのは昭和生まれの宿命であろう。だが、そんな私でも少々居ずまいを正したくなるような小説が出現した。葉真中顕『絶叫』(光文社)である。

 もう俺は登場人物がどんな不幸な目に遭ってもびっくりしない、と思っている人にこそ本書をお薦めしたい。とんでもなく不幸な人が出てくるから、ではない。そうではないのである。他人の不幸は蜜の味、と割り切って平気でいられるような鈍磨した神経に、この小説は揺さぶりをかけてくる。それは本当に他人の人生なのか。おまえの人生はどうなのだ、と指弾してくるのだ。

 これは小説の書かれ方自体に仕掛けがある。主人公・鈴木陽子が1973年10月21日に生まれてから2014年3月4日に同名の女性が変死体で発見されるまでの約40年の歳月をこの小説は描いている。作者はこの陽子を「あなた」という二人称で呼び続けるのだ。そのことによって読者は、常に鏡像を見せられているような感覚を味わうことになる。物語の中にいる他者ではなく、すぐ前のモニターに映し出されている近い存在だと言ってもいい。この感覚が読者を作品世界の捕囚とするための看守の役割を担うのである。

 陽子が1973年生まれであるという点も重要だろう。成人の年が1993年。バブルが崩壊し、以降は一切好景気ならではの旨味を与えられたことがない世代だ。彼女が最初の挫折を味わう直前には暗示的な事件が起きる。いわゆる9・11同時多発テロだ。崩壊するツインタワーの映像が、どこにも安心することができる場所のない陽子の境遇に重ね合わされるのである。2001年から現在までの時間を共有していた読者は、彼女と同じ光景を目の当たりにしてきたはずである。その記憶の蓄積も小説の中に読者を呼び込む働きをしている。

 物語は複線で語られていく。一方は鈴木陽子の半生を追っていく二人称の語りだ。そしてもう一方では、神代武という男性が殺害された事件についての関係者の証言が次々に綴られていく。この二つの線がどう交わるのか、という関心がミステリーとしての興趣の中心にある。勘のいい読者は、B・S・バリンジャーや折原一などが得意とした技巧をあれこれ思い浮かべるのではないか。もちろんそれでかまわない。作者は、読者がそうした先行作が存在することを承知の上で、さらに裏をかくための仕掛けを施しているからだ。

 この手の作品では途中がどんなに良くとも最後に見せられる光景が拙ければすべてが台無しになる。断言しておこう。小説の最後に読者は異様な昂揚を覚えるはずである。後ろめたさが間違いなくある。しかしそれと同時に体の中を突き抜けていくような爽快さもある。それが綯い交ぜになったものに胸中を埋め尽くされたとき、どんなことを思うだろうか。なんの記憶が甦ってくるだろうか。今のうちに覚悟をしてから読み始めたほうがいい。

 作者の葉真中顕は2011年に『ロスト・ケア』(光文社)で第16回日本ミステリー文学大賞新人賞を獲得し、デビューを果たした新人だ。これがミステリー作家としては2作目の著書である。文章のこなれ方や脇役の造形の巧さなどはすでに新人離れしているが、なんといっても美点は上に書いた感情操作の技法である。操られるぞ。葉真中顕に操られるぞ。

(杉江松恋)

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