私生活で世間を騒がせている清原和博が涙した! 今から29年前の運命の「KKドラフト」を振り返る!!

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 その私生活問題で、週刊誌をはじめとするマスコミを賑わしている清原和博。ご存じの通り、西武や巨人、オリックスで大活躍した、日本球界を代表する大打者である。

 この清原が涙したのが、29年前のドラフト会議だ。甲子園を沸かせたPL学園の「KKコンビ」こと桑田真澄(元巨人ほか)と清原和博が明暗を分けた1985年のドラフト会議について、プロ野球ドラフト情報なら随一の情報量を誇る「週刊野球太郎」編集部に聞いた。

     *   *   *

◎巨人がまさかの桑田を指名!

 1985年11月20日に開催された第21回プロ野球ドラフト会議の焦点は、ひとつに絞られていた。甲子園のヒーロー清原和博の選択権を、巨人が引き当てることができるか、である。PL学園の1年夏から5季連続甲子園出場し、「怪物」と呼ばれた清原は、早くから巨人入りを熱望。少年時代から憧れ、目標にしていた世界の本塁打王・王貞治監督(当時)のもとでプレーすることを夢見ていた。また、巨人サイドもそれとなく清原を指名するような雰囲気だったことで、その空気は助長されていった。

 ところが、ドラフトが始まると、その少年の夢は無残にも打ち砕かれる。ドラフト会議で清原を1位指名したのは南海、日本ハム、中日、近鉄、阪神、西武の6球団。なんと、巨人は清原を指名せず、その代わりに指名したのが、清原と一緒に甲子園を沸かせたPL学園のチームメイト、桑田真澄だった。

◎清原の悔し涙……

 あっけにとられる清原。巨人が指名をしてくれなかったこと、そして、プロ入りせずに早稲田大学への進学を明言していた同級生が、巨人から1位指名を受けるなど、思いもよらなかっただろう。甲子園では怖いものがないかのように活躍していた、あの「怪物」が、ドラフト会議後の記者会見では涙を見せたことは、清原にとって、どれだけ重い事態だったのか、容易に察することができた。

 その桑田は巨人の指名を拒否すると思われた。しかし、「もともと巨人に憧れていた」と前向きにコメントし、ドラフト3日後には大学受験を取りやめ、巨人へ入団。そして、清原は抽選で交渉権を獲得した西武に入団した。

◎日本シリーズでも涙……

 清原は無念を晴らすかのように、1年目から打ちまくった。翌1986年のシーズンは、高卒ルーキー記録となる31本塁打を放ちパ・リーグ新人王を獲得。一方の桑田は、プロ2年目の1987年に2ケタ勝利をマークした。この2人が、プロの公式戦で初めて交わったのが、1987年の日本シリーズだ。

 西武が王手をかけた第6戦の9回裏の守備では、ファーストのポジションで大粒の涙を流した清原。ドラフト時に裏切られた悔しさを思い出し、「巨人を倒すんや!」と誓った夢が叶う瞬間の涙であった。このシーンは長いプロ野球の歴史のなかでも、語り継がれる名シーンとして、今でもファンの記憶に刻まれている。

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