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タイトルよりもチームの勝利優先・・・傷だらけの「真の4番バッター」清原和博

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先頃、薬物中毒疑惑に刺青疑惑、さらには借金地獄に家庭崩壊と、ネガティブな報道ばかりが目立つ、元・プロ野球の清原和博(47)氏。連日、夕刊紙や週刊誌などでは、同氏の近況について、「転落人生」としておもしろおかしく報じているというのは、世人の多くが知るところである。しかし仮に、報道されている内容のすべてが事実であったとしても、西武・巨人・オリックスの三球団において主軸を勤め続けてきた、彼の野球人としての功績や評価は、決して失われるべきものではない。

その高校時代、読売ジャイアンツやピッツバーグ・パイレーツで活躍した桑田真澄と、いわゆる「KKコンビ」として活躍した清原は、高校通算64本塁打という途轍もない大記録を引き下げ、6球団の指名が競合する中、85年オフのドラフト会議を経て鳴り物入りで西武ライオンズに入団。
すると、1年目からレギュラーを獲得し、126試合に出場、打率.304・本塁打31・打点78という、高卒ルーキーとは思いがたいような成績を残し、新人王を獲得した。その後は96年まで西武一筋で4番をつとめ続け、文字通り、「パリーグの顔」「球界の顔」として活躍し続けることとなった。タイトルを取れそうな時もあったが、自分の記録よりチーム勝利に徹する男で、本塁打より犠飛が欲しい場面には必ずそんなベンチの期待に応えようとする選手だった。「西武常勝球団の4番」というのがタイトルといっても過言ではないだろう。
豪快にみえる人柄だが、実に朴訥な一面もあり、おそらく、ゲン担ぎもあったのだろう、「頭のサイズが大きく、自分に合うものがなかった」という理由から、入団時に手に入れた往年の名選手・野村克也氏のヘルメットを、球団が変わるたびに何度も塗りなおし、引退までの約23年間の長きに渡り、大切に使用するという一面もあった。

そんな清原が、FA権利の獲得により、念願の巨人入りを果たしたのは96年オフ。しかし「巨人の4番」として迎えた97年は、32本塁打・95打点を記録するものの、打率は.249と低迷し、多くのマスコミから強烈なバッシングを受けることとなる。それでも清原は、ひたすら中心選手であり続けるために、過酷な肉体改造を施してまで、「巨人の顔」であり続けた。
いわゆる「打撃三部門」での受賞がなく、「無冠の帝王」と呼ばれ続けても、清原は入団前から憧れていたジャイアンツのユニフォームを着て試合に臨み、グラウンドの外では、移籍組でありながらも、元木大介をはじめとする生え抜きの後輩選手から慕われる、「良き兄貴分」であり続けたのであった。何かにつけてマスコミから叩かれる彼の本当の素顔を知っていたのは、もしかすると、その背中に憧れて慕い続けた、彼ら後輩選手たちだったのかもしれない。

通算安打2122、本塁打数525、1530打点、生涯打率.272、OPS.909。彼が22年の現役生活で積み重ねた記録は、数多の名場面と共に、日本のプロ野球史に刻み込まれている。たとえ強烈な逆風が吹いていたとしても、かつて名投手との対決で見せたフルスイングのような力強い生き様で、再び美しいアーチを架けてもらいたいところだ。

清原和博、47歳。言うまでもなく、球史に残る偉大なプレイヤーである。

[文]吉竹明信Permalink | Email this | Comments

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