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昭和天皇の理髪師 不祥事があれば切腹する覚悟で臨んでいた

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 9月9日、宮内庁は昭和天皇の生涯を記録した全61冊、12000ページにおよぶ『昭和天皇実録』(以下、『実録』)を公表した。改めて昭和天皇とその時代がクローズアップされている。崩御から25年あまりがたち、歴史上の人物として語られる昭和天皇は、われわれ一般国民とどのように接してこられたのか。陛下と時代を共にした「天皇の理髪師」の逸話を大場・代表取締役の大場隆吉氏が明かす。

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 ヘアサロン大場は1882年創業、祖父・秀吉の代から「天皇の理髪師」を担当しています。

 祖父の影響もあり、父・栄一が昭和天皇にお仕えするようになったのは1941年6月でした。御用の日が近づくと父は極度に緊張して眠れなくなったようです。御用に伺う前は十数杯の冷水をかぶって身を清め、万が一にも不祥事があれば切腹する覚悟で御所に向かいました。

 御殿にある理髪室に陛下がおいでになると45度の最敬礼でお迎え。理髪中は陛下と2人きりの厳かな空間です。理髪時間は最長1時間ですが、その間は決して陛下と目線を合わさず、床に散った御髪は掃き集めて和紙に包み、保存しておいて年末に舎人に渡しました。

 一連の作業が終わると陛下はいつもにっこり笑って、父に対して一言、「ありがとう」と仰ったそうです。父はありがたいお言葉を常に最敬礼しながら聞いていました。

 当時は太平洋戦争の真っ只中で陛下にとって激務の時代であり、軍服でいらっしゃることも次第に増えたそうです。ところが、どれほど暑い日も陛下は軍服をお脱ぎにならなかった。戦前の帝王学の表われだと、父は感服しておりました。

 理髪の時間だけは緊張感から解放されるのか、お座りになったまま眠られたことがございました。非常に居住まいの正しいお方でしたが一度だけ、椅子から転げ落ちそうになられたことがありました。陛下のお身体に調髪以外で触れることはタブーでしたので、一瞬、迷いましたが、御怪我がないよう、父は渾身の力でお身体を起こしたといいます。

 また、1943年秋、陛下のご洗髪中にお湯が出なくなるハプニングが生じました。下を向いた姿勢のままでお待ち頂き、父が大慌てで御殿を駆けずり回り、桶に湯を入れて部屋に戻って理髪を再開しました。責任感の強い父は身の縮む思いだったはずです。

 ところがこの時、陛下は30分ほど下を向いた姿勢のままでじっとお待ちになり、理髪終了後もいつもと変わらない表情で、かつ心持ちゆっくり笑って「ありがとう」と仰ったと父は語っていました。

 陛下の理髪を始めて2年半が経った1943年の年末、父は召集令状を受け取りました。友人に戦死者がいた父が「国のため」と決意し「行って参ります」とご報告すると、陛下はこう優しく仰ったそうです。

「ああそうか。体を大事にして、元気で行っておいで」

 このお言葉を胸に父は出征して戦線に果敢に臨み、無事に帰還しました。

 激動の時代、陛下の理髪を担ったことは、父にとって生涯の誇りでした。年齢を重ねてからも、「陛下は玉のようなお肌で御髪は硬かった」と懐かしそうに口にしていました。  陛下が危篤になられた時、皇居の方角を向き、毎日のようにお祈りをしていた父の姿が目に焼きついています。

【PROFILE】1951年神奈川県生まれ。慶應義塾大学商学部卒業。1882年創業の「ヘアドレッシングOHBA」4代目。祖父から3代にわたり天皇陛下・皇太子殿下の御調髪を担当。

※SAPIO2014年11月号


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