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めくるめくアンチ・ミステリー『両シチリア連隊』

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 1925年のウィーン、ロションヴィル大佐は底なしの平和の中で暇を持て余していた。オーストラリア=ハンガリー帝国瓦解の契機となった第一次世界大戦において、彼は両シチリア連隊の連隊長の任に就いていた。連隊はすでに解散し、麾下の兵士たちも散り散りになっている。大佐とのつながりを残す者も、ウィーン在住の5人の将校と1人の下士官だけだったのである。ところがこの7人が再び集結せざるをえない事件が出来する。

 きっかけは大佐と娘のガブリエーレとが、元トリエステ総督フレッセ・フォン・ザイルビッヒの夜会に招かれたことだった。招待客の中には、両シチリア連隊に属していた青年将校カミネーク・フォン・エンゲルハウゼンの顔もあった。

 その席で大佐は、初対面の男から、奇妙にねじくれた体験談を聞かされる。男は閲兵式の場で、ロシア大公ニコライ・ニコラエヴィッチによって誇り高きグロドノ軽騎兵隊の将校、コンスタンティン・イリイチ・フォン・プフェンドルフと取り違えられたというのである。しかし、プフェンドルフはすでに撃たれて死亡しており、そのために間違いが露見した瞬間、男は生命の危機に脅かされることになったのだという。

 男の話に耳を傾けている間に時が経っていた。かつての部下と共に馬車で帰ることになっていた大佐は、エンゲルハウゼンを探し歩く。そして、邸の一室で変わり果てた青年将校と対面することになるのである。エンゲルハウゼンは巨大な力で首を捻られ、事切れていた。

 その死を皮切りとして、悲劇が両シチリア連隊の元隊員たちを見舞っていく。事件について調査を行っていた者は突如として失踪し、また事態を収拾しようとして容疑者との決闘という手段に出た者は重傷を負う。不治の病に斃れた者もあった。これは連鎖なのか。それとも単なる偶然なのか。終焉を告げる喇叭の音を高らかに響かせながら、物語は終章へと滑り込んでいく。

『両シチリア連隊』(東京創元社)は、ウィーン出身の小説家アレクサンダー・レルネット=ホレーニアが1942年に上梓した作品である。恥ずかしながら私は初読だが、他に『ホレーニア短篇集 モナ・リーザ・バッゲ男爵他』(創土社)、『白羊宮の火星』(福武文庫)の翻訳があるという。

 訳者の垂野創一郎が巻末に詳細な解説を付しているが、それによればヒトラーのオーストリア侵略から逃れていったんは渡米しながらも、新世界での生活に不満を抱いたかウィーンに逆戻りし、あろうことかナチス宣伝省映画シナリオ部でチーフ・シナリオライターの地位に就くなど適合して大戦生活を乗り切ってしまったのだという(1976年まで天寿を全うしている)。そうした経歴から一筋縄ではいかないひねくれ者の顔が覗いているが、本書にもナチスの検閲を逃れるための仕掛けが施されている、というのが海外研究者の間では有力な説になっているそうである。垂野はそれに異を唱え、中井英夫の「アンチ・ミステリー論」を導入して、本書のミステリーとしての価値を評価している。詳しくは「反ミステリの金字塔」と題された解説を参照していただきたい。

 こう書くと非常に難解な書のように思えるが、非常に読みやすく、おもしろい。連続(しているのかどうかがわからないのが本書の肝なのだが)する事件を追うプロットは語り手が変わるオムニバス形式になっているのだが、後述するように一つの要が打ち込まれているため、印象が散漫にならずに読者の興味を惹きつけるのである。それと並行するように、作者自身がこの世界の深奥を幻視したかのような、さまざまな逸話や現実を遊離したかのような光景が随所に配置されている。たとえば繰り返し語られているのは、人間が依存している時間の感覚には実は根拠がなく、そうであるかのように見える決まりごと、歴史的記述はいくらでも転覆しうるということがある。死へ向けて人生の時計は針を進めているのであり、無こそが本来のありようである、といった趣旨の記述もあり、次々に運命に飲み込まれていく連隊員たちの姿と、そうした思想とは呼応しあっているように見える。とはいえ、一つの概念で統合するには脇道で語らえるものごとは雑多にすぎ、また簡略化を拒むような魅力に満ちている。ところどころで足を止めて寄り道の随想に耽ることをお勧めしたい。

 先に挙げた要とは、あらすじ部分で紹介した兵士の入れ替わりの逸話である。その語り手は騎兵大尉ガスパリネッティという名であることが明かされるのだが、彼とグロドノ軽騎兵隊コンスタンティン・イリイチ・フォン・プフェンドルフの入れ替わりという事実は小説の中盤以降でたびたび繰り返されることになる。雑誌連載時の題名が「ドッペルゲンガーたち」だったということからも、このモチーフが大きな意味を占めていることは明らかである。裏か表かがよく判らなくなるほどにこの入れ替わりは続き、激しく明滅を繰り返す。その果てに到来するのは、殺人事件の謎を解いただけでは光を呼び込むことが叶わない、暗冥の領域である(ここに『虚無への供物』との相似形を見出したのは垂野の卓見だ)。プラスとマイナスが打ち消しあった果てに到来するゼロ、固有名詞が意味を持たない次元の虚無がここには仄見える。そうした世界の孤独を愛する方は、どうぞ。

(杉江松恋)

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