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「少女への想いを胸に」日米球界で活躍した鉄腕クローザー、大塚晶文のラスト登板

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2003年のオフ、かねてより夢として抱いていた米・大リーグへの切符を手にしたとき、その男は、1年間在籍したチームと、自分を師匠のように慕う若手選手たちへの想いから、夢を捨てるか否かで揺れに揺れた。しかし、そんな矢先に彼の背中を押してくれたのは、翌年から指揮をとることが決まり、誰よりも自分自身の活躍してくれているはずの新監督・落合博満。彼の想いをよく知る落合は、「自分が一番後悔しないように道を選ばなくちゃいけない」と、その背中を押すことで、メジャーのマウンドへと彼を送り出したという。

日米通算176セーブを挙げた鉄腕ストッパー・大塚晶文が、チームメイトや監督に後押しされる形で海を渡ったのは2003年オフのこと。1997年に近鉄に入団した大塚は、1年目のシーズンから50試合以上に登板。リリーフのみの登板であったにもかかわらず、127奪三振を奪う快投ぶりを見せる。その背中に刻まれている背番号は11。敬愛する野茂英雄投手がつけていた番号であった。

野茂がそうであったように、大リーグへの夢を暖め続けた大塚は、2002年のオフにポスティングでのメジャー移籍を試みるも、交渉は不調。金銭トレードという形で中日ドラゴンズへと入団する。移籍した大塚は、球団への恩に報いようとする執念からか、クローザーとして大車輪の活躍を見せ、17セーブ、防御率2.09の好成績を記録し、チームに貢献した。

そして、そのオフ、念願のメジャー入りが叶うと、初年度から自身最多となる73試合に登板し、7勝2敗2セーブ、34ホールド(リーグ最多)を記録。翌年はチームの地区優勝に大きく貢献するなどの働きを見せた。だが、その後は怪我や不調が続き、パドレスからレンジャーズへと移籍するも、その復調は遠く、懸命のリハビリを続けながら現役復帰を目指した末に帰国。2013年5月から、国内独立リーグの信濃グランセローズに所属している。

2014年から監督兼投手コーチとしてもチームを支える大塚は、9月15日、チームの最終戦で、約7年ぶりに実戦のマウンドに立つ。それは、チームの本拠地・長野県の病院に劇症型心筋炎で入院中の小松愛子さん(7)が、米国での心臓移植を行うために必要な手術費用の募金活動の一環だという。

「誰かのためになるのであれば喜んで投げさせてもらいたい」。かつて、監督やチームメイトに背中を押してもらう形で、渡米の夢を叶えた鉄腕は、「生きたい」という少女の夢をかなえるために、今、最後のマウンドへと向かおうとしている。

【参照リンク】
・大塚監督、7年2カ月ぶり登板 15日、心臓病の女児支援
http://www8.shinmai.co.jp/grandserows/article.php?id=GRAN20140912002851

文・吉竹明信Permalink | Email this | Comments

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