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火星ひとりぼっち。希望ちょっぴりジャガイモたっぷり

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火星ひとりぼっち。希望ちょっぴりジャガイモたっぷり

宇宙飛行士マーク・ワトニーは、火星にひとり取り残されてしまった。

新人作家ウィアーが2014年に出版した(それ以前にウェブ公開とオーディオブック版がある)この話題作は、SF版ロビンソン・クルーソーだ。

ロビンソンと聞くとつい「ルララ〜宇宙の風に乗る〜ぅ」と口ずさんでしまうが、そんな悠長な状況ではない。風は風でもこちらは強烈な砂嵐だ。折れたアンテナがスペーススーツを貫いて、マークの脇腹にぶっすり。あまりの激痛に気を失っているうちに、ほかのクルーたちは彼が死んだと早合点して(バイオモニターがフラットになったため)、さっさと帰還の途についてしまう。マークの事故で火星ヤバいと焦ったわけだ。

マークの脇腹の傷は重症ではなかったが、事態はかなり深刻だ。まずアンテナが壊れているので、地球へ連絡ができない。約四年後には次の火星探査隊がやってくるはずだが、どう考えても物資もインフラもそれまで持たない。マークの元にあるのは、気密の居住空間と三百日分の食糧、火星上で活動できるスーツ(予備があったのだ)、ローバーが二台ある(砂に埋もれかけているが)。また、太陽電池アレイのおかげで電力にはことかかない。酸素供給器も水再生器もとりあえず順調。医療エリアには緊急時用のモルヒネもある。致死量を超える量だ。いよいよのときはこれを使えば楽になれる。

火星探査のクルーはみな専門分野を二つ持っていて、マークは植物学者でメカニカル・エンジニアだ。この知識をどう活用するかが、この過酷なサバイバルのカギとなる。彼はまず農業を試みる。実験のために持ちこんだ地球の土(少量)があり、排泄物から肥料も得られるので栽培は可能だ。備蓄食糧のなかにジャガイモはある。これは発芽するだろうか? また、耕作するには、備蓄の水ではまったく足りず、その分をどこかから調達しなければならない。しかし、どうやって?

マークは眉間に皺を寄せて悩むタイプではない。「たぶん、なにか考えつくと思う。でないと、死ぬ」と、あっさり言ってのける。この磊落さがこの物語を輝かせる。切羽詰まった状況と、逞しいユーモア。このコントラストによって、六百ページ近いボリュームがちっとも長く感じない。技術的なディテールも読みどころだ。マークの語り口が滑らかなため、ハードSFにありがちな説明臭さは抜けている。もちろん、それを自然な日本語に乗せる、小野田和子さんのみごとな翻訳があってこそだが。

細かいくすぐりも楽しい。マークはほかのクルーが残していった音楽や映像のソフト、デジタル書籍を観賞してはツッコミを入れる。毎日が退屈なので『600万ドルの男』をひとつずつ片付けている、とか(古手のSFファンならご存知のとおり、このシリーズは全部で百話を超える。ちなみにヒーローは元宇宙飛行士)。船長が残していった音楽コレクションはディスコばかりで、もうサイテーだよ、とか。ちなみにマークが自分のテーマ曲に定めたのは、ビージーズの「ステイン・アライブ」。なんてシニカル。

物語は地球側でも進行する。NASAにとって火星探査の失敗は手痛い打撃だったが、これを好機へ変える手段を模索し、砂の上に転がるマークの遺体を撮影してプロモーションの材料にするプランが浮上する。使えるものなら死人さえ使うのが政治だ。さっそく火星軌道上の人工衛星のカメラを作動させる。映像を分析したところ、あにはからんや、あの男はピンピンしているじゃないか! 
ここから、火星と地球との通信を確保する作戦がはじまる。課題は一足飛びに解決されはしない。マークとNASA、それぞれが調達しうるリソースを工夫しながら、ひとつひとつステップを踏んで実用性をあげていく。この過程がじつにスリリングだ。調達資材のなかには意外なところに転がっていたものもある。ぼくは「そうきたか!」と驚嘆したけれど、宇宙開発に詳しいひとは「オレもそう思ったね!」と頷くかもしれない。

通信が成功したのちも、不測の事態が次々に起こる。どれも原因は突飛なものではない。火星の環境や探険装備の問題(たとえば材質の劣化)など、現実的に起こりうるものだ。ウィアーは物語を盛りあげるために、創作的なネタ(たとえば火星人や未知の宇宙船)を投入したりはしない。この潔さは貴重だ。ハードSFの巨星アーサー・C・クラークでもこれほど潔癖ではなかった。ちなみにクラークの作品になぞらえるなら、『火星の人』がいちばん近いのは『渇きの海』だと思う。あちらも緊迫のサバイバルSFで、問題解決はリアルな科学知識やテクノロジーによっていた。

はたしてマークは生き延びることができるか? わずかな手違いが致命的になる火星の地で。しかも食事はジャガイモばかり、音楽はディスコばかり。ピンチ!

(牧眞司)

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